8.始まりの嘘
「リナルド殿下、この度はメリナ様との正式な婚約、誠におめでとうございます」
美しく成長したかつての婚約者が、リナルドに向かって祝辞を述べた。
「ありがとう、エステル」
リナルドは顔に笑顔を貼り付けて礼を述べた。
今宵開かれた久しぶりの宮廷の夜会で、二人はまた茶番を演じていた。
先日断罪したウェスレート侯爵の事件に伴う、事後処理だった。
エステル・オルブライトとの婚約は円満に解消され、新たに真実の愛を共に見つけた"聖女"メリナ・ダレルと婚約したという証拠のために。
「あ、あのエステル様、私は――」
「メリナ、どうした? まさか私が元婚約者を好きだと見えるか? そんなわけがない、私は君のことをこんなにも愛しているというのに……」
「ひぃ……わ、分かりましたから! 何でもありません……!」
何かを口走ろうとしたメリナに、愛の言葉を囁いて黙らせる。……今エステルを見つめようとしたのは見逃さなかった。ここでまた目が焼かれて騒がれては困る。
「リナルド殿下は本当にメリナ様を心から愛していらっしゃいますね。幸せなあなた方の姿を見ていると婚約を解消してよかったと思いますよ」
本当に心からそう思っているかのような、実にニコニコとした楽しそうな笑顔を、元婚約者であるエステルは終始浮かべていた。
「君が実に楽しそうで、私も嬉しいよ」
夜会が終わった後に合流した部屋で、開口一番にリナルドはそう言った。
「あはは、すみません! だってあんな……あんなメリナに対してでれでれ甘々な、あなたを見るのがつい面白くって……!」
「護衛依頼の時も見せていただろう」
「あれよりレベルが上がってましたよ。まったくどこでそんなものを覚えてきたのですか?」
何がおかしいのか、エステルは腹を抱えて笑っていた。あまりにも淑女らしくない、はしたない笑い方。……今まで見たこともない、本当の彼女の姿。
「……うつけを演じるために何回か娼館に通っていたからだろうか」
「あの噂、本当だったんですか……まだ十六にもなっていない頃から行っていたなんて」
「元婚約者がふしだらで幻滅したか?」
「どうせあなたのことだから、節度を守って通っていたのでは?」
対して気にもしないで、さらりとエステルは言った。リナルドのことをよく理解しているとも言えるが……元婚約者にしては面白くない反応だ。
「……さて、それはどうか分からないぞ」
リナルドはエステルに近付くと、彼女の銀糸のような髪を一房手にした。毎日手入れされている髪は指通りが良い。
「エステル。君もメリナのように、愛を甘く囁いて欲しかったか?」
その銀髪に口付け――ようとしたところで手首を掴まれた。
「リナルド殿下、お戯れはおやめ下さい」
「…………冗談だ」
手を離せば、指の隙間をすり抜けていくように銀糸の髪が離れていく。
掴まれていた手首も外された。……握られた手首は少し痛みで痺れていた。
「認識を改めます。本当に遊び人だったかもしれませんね?」
「好きに思っておけばいいさ」
「……本当に遊び人だったなら、ちょっと教えて欲しいことがありますが」
「ほう、なにが気になるんだ?」
「その……娼館ってどうやって行けばいいでしょうか……?」
……いきなり何を言っているんだ、自分の元婚約者は?
