1.導きの光
結末の決まっている話です。
「あぁ……ぁ……」
目の前で起きている惨劇が悪夢であれば、どれほどよかっただろうか。悪夢を見て苦しむのは自分だけで、夢から覚めてしまえばすべて何事もなかったように終わるのに。
幼い少年はただ、震えながらそれを見ているしかできなかった。
「ぐあああ!」
目の前で戦っていた騎士の一人が魔物の爪で掻っ切られて死んでいった。
「やめろ、やめてくれ! どうして味方を攻撃するだ……! うわああああ!?」
魔物の攻撃をいなした騎士に向かって、別の騎士が剣を突き立てた。
魔物の黒い血と人間の赤い血が飛び散りあう。まさに悪夢のような光景が現実に起こっていた。
先程、魔物たちが襲いかかってきた。騎士たちが勇敢に立ち向かい、魔物を撃退しようとしたが、その時に味方から攻撃を受けたのだ。
同士討ちが起こってしまったことで騎士たちは混乱し、その隙を突かれるように魔物たちがなだれ込んできた。
もはやこの場では誰が味方かも分からない状況となってしまった。
「殿下! 私の側を絶対に離れないでください……!」
震えていた少年の前で、銀糸の髪が揺れた。
左眼に眼帯をした年若い騎士は少年を護るように立ち回り、魔物を斬り伏せた。
「《聖騎士》である私ではなく殿下を狙っているのですか? 一体どうして――」
「――ユーイン!」
少年の声にユーインは死角からの剣撃を盾でなんとか弾いた。……片目を失ってからユーインには死角が増えてしまった。
「なぜ、仲間を攻撃するのですか! 答えてください!」
ユーインを切り付けてきたのは彼の同僚の騎士だった。彼はユーインの言葉に答えることなく、剣を向けてきた。
「……申し訳ありませんっ!」
ユーインは動揺をしながらも、その同僚を斬り伏せた。
「はぁ……はぁ……」
「ユーイン……大丈夫か?」
「はい……問題ありません」
ユーインは気丈に振る舞っていたがその手が震えていた。震える手で握る彼の剣が赤く濡れていた。
すでに魔物の黒い血に濡れていた剣はその血と混ざり合って赤黒い色となっていた。
(……おれのせいか?)
自分を護らなければ、ユーインが仲間を殺すなどということをしなくて良かったはずだ。
(おれがここにいるから、こんなことになったのか?)
魔物は自分ばかりを狙ってきている。仲間を攻撃した騎士の多くも自分を狙ってきていた。
この惨劇の元凶は自分ではないだろうか?
(そうだ、きっと、おれのせいだ……おれのせいだ、全部全部全部全部! おれのせいだっ……!!)
――なにせ自分は周囲に死を振り撒く呪いの子だから。
「……!? 殿下! どこに行くんですか!!」
彼はユーインの元から離れた。……もう彼の側にいるべきではない。
「いけません! そちらに行っては! お願いです!!」
ユーインの静止の声を振り切って一直線に走る。目指す場所はもう決めていた。
切り立った崖の向こうに、彼は一切の躊躇もなく飛び出した。
「あ……」
身を投げ出した瞬間、本当に空を飛んだかのような浮遊感があった。だがそれも一瞬のこと。すぐ重力に従ってその小さな体は落ちていく。
「――サディアス殿下!」
落ちていく最中に自分に向かって手を差し伸ばすユーインの姿を見た。
どうして彼はあんなに必死になって自分を護ろうとするのだろうか? 自分の近衛兵だから?
