第12話:価値の証明
王都ブランシェットの北壁崩壊のニュースは、瞬く間に街を駆け巡った。
「カイルがいなくなった」という事実は、当初、騎士団や役人たちにとって「無能な土工が一人逃げ出した」程度の認識でしかなかった。だが、その代償は数時間後に血の凍るような現実となって現れる。
「……信じられん。なぜ予備の石材が砂のように脆いのだ!」
「補強術式を編める者が他にいないのか!? 騎士団の魔導師は何をしている!」
瓦礫の山となった北門で、国防卿の配下たちが喚き散らしていた。しかし、カイルという「たった一人の歯車」が担っていた過酷な演算と労働を代行できる者は、王都にはもう一人も残っていなかった。
一方、グラナード要塞。
カイルは、馬車から降りた瞬間に立ち込めた「匂い」に、胃を直接掴まれたような感覚に陥った。
香ばしく焼けた麦の匂い。煮込まれた肉とハーブの香り。
王都の配給所にあるような、腐りかけた残飯の臭いではない。それは紛れもなく、生命を維持するための「栄養」の匂いだった。
「……ここが、あんたの要塞か?」
カイルが呆然と見上げた先には、ガリウスの手によって無骨ながらも美しく修復された、鋼鉄と石造りの巨城がそびえ立っていた。
「ああ。あんたの新しい職場だ。……ミラ、こいつの『初期設定』を頼む」
アルスが声をかけると、建物の影から一人の少女が歩み寄ってきた。数秘魔導師、ミラだ。彼女はカイルを一瞥すると、手元の水晶板を淡々と叩いた。
「対象名カイル。土木魔導専攻。……主様、彼の現在の魔力残量は限界値の3%です。このままでは32分後に失神、あるいは魔力回路の修復不可能な損壊を招きます」
「……3%だと? よく生きてたな」
アルスは眉をひそめ、カイルに一枚の「要塞硬貨」を握らせた。
「カイル、まずはそれを使え。食堂へ行き、その硬貨一枚を差し出せ。それが今のあんたの『最初の仕事』だ」
「……これだけで、食えるのか?」
「食えるだけじゃない。今のあんたに最も必要な『対価』が手に入るはずだ」
カイルはおぼつかない足取りで、要塞内の食堂へと向かった。
そこは、かつての難民たちが活気を持って働いている場所だった。彼は窓口に立ち、震える手で要塞硬貨を差し出した。
「これ、一枚で……」
「あいよ! 一枚だね。しっかり食べな、お兄さん!」
愛想の良い給仕の女性が差し出してきたのは、大きなトレイに乗った食事だった。
焼きたての黒パン。溢れんばかりの野菜と肉が入ったスープ。そして、澄み切った水。
カイルは、それらを一気に口へ運び――そして、涙を流した。
「……うまい。……温かい……」
王都で「お前の仕事に価値はない」と罵られ続け、すり減らしていた心が、スープの温もりで溶けていくようだった。
食べ終える頃には、ミラの言葉通り、枯渇していた魔力がゆっくりと、だが確実に「正当な循環」を始めていた。
「……少しは落ち着いたか」
いつの間にか、アルスが横に座っていた。その手には一通の羊皮紙が握られている。
「カイル、これが正式な契約書だ。あんたの給与は月に要塞硬貨200枚。要塞内の個室提供、および三食の保証。……そして、あんたが行う補強工事の一箇所ごとに、別途の成功報酬を支払う」
カイルは契約書の数字を二度見した。王都での扱いの、数十倍に及ぶ好条件。
「……いいのか? 俺なんかに、こんなに払って……」
「あんたを200枚以下で雇うことは、俺のプライドが許さない。俺の見積もりにミスはない。……明日から、この要塞の外壁に、あんたの『名前』を残してもらうぞ」
カイルは、白磁の硬貨を強く握りしめた。
今まで誰にも見向きもされなかった自分の「技術」が、初めて目に見える「価値」として評価された瞬間だった。
その夜、要塞の新しい灯火の下で、カイルは泥のように深い眠りについた。
一方で、王都の北門からは、カイルがいなくなったことで塞ぐことのできない「隙間」を通り、魔物たちの遠吠えが聞こえ始めていた。
アルスが手帳に記した王都の評価値は、静かに「E」へと書き換えられた。




