目の奥に灯るもの
「君は、どんなふうに自分を表現する?」
大学のゼミでの発表中、教授にそう問われたとき、春海は答えられなかった。
周囲の学生たちは、口々に言う。「声のトーン」「選ぶ言葉」「服装や立ち居振る舞い」──
どれも納得できるけど、どこか違う気がした。
自分は何者か。
どう在りたいのか。
そんな問いに、春海はずっと戸惑っていた。
その帰り道、電車の窓に映る自分を見た。無表情にも見えるけれど、そこには確かに、何かがあった。
ふと、思い出した。
中学の美術の時間。先生が彼女に言った。
「春海の描く人物には、目にちゃんと“生きてる光”がある。そこにその人の“想い”が出てるんだよ」
あのとき、確かに嬉しかった。
でも、それがなんのことか、わからなかった。
いま、ようやくわかる気がする。
言葉よりも、表情よりも、自分を映すのは──
「目の奥の輝きだ」
気づけば、ゼミの発表レポートに、春海はこう書いていた。
《私の中には、言葉にならない願いや、まだ形になっていない想いがたくさんあります。それらは、きっと目の奥に宿る光となって、人と出会い、交わる中で伝わっていく。私は、その輝きを信じて生きていきたいと思っています。》
翌週、教授は静かに言った。
「春海さんのレポート、よかったですよ。言葉に頼らない“誠実な表現”がありました」
春海は微笑んだ。
それがどんな微笑みだったか、自分ではよくわからなかったけれど──
隣の席の友人が、ふと見て言った。
「ねえ春海、今日のあなた、目がすごくきれいだね」
ああ、今のわたしが、そこにいる。
春海は、目の奥に確かな光を灯したまま、まっすぐ前を見つめた。