7.始まりの嘘
そうしてリナルドとエステルは婚約が国王陛下より発表された。
人々は王太子と聖女の婚約に歓喜し、二人を祝福し、この国の未来は明るいものであると疑うことがなかった。
「初めまして、リナルド殿下。私はエステル・オルブライトと申します」
婚約者として初めての顔合わせの席で、彼女は実に見事な淑女の礼をリナルドに向けた。
「……ああ」
眩しい人だ。相変わらず彼女には後光が差している。リナルドは直視することが出来ず、思わず顔を逸らした。
……彼女が一瞬戸惑うような表情を見せた気がする。それでいいとリナルドは思った。彼女から愛される必要はないし、今から言うことはもっと彼女を傷付けるものだ。
「私は君を愛することはきっとないだろう」
婚約者同士の顔合わせの席で、真っ先に言う言葉ではない。あまりにも非常識な言葉をリナルドは容赦なく言い放った。……だが、こうしなければならない。
(私はあなたの物に手を出すつもりはありません。――女神ラヴィーユよ)
言葉の裏に隠した真意は女神ラヴィーユへの意思表示だった。祈るような気持ちで彼女を……正確には彼女の後光を見た。するとわずかに光が弱まったかのように感じ、半目であれば彼女を見られるようになった。
……神ならばきっとこの言葉の意味を理解してくれると思っていたが、どうやらうまく伝わったようだ。リナルドは心の中で安堵した。
「まぁ、そうなのですか」
そしてやっと見ることが出来た彼女は……たった今愛することはないと告げられた婚約者は、対して驚きもせずに受け入れていた。
(……なんで驚きも悲しみもしないんだ)
思わずマジマジと彼女を見てしまった。
銀糸の髪は緩やかなカーブをしており、触ったら柔らかそうだった。瑠璃の瞳は美しく、しかしあまり表情を映さない。ただ鏡のようにリナルドを写し込んでいた。
(……天使みたいな子だな)
思わずそんな感想が、リナルドの頭をよぎった。
「なぜ、怒らない?」
「怒る……? あなたのほうが怒っていらっしゃるのでは?」
半目で見ていたせいか。きっと彼女からは睨んでいるようにしか見えないだろう。
「私に聖女の力がないから、私との婚約が本当は嫌なのでしょう?」
「……ふん」
リナルドはあえて肯定も否定もしないで、目を逸らした。
「そういう君はどうなんだ?」
「私は……別に構わないと思っています」
彼女は手を胸に置いて、目を閉じながら告げた。
「公爵家の娘として、私はこの婚約を受け入れましたから」
……その言葉の真偽がリナルドには分からなかった。いつもなら他人が本当のことを言っているのか、嘘をついているのか、分かるというのに。
きっと《女神の寵愛》が真実を覆い隠しているのだ。
「あなたもそうでしょう? リナルド殿下」
「……当然だ。国王陛下がお決めになったことだからな」
するとわずかに彼女が微笑んだ気がした。なぜ笑うのか、分からなかった。
「私、素直な人は好きですよ」
「そうか。……私もそうだ」
昔からそうだ。嘘をつく人間が嫌いだった。素直で正直な人が好きだ。
(君は、どちらなんだ。エステル・オルブライト)
だから、彼女が自分の婚約者がどちらなのか分からないのが、何より恐ろしかった。
「なら、これからはお互いに隠しごとなく行こう。そうすれば、うまくいくかもしれないな」
「そうですね。ではそうしましょうか」
――嘘だった。リナルドは隠しごとを打ち明ける気持ちはまったく無かった。
元より、いつかこの婚約は解消するつもりだった。すべての罪が明らかになったその時に。
だから、彼女にすべてを打ち明ける必要などないだろう。もしリナルドに何かあった場合、彼女を共犯者と見られても困る。互いに切り捨てられる存在であるべきだ。
「これからよろしくお願いします、リナルド殿下」
「……呼び捨てでいい。仮にも私の婚約者だろう? 自覚がないのではないか?」
「これは失礼しました。ではそのようにします、リナルド」
そう言って彼女はリナルドの言う通りにしてくれた。
望まない婚約と、自分のことを愛することはないと言った婚約者に対しても、普通に接しあまつさえ寄り添おうとしてくれている。……実にあのオルブライト家の令嬢らしい。
(……やはり、眩しい人だ)
――それはあまりにも、遠くで輝く、美しい光のように見えた。