(その左眼を奪ったのはおれなのに)
唯一残った右眼のアイスブルーに自分の姿が映り込んでいた。
漆黒の闇のような黒髪と、血の色をした赤黒い瞳。
呪いの証だと言われた、不気味で不吉な色を纏った己の姿。
(ユーインだけでもいいから……生きていてくれ……)
彼は願うように目を閉じた瞬間、水面に全身を打ちつけた。崖下にある川に落ちたのだ。
落ちた衝撃で全身が痛い。冷たい水が身体から容赦なく熱を奪っていき、激しい激流がその小さな体を押し流していく。
(……このまま死ぬんだろうな)
それでいいと思った。自分はいないほうがいいのだから。
――そうして彼は意識を失った。
◆◆◆
「あんたのお母さんはね、自分が死ぬことを知っていたんだよ」
神託の儀が終わった後。父に言われたことに落ち込んでいた彼に向かってそう教えてくれたのは、夕焼けの髪を持つ麗人の女騎士だった。
「おれの母さんが?」
「そう。セレナは《占星術師》だった。あんたのお母さんには、未来が見えていたんだよ」
彼女は黒髪の頭を優しく撫でてくれた。まるで彼の母親の代わりをするように。
「陛下や周囲はあんたを産むことに反対していた。でもセレナはその反対を押し切ってあんたを産むことにしたんだ。……例え自分の命と引き換えにしてでもね」
瑠璃の瞳が彼を映していた。その瞳の色はこの国ではさして珍しくもなく、庶民の多くが持つ色だ。
それでも、彼女の瞳は綺麗な色をしていた。
「……だから、己を責めるな」
そこに彼を恨む色はない。慈愛に満ちた眼差しで彼を見ていた。
「そして胸を張って生きるんだ。……きっとセレナもそう望んでいるはずだから」
かつて第一王妃の近衛兵をしていた騎士が、彼に向かってそう言った。
◆◆◆
「…………はっ」
全身を巡る鈍い痛みで彼は目が覚めた。周囲を見渡すと知らない部屋だった。寝心地の悪いベッドに寝かされており、部屋も少し薄汚い。……王宮ではないことは確かだ。
「おー、目が覚めたみたいだな!」
軋む音と共に扉が開いて、一人の男が入ってきた。
歳は三十代ぐらいだろうか。日焼けした黒い肌に鍛えられた筋肉には幾つもの古傷が刻まれている。
「よかったよかった! 坊主を川辺で見つけた時はどうなることかと思っていたよ。あとでお前を治した治癒士に礼を言っとくといいぞ」
にぃ、と男は満面の笑みを浮かべた。
「ジェイラス、扉開けっぱなしだぞ?」
「おお、ダグ! いいところに来たな、坊主が目を覚ましたぞ!」
「そいつは良かったな、リーダー。俺が見た時はもう死んでるかと思っていたが」
ひょろりとした細身の男が彼の視界に入ってきた。
「はっはっはっ! だが彼はこうして生きているぞ! お前の観察眼は意外と当てにならんな!」
バシバシとダグと呼んだ男の背をジェイラスと呼ばれた男が叩いていた。力強く叩いていたせいか、ダグは少しよろけていた。
「……おれを、助けてくれたのか?」
「ああ、そうだぞ。坊主、名前は?」
「おれは…………」
そこで自分の名前を言おうとして、出来なかった。……呪われた子の名前を名乗りたくなかった。
「ない。名前なんて、ない……」
「……そうか、分かった。ちなみに俺はジェイラスだ、よろしくな! 隣のやつはダグって言う、俺の仲間だ」
「……おう」
彼の言葉に対して気にもしないで流して、ジェイラスは自己紹介をしてくれた。
「何があったか知らないが、命が助かってよかったな。きっとお前の運がよかったんだろう」
「運がよかった……」
確かにあの崖から落ちて生きていたから、彼は運がよかったのだろう。
(……まだ、死ぬ時じゃないのか)
ここで死んでしまってもよかった。しかしデミスの迎えは来なかった。
……なら、自分は生きるべきだろう。母が命と引き換えに自分を産んでくれたのだから。
「しかし、名前がないって言うのは困るな……よし! お前のことは"ランディ"って呼ぶがいいか?」
「おい、その名前って……」
「いいだろ、別に。それに覚えやすいしな!」
何か言いたげなダグに、ジェイラスは笑いかけて流した後に、再び彼を見た。
「坊主もそれでいいか?」
「……好きに呼べばいい」
「そうか! ならよろしくな、"ランディ"!」
ジェイラスはにぃと笑った。まるで太陽のような明るさの笑みだった。
――それが彼と、ジェイラス率いるC級冒険者パーティ【狼の剣】との出会いであった。