思わずリナルドは本気で睨んでしまった。
「君はそういう趣味があったのか……知らなかったよ」
「いやそうではなく。いえ、わりとそうとも言えますか? ちょっとエストとして振る舞うために一度くらいは行っておいたほうがいいかと思いまして」
……どうせそんなことだろうとはリナルドは思っていた。彼女のもう一つの顔、S級冒険者のエストは男性として通っている。大方性別偽装の為にしたいのだろう。
《女神の寵愛》……ラヴィーユが彼女に与えたその力はまさしく彼女だけを寵愛した力だった。エステルがその力の真意に気付いたのは、なんと十歳の頃だったという。自身に魔法を掛ける機会がなく、なかなか気づかなかったらしい。
その力に気付いてから彼女は冒険者を始めることにし、たった二年でS級まで登りつめたのだ。
「こんなことをよく私に聞けるな?」
「こんなことを聞ける人があなたしかいないんですよ! だってあなたしか私の正体を知らないんですから! しかもそんなあなたが娼館について詳しいとなれば聞くしかないじゃないですか!」
「君は馬鹿なのかと言ったんだが?」
「私は大真面目ですよ!」
ムスッとした表情でリナルドを睨んでくる。こんな表情すら今になって初めて見る。
「というかあなたに言われたくありません。同じような理由で娼館通いをしていたあなたに」
流石に言い返せなくてリナルドは目を逸らした。
……リナルドとエステルはよく似ていた。背丈も性格も嘘つきなところも。
婚約者同士の時、互いに隠しごとをしないと言ったにも関わらず、結局二人揃って隠しごとをしていたのだから。……だからうまくいかなかったのかもしれない。
「それで教えてくれませんか?」
「そんなに性別を隠したいのか?」
「ええ、もちろんですよ」
「……嘘だな。単純に行ってみたいという興味本位が半分あるだろ」
「……どうして分かるのですか。あなたに私の嘘は見抜けないはずでしょう?」
「九年も共にいればこれくらいの嘘は能力もなしに見抜ける。……あと今の君は非常に分かりやすい」
静寂の令嬢と誰が言ったのか。本当の彼女は静寂なんて似合わない。騒がしいくらいに表情が豊かな人だった。
「顔に出てましたか……こっちの私にも仮面が欲しいです……いや、静寂の令嬢の顔を被ればいいのですか」
今更無表情で取り繕う彼女があまりに滑稽だった。
「……何を笑っているのですか?」
「いいや……それで娼館について教えてほしいのだったか?」
「教えてくださるのですか? リナルド殿下」
いつもの、表情筋が死んだエステルの顔で、返事を返された。一気に昔に戻った錯覚を覚える。しかし、一つ違うのは……。
「代わりに私の頼みを聞いてくれるか?」
「内容によります。頼みとはなんでしょうか、リナルド殿下」
「――その殿下と呼ぶのをやめろ。今更だろう」
ぱちくりと瑠璃の瞳が瞬いた。
「そんなことでよろしいのですか……?」
静寂の令嬢が虚を突かれた表情をしていた。……そんな彼女の表情一つ見れただけで十分だった。
「では、友人としてこれからはそう呼ばせていただきます、リナルド」
「……ああ」
九年と連れ添った元婚約者は、これからは共犯者の友人としての立場に変わった瞬間であった。
「そういえば、兄上はどうしている?」
「ランディですか? ええ、元気にしていますよ」
A級冒険者のランディ。彼の正体はリナルドが探していた行方不明の第一王子サディアス・ラルイットであった。
……実のところ、伝え聞く過去の噂からランディがそうなのではないかと、リナルドはあたりを付けていた。それを確かめるために何度か夜会の招待を送ってみたが、すべて断られていた。
一目見れば分かるはずだったが、なかなか機会がなく……単純に運が悪かったのだろう。結局初めて会えたのはあの護衛依頼での場だった。
「いや……今は元気じゃないかもしれない? 三日前に別れた時は泣かれましたから……」
「……何をしたんだ」
「誤解しないでください! 私はただ三日ほど野暮用で居なくなると言っただけで、たったそれだけでどこにも行くなと泣きつかれたんですよ!」
この三日ほどはあの茶番のためにエステルには居てもらわなければならなかった。だから、彼女は普段している冒険者業に休みを入れてこちらに来てくれたのだろう。
