6.導きの光
目が覚めたら、もう見慣れてしまった宿屋の天井が視界に入った。
(夢……)
硬いベッドの感触が、今いる現実を思い出させてくれる。
いつの間にか泣き疲れて眠っていたらしい。今見た夢はあの王宮での数少ない温かな記憶だった。
だが不思議なことに手の温もりがそのままだ。……しかも握られている。
視線を動かせば、自分の手に骨張った男の手が重なっていた。何度も手のひらにできた豆をすり潰して分厚くなったその手は、壊れ物を触るようにやんわりと彼の手を握っていた。
「ん……ああ、起こしちまったか、"ランディ"」
彼の……ランディの手を握っていたのは、ジェイラスだった。この部屋はジェイラスとの相部屋だ。だから彼が部屋にいても不思議ではないが、彼のベッドは隣にある。
ジェイラスはベッド脇に置かれた椅子に座って、ランディの手を握りながら、ウトウトとしていたようだ。
「……手……どうして……」
「お前が寝ながら泣いていたからな」
ジェイラスは手を離し、ランディの頭を優しく撫でた。
「何か、嫌なことでもあったのか?」
「……違う。……そんなんじゃない……」
思い出したらまた泣けてきた。ランディは顔を隠すようにシーツを手繰り寄せた。
「ただ……初恋って実らないものだなって、思い出しただけ……」
「そうか……俺の時もそうだったな」
ジェイラスはぽつぽつと話し始めた。
「昔、上手くて安いパン屋に綺麗なお姉さんがいたんだ。俺はその人に一目惚れして、毎日のようにパンを買いに行ったことがある」
「そうなの……?」
「ああ。ちなみに俺の弟も同じように惚れてよ、どっちが彼女を先に落とすか、馬鹿な勝負をしたりしていたよ」
「それで……どうなったの?」
「彼女はまったく別の人と結婚することになって、俺たち二人は両者とも負けちまった」
昔を懐かしみながら笑い話を話すように、ジェイラスは語ってくれた。
「……そうなんだ、残念だったね」
「まぁな。でも、今でもそのパン屋は残ってて、夫婦でやってるぞ?」
「……それってもしかして、あの角のパン屋の?」
「そうそう、あそこだ」
「え、だってあそこはおばちゃんがやってるじゃん!」
「ガッハハハ、昔は綺麗な人だったんだよ」
あのふくよかなおばちゃんが!? とランディは軽い衝撃を受けていた。あのパン屋は夫婦がとてもいい人たちで、結構繁盛していた。
ランディもよくジェイラスに連れられて、パンを買ってくれた。
「初恋なんてこんなもんだ。お前も、いつかこういう風に話せるといいな」
にぃといつもの顔で笑って、ジェイラスは自分のベッドのほうに向かった。夜中を過ぎた頃でまだ朝は遠い。
「おやすみ、ランディ」
「うん、おやすみ。ジェイラス」
ジェイラスのおかげで少し心が軽くなった。そんなランディの姿を見て、もう大丈夫だと思ったのだろう。ジェイラスはベッドで眠り始めた。
(……ジェイラスみたいに……話せるようになれるかな)
目を閉じたら再び記憶が蘇ってきた。
(……リナルドは優しい奴だ。だから、あの子のことも、大切にしてくれるはず……)
それにこの婚約で、きっと公爵家は守られるはずだ。
……一年前、第一王子を守れなかった公爵家はその責任を負って処罰を受けたと聞く。
これも自分のせいだ。自分の行動で下手をすれば一家諸共死刑になりかねない事態を引き起こしてしまったことに気付いて後々後悔した。
陛下の恩赦により、それを免れたようだが、公爵家が失脚したも同然だった。
(おれに優しくしてくれた人たちだったのに……おれは恩を仇で返してしまった……)
ユーインには自分が飛び降りるところを見られている……それも含めて今回の元凶である自分はオルブライト公爵家から恨まれていてもおかしくない。
……あの時、公爵家の嫡男であるユーインの左眼を奪ってしまった時でさえ、彼らは揃って悪くないと言ってくれた。……そんな彼らだ。もしかしたら、恨んでなどいないのかもしれないが、それでも彼はそう思い込んだ。
(もし……あの時、飛び降りなければ……)
――自分は第一王子のままで、あの子との婚約も、自分に回ってきたりしたのだろうか? あの聖女の再来と呼ばれている彼女と。
(いや、ないか。きっと陛下が許さなかっただろうな……)
運命はきっと何も変わらなかったかもしれない。あの場で生き残って戻れたとしても、自分はきっと王宮の隅に軟禁されたまま、いない者として扱われたことだろう。
(なら……今の方がいい……)
隣のベッドで眠る大きな背中を見つめてから、ランディは静かに目を閉じた。
「――だから前から言ってるだろ?」
声が聞こえてきて目が覚めた。どうやら朝になったようで窓からは日の光が差し込んでいた。
(話してるのは、ダグとジェイラス?)
部屋の扉が半開きだった。どうやら廊下で二人が話しているようだ。ベッドから起きてそちらに向かった。
「お前、いつまであいつをこのパーティに入れておくつもりだよ?」
「ランディのことなら、ずっと入れておくと前にも言っただろ?」
(えっ…………)
聞こえてきた会話にランディは思わず口を塞いだ。声はなんとか出なかった。
「無理に冒険者をさせてやるなって言ってんだよ。この仕事がどんなに危険か分かってんだろ?」
「分かっている。だから何かあれば俺が守るつもりだ」
「そう言って、結局昨日は俺が助けてやったじゃないか」
……確かに昨日はダグに助けられた。ダグがいなかったら、ランディは危なかったかもしれない。
「いくらD級に上がったからとはいえ、あれはまだ子供だ。はっきり言って子供は足手まといだろ」
「そう言うが昨日はお前もランディと一緒にオークを倒していただろ?」
「そりゃ、そうなんだが……あれは仕方なくやったんだ」
イライラと頭を掻きながら、ダグはさらに続けた。
「ジェイラス、あいつはお前の弟じゃない。弟を重ねるなって言ってんだよ……」
「分かっている……」
ジェイラスが珍しく苦渋の表情をしていた。
(おれ……足手まとい? おれ、居ない方がいい、のか……?)
ダグの言葉が心に深く突き刺さった。
ダグがそんな風に思っているなんて思わなかった。
「……ランディ? お前起きてたのか?」
「あっ……」
気付けば扉が開かれて、ジェイラスが部屋に戻ろうとしていた。部屋の入口で聞き耳を立てていたことがバレた。
「おい待て、ランディ!!」
気付けばランディは部屋を飛び出していた。
(おれ……ここにも、ここにも居たらいけないんだ!)
外まで飛び出して逃げるように走る。……どこにも行くあてなんてないのに。
「――捕まえた」
「わっ!?」
腕を掴まれて転びそうになった。だが掴んだ手が子供の彼を軽々と支えた。
「俺の足から逃げられると思うなよ?」
ランディを捕まえたのは、ダグであった。
「ダグ、なんで……」
「いや……話聞いてたなら、ちょっと誤解されそうだったからさ……。なぁ、一緒に朝飯食いに行こうぜ」
決まりが悪そうに顔を逸らしながらも、ダグはそう言った。




