愛を操る暗殺者、愛を、恋を知る
「私は自分の玩具に手を出されるのが、嫌いらしい」
そう言った彼女の唇は、薄く笑みを湛えていて。
でもその瞳は何処までも冷たく凍りつき、抑え切れぬ欲が垣間見える。
(まるで普通の人間みたいだ)
ふとそんなことを思って、気づいた。
ボクは、ボク達は、彼女を何だと思ってたんだ?
『君は、君たちは、彼女のことを何もわかっていない』
『彼女の願いが何なのか、彼女の幸せが何なのか、彼女の本当に欲していたものは何なのか――考えてからもう一度同じこと言ってみろよクズ』
『ん? 呼び方? 虚ちゃんって呼んでるよ?』
ラックは、舞姫を“一人の人間”として見ていた。
じゃあ、ボク達は?
『最強』
『舞姫』
彼女の名前を呼んだことがない。
彼女を人間として見たことが、ない。
舞姫がこちらを鋭く見据えながら近寄ってくる。
(どうしよう。どうしよう。どうしよう)
考えろ。考えろ。考えろ!
何かあるはずだ。状況を一変させる手立てが……!
(――そうだ。なにも戦う必要は、ないんだ)
ボクは愛を操る暗殺者『狂愛』。
ならばその名に相応しい方法で、勝利を掴むッ!
すぅっと軽く息を吸って三秒目を閉じる。籠絡を始める前のルーティーン。
目を開ければそこにはもう、ボクはいない。
――――“僕”は、全てを堕とすッッ!
「虚ちゃん」
できるだけ柔らかく声をかける。
舞姫が足を止める。
それを見て、さらに声色を柔らかく、甘く、蠱惑的にする。
「僕、この依頼は放棄するよ」
――嘘だ。本当は、この後直接手を下すつもりだ。
「僕が、間違ってたよ」
――間違ってるはずがない。これが僕の生き方だ。
「こんなこと、ほんと、は、したく、なか、ったしっ」
一旦俯いて、涙を流しながら顔を上げる。
少し身体を屈めて、上目遣いで、頬を薄く朱に染めて。
ハーフアップにした髪がさらりと肩からこぼれ落ちる。しっとりと汗をかいたうなじがのぞくように。
恥じるように、誘うように、乞うように。
「――……おねがい、みのがして……?」
舞姫は何も言わない。無表情で僕を見る。
「おねがい……っ、何でもするからっ!」
苦しげに、決死の覚悟で。
舞姫の腕を掴んで、顔を近づける。
目一杯磨き上げてきた唇を、彼女のそれに押し付ける。
舞姫が軽く目を見開く。
躊躇う演技をしようとして、やめた。
どうせ意味がない。
舌を口内に入れて、探るように、掻き乱すように、呑み込むように、丁寧に蹂躙する。
僕はこの方法で、幾つもの危機を切り抜けてきた。
僕が敵だとわかった奴らも、最後には『黙っているからもう一度してくれ』と乞うてくる。
(今回も、切り抜けてみせる!)
決意を固めた、そのとき。
ガッ、と顎を掴まれる。
そして向こうの舌が、逆にこちらに侵入してきた。
「〜〜っ!?」
「……んっ……」
くちゅくちゅと音を立てて蹂躙され――。
一分後。すでに戦意喪失していた。
荒く息を吐きながら舞姫を見上げると、余裕の表情で口元を拭っていた。
(この僕が、ハニトラで負けるなんて……)
完敗だった。さすが世界最強の称号は伊達じゃない。
「ねえ、狂愛」
ビクッと肩を震わす。
「馬鹿なの?」
「へ……?」
突然罵倒された。キョトンとしていると舞姫が不満気に頬をぷくぅっと膨らませる。可愛い。
「なんでもするから見逃せって、もともとそのつもりだったんだけど」
「えっ?」
もともとそのつもりだった?どういうことだ、ボクを始末するんじゃないのか。
訳がわからず困惑するボクを見て、ますます舞姫は不満気に、拗ねたように唇を尖らせる。
「狂愛のことは許せないしあんまり好きじゃないけど……『水戸千隼』とは、仲良くしたいし」
にこっと、少し恥ずかしそうに笑う舞姫。
(ああ……そっか)
そういえば、さっき言っていた。
『あなたを止める』
“殺す”ではなく“止める”。
それはボクが、『鳳凰虚の友達』だからなんだ。
――ストン。
どこかで、なにかが落ちる音がした。
(あれ、なんだろうこれ……鼓動が速い)
トクトクと跳ねる心臓。熱もないのに顔が熱くなる。
「? どうしたもの?」
「なっなんでもない!」
舞姫を見るとさらに症状が悪化した。なんでだ……これはなんなんだ!
舞姫はまだ心配そうだ。
「そう? ならいいけど……具合が悪いなら、遠慮なく言ってね。友だちでしょ?」
―――あ。
ふわりと、花が咲くように笑った舞姫を見て、ようやく悟った。
これは、恋だ。
ボクは、舞姫に恋をしたんだ。
ボクは、愛を知らない。
母親は幼い頃に愛人のもとに行き、父親は俗にいう毒親だった。
いつも酒を飲んで、ボクを蹴ったり殴ったり……そりゃあもう酷かった。
それならまだマシな方で、ひどい時は、ボクを性処理の道具にした。
その頃からボクは可愛かったし、そりゃそうなるよな、というのが今のボクの談。
だから父親が恨まれて殺されたときは当然の報いだと思ったし、全寮制の暗殺者育成学校に入ったとき、心底ほっとした。
死にたくなかった。だから強くなった。
自分の容姿を武器にして、人を籠絡し操る訓練を重ねた。
そこには、一つの想いもあった。
―――誰かを本気で愛し、愛されたい。
そのためだけに、ボクは今まで生きていた。
舞姫が好きだ。
友だちと言われた時の、嬉しそうな顔が好きだ。
いちごミルクを飲んだ時の、幸せそうな顔が好きだ。
ボクを心配する顔が好きだ。
彼女の全部が、好きだ。
舞姫が―――鳳凰虚が好きだ。
愛を教えてくれた、彼女が大好きだ。
「あっ、そうだ! さっき、なんでもするって言ってたよね」
「え? うん。言ったけど……?」
虚が、悪戯っ子みたいに微笑む。
「私とデートしてよ」
「……へ? あっ、ええ!?」
(デート!?)
あわあわ慌て出したボクを横目に、嬉しそうに続ける。
「一回やって見たかったんだあ、友だちと街でお買い物!」
「……………………」
……………………………そっちか。
うん。まあそうだよね。虚だもんね。うんうん。あは、あはははははははは……。
「ウン、イイヨ」
「ほんと? やったあ!」
嬉しそうな虚。可愛い。
(まあ、いっか)
虚が嬉しそうだから。
今はまだ、“友達”でいいよ。
「そいえばさ、神楽坂光貴を殺そうとした動機って、神楽坂財閥の御曹司だからでいいの?今更だけど」
「ほんとに今更だね……多分そうだと思うよ。詳しくはボクも知らない。頼んできたのXさんだし」
「Xさんって、あの黒いコートの性別年齢何一つわからない?」
「そうそう、あの狐の仮面の!」
そんなことを話しながら、ボクらは第三体育館を出た。え、傀儡たち? 知らなーい。




