太守の館
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呼び出された蛍は、太守の館まで乗り合い馬車でやってきた。
蛍がちょっと前まで住んでいた場所なので、いってみれば、この世界での実家というやつだ。
太守の館も平屋建てだが、その広さは桁違いだ。
武家屋敷風の建物そのものも広いが、庭も凄い。いわゆる日本庭園が広がっていて、職人の手により日々綺麗に整えられている。
使用人や身内が使う裏門から中に入ると、煙管を片手に庭を眺めている人物がいた。
「おう、蛍!」
軽く手を挙げた人物は、蛍の上司の上司。睦月の手紙配達所のトップのあやかしだった。
「塵さん、ここにいたんですね。あやさんが探してましたよ」
「はっはっは、気にするな」
「怒られますよ?」
「慣れてる、慣れてる。まぁ、うちの太守様に呼び出されたんだから、俺は悪くないはずだぜ?」
「黙って来てますよね?それが問題なんですよ」
「おう、そうか」
豪快に笑う塵に反省の色はない。
まぁ、塵はいつもこんな感じだ。
飄々として、何を考えているのか分からない。
けれど、ちゃんと部下のことは考えてくれている、はず。
「蛍を呼び出したって聞いたんで、ちょっと待ってただけだ」
まだこちらに来たばかりの頃の蛍を知っている塵にとっても、蛍は娘のような存在だ。
「塵さんは、呼び出された内容を知ってるんですか?」
「ん、いちおーな。だが、そろそろいい機会だと思うぜ」
「何がですか?」
「外に出る、な。後は太守様に聞いてこい」
蛍の頭をくしゃりと撫でると、塵はにやりと笑った。
「外?外にはいつも出てますけど……?」
「そうだけど、そうじゃない。さっさと聞いてこい」
塵に背中を押された蛍は、訝しみながらも奥へと向かった。
チラリと塵の方を見ると、ひらひらと手を振っていた。
奥へ向かう廊下は、いつもながら無駄に長い。
様々な種族が働いているので、当然、着ている衣装も色々だ。
女性だとメイド服を着ている者もいれば、着物を着ている者もいる。
統一性のなさが、まるでこの世界そのものを表しているかのように思えた。
ここに勤めている人たちとはだいたい知り合いなので、軽く会釈すると向こうも返してくれる。
中には久しぶりに来た蛍に驚いて、何故か飴をくれる人もいた。
もうそんな年齢でもないのに、と思うのと同時に、変わらない扱いにちょっとだけ顔がほころんだ。
「太守様、蛍です」
「入っていいわよ」
部屋の前で止まって来訪を告げると、中から涼やかな声が聞こえてきた。
ふすまを開けると、そこにいたのは、着物の長い白髪と紅い瞳を持つ妖艶な女性がゆったりと座っていて、その赤い唇の口角がにやりと上がった。
「……子供が確実に泣きますよ……」
この笑顔を見ていると、もう、絶対に喰われるしかない絶望的な状況に置かれた気分になる。
いくら本人が、可愛い養女がようやく顔を見せに来たので嬉しくてただ笑っただけのつもりであっても、端から見ると、得物を見つけたソレにしか見えない。
「そう?蛍に会えて今日は良い日だと思っただけよ」
蛍の前では、いつも本人的に最上級の笑顔をしている睦月の太守・白露は、こう見えて実はただの親馬鹿だった。