彼女は困ったようにため息を付くも……本当に困っている様子ではないようにリナルドには見えた。
「兄上にはずいぶんと好かれているようだな」
「好かれているというか……なんというか……。親がいないと不安になる子供のような感じだと思います」
「なら、親離れができるといいものだな」
「ええ……そうですね」
そう言ってエステルは笑った。……それはリナルドに向けられたものではない。きっと彼を思っての笑みだ。
――その笑みは今まで見てきた彼女のどんな表情よりも、眩しく見えた。
「……馬鹿だな」
彼女が去った部屋で一人、リナルドはため息と共に呟いた。痺れの引いた手首をさすってから、彼はソファから立ち上がった。
その後リナルドはその部屋から出て、ある部屋に向かった。
「――何をしている」
「…………あっ」
その扉を開いて目に飛び込んで来たのは、窓から逃げ出そうとしているメリナの姿だった。
ここは彼女に与えた部屋だった。ベッドのシーツを結んで縄にするというよくある手を使って窓から飛び降りようとしていた。
「馬鹿がっ! この窓から飛び降りたら最悪死ぬぞ!」
「やめて、離して!」
窓からなんとかメリナを遠ざけ、押さえつけた。ここは三階の高さがある。まさか窓から逃げ出そうとは思わなかった。
「まったく……油断も隙もない女だ」
様子を見に来て正解だった。彼女の《魅了の祝福》のせいで見張りの人間すら側に置けない。だから基本的に部屋に閉じ込めていた。世間はリナルドがメリナを溺愛するあまりの行動だと思っている。
「何が気に食わない。豪華な食事も綺麗な服も煌びやかな宝石もある。君が望むものは与えてきたつもりだが?」
「……こんな、こんなのは望んでなかった……。自由なんてないじゃない、あなたに利用されてばっかりだし!」
メリナは抵抗を諦めたのか、脱力しその場に座り込みながら泣き始めた。
「それは君の想像力不足だ」
リナルドは足元で泣く女を見下しながら続けた。
「今回もそうだ。もし逃げ出せたとして、《魅了の祝福》持ちの君を私がそのまま放置すると思うか?」
「何もしないから、放っておいてよ……」
「そう君が言ったから拘束を外してやったのに、逃げ出そうとしたじゃないか」
拘束具を外した時、メリナは嘘を付いていなかった。ただその時は嘘を付かなかっただけで、途中で気が変わったのだろう。
今の彼女の言葉にも嘘がない。心からそう言っていると分かる。
だが、メリナは咄嗟の思いつきで動く。後先は考えず今だけを考えて動くから、その時嘘を付かなかったからと言って油断ができない。
窓は開かないように打ち付けてしまおうか? と考えながら、リナルドはしゃがみ込んだ。
「私は嘘つきな人間は嫌いだ。二度とするな」
「……あなたが言うの? 私のこと愛してもいないくせに」
メリナの薄桃の瞳がリナルドを睨み付けた。
……その目にくらりときた。甘い蜜に誘われる虫のように。メリナに対して好意を抱いた。しかしそれは植え付けられた偽物の感情であると真実が告げている。
「くく、面白い冗談だ。私は君のことを本当に愛しているのに」
甘ったるい笑みと共に囁いて、メリナを優しく抱き抱えた。……ああ、まったく。どちらが滑稽なのだろうか。自分でも笑ってしまうくらいだから、今の自分を見て彼女が大笑いするのも無理はない。
「また逃げられては困る。今日は一緒に寝よう。……そうだ。一晩君の頭を撫でながら、愛を囁き続ければ流石に信じてくれるか?」
「……嘘つき。絶対信じない」
(……ああ、そうだな)
――そう、リナルドは嘘つきだ。
《真実の祝福》を持ちながら、嘘をつくような愚か者だ。
(私はどうしようもないほどの、嘘つきな愚か者だ)
今日も彼は嘘をついた。きっと彼はこの先も嘘をつき続けるだろう――証明しなければならない真実のために。
リナルド視点の過去編でした。本編の補足として書きましたが意外と長くなりましたね……。私は嘘つきが好きだなと改めて思いました。
ここまで毎日更新でしたが、次回更新は少しお時間頂きます。
次回はランディの過去編を予定してますが……色々と覚悟しておいてください。




