43.迅剣と呼ばれる理由
「……ずっと、憎まれているものだと思っていた」
ランディが自分の手のひらを見つめながら、ぼそりと呟いた。
「あの人があなたのことを憎んだことは、一度もなさそうでしたよ?」
(そう、お兄様はそんなこと一度も抱いていない。ずっと後悔をしていただけです)
兄をずっと苦しめていたのは、あの日護れなかった後悔だけだ。
「だって俺が……あの左眼を奪ったのに……」
ユーインの左眼が無くなったのは、十年前の事件よりも前のことだ。
(剣の手合わせの最中に起きた事故。その相手は当時お兄様が近衛兵を務めていた主君……まだ八歳のサディアス殿下だった)
十年前の事件で死んだことにされた第一王子、サディアス・ラルイット。
そう、実はサディアスは生きていた。今ここに、隣にいるランディこそが、サディアスだ。
(彼の死体は当然、偽物。川に落ちて行方不明になり死体はあがらなかった。きっとウェスレート侯爵あたりが偽物の死体を用意したのでしょう)
似た年頃の子供の死体を使ったのだろう。髪色や目の色は変幻魔法でどうとでもなる。普段ランディだって変幻の魔道具で髪色と目の色を変えているのだから。左耳に付けたイヤーカフがその魔道具だ。
《処刑人》の力を解放すると、その力に負けて変幻魔法が解けてしまうので、今は元の状態になっていたのだ。
「ずっと、俺のせいだと思っていた。……あの事件も引き起こしてしまったのは、俺のせいだと……」
ランディは魔物を引き寄せてしまったのは、自分のせいだと思っていた。しかし、それはすべて仕組まれた出来事だった。
「あなたのせいでは、なかったのですよ」
「そうか……そうだったのか……俺のせいじゃ、なかったのか……」
ランディは肩を震わせながら、静かに泣いていた。
エストが十年前の真相を求めたのは、家と家族のためだけではない。ランディのためでもあった。
「ずっと……呪いの子だと、言われてきた……不運もそのせいだと……」
「確かにあなたは強い死の力を持ちますが……呪いの子ではありません」
彼の背に手を伸ばす。震えを宥めるように、優しく背中を撫でた。
「誰がそう言うなら、僕が否定しますよ」
「…………ありがとう、エスト」
泣きながらも、ランディが微笑んだ。
「やっぱり、あなたは笑っている方が素敵ですよ」
ずっと痛みに耐えるような苦悶の表情を浮かべているよりも、冒険者として楽しそうな笑顔を浮かべているランディの姿のほうが、エストは好きだった。
「お前はまた……そういうことを平気で言う……」
ランディは今度は呆れたように笑った。どういうことかは分からないが、嬉しそうな、幸せそうな笑みでもあったので、エストは深くは聞かなかった。
「エスト兄ちゃん! ランディ兄ちゃん!」
「二人とも、大丈夫ー?」
ランディが落ち着いた頃にレイモンとジャスミンがやってきた。先程までリナルドやユーインたちと、街の被害状況を話していたようだ。
「うわっ血だらけじゃん!? エスト兄ちゃん大丈夫かよっ!」
「ああ、大丈夫です。ちょっと血を多く流し過ぎただけなので」
実のところ、貧血でふらふらしていた。流れた血液だけはどうしようもない。しかし体内の血がすべてなくなったとしても、生きているだろうが。
「それよりランディのほうを見てあげてください」
ランディに大きな傷はないが、細かな小さな傷がいくつも付いているのを、エストは見逃さなかった。
「俺は大丈夫だ! それよりエストを見ろ!」
「オレが扱う魔法より、高位の治癒魔法で治ってるみたいだし、問題なさそうだぜ? まったく……相変わらずすごいぜ、エスト兄ちゃんは」
レイモンは見た目こそ血だらけで驚いていたが、エストの傷口がすでに塞がっているのが分かったのだろう。それより治療が必要なのはランディだと判断して、慌てる彼を宥めながら治療を始めた。
「エスト、エスト!」
その間にジャスミンがエストに近づくと、小声で話し始めた。
「胸、胸出てるから」
「えっ……」
エストは言われて気付いた。慌てて胸を見る。
血を吸って赤く染まった服は、剣で裂かれた穴が空いていた。――当然、胸を潰すために巻いていたサラシも破れている。そこそこある胸の膨らみが、圧迫から解放されていた。
「大丈夫、二人は気づいてない。他の人も気付いてなかったと思うよ」
慌てて服を引っ張って胸を隠すエストを前に、ジャスミンは驚くことなくそう言った。
「あのジャスミン、これはその……」
「ふふ、実はあたしはわりと前からそうなんじゃないかって思ってたから」
「え……」
「――女の勘ってやつよ!」
ジャスミンはにやりとした笑みを浮かべた。
……どうやら彼女はエストが女性であると、見抜いていたようだ。女の勘と言われたら、なんとなく納得してしまった。
(そっか……ジャスミンは知っていたのですか)
ジャスミンに性別はバレてしまったが、逆にホッとした。少しだけ隠しごとが減ったからだろうか? 秘密をすべて隠し通すことは心の重荷になっていたのだろう。それが少し減ったのが嬉しかった。
「ランディの治療も終わったみたいだし、宿屋に帰ろっか。その服も着替えた方がいいし!」
「……そうですね」
宿屋も被害を受けていたからゆっくり休めるか分からないが、一先ず彼らは戻ることにした。
「それにしてもさ、オレよく分かんないんだよな。護衛依頼はここまでって言われたけど、常闇の森のことはいいのかよ。元々あそこの調査に行こうとしてただろ?」
黒幕であるウェスレート侯爵は捕まった。しかし、彼はメリナを狙い、暗殺を企てていただけで、確かに常闇の森の異変とは関係がないように見える。
「ああ、その件なら、もう僕が片付けておきましたよ」
「「「……えっ?」」」
パーティメンバーが一斉にエストを見た。
「護衛依頼を受けてすぐに常闇の森に乗り込んで、元凶を排除しておきました」
「……えっ、それって一週間前に?」
「はい」
――エストがなぜ、常闇の森の異変がスタンピートではないと断言できたのは、これが理由だ。
すでに常闇の森の異変の元凶を知っており、それを排除していたからだ。
「護衛の為に、危険なものを先んじて排除しただけに過ぎませんよ」
(お兄様を危険な場所に行かせるなんて、できませんでしたからね!)
そう、エストは兄の安全の為に露払いをさっさと済ませていたのだった。
「嘘でしょ……」
「んな、無茶苦茶な……」
「……くっ、アッハハハハハハ!!」
驚きで絶句する双子の隣で、ランディが大声で笑い声をあげた。
「さすがは【迅剣】のエストだ! やっぱりお前は最高だ!」
ランディはいつものように、エストの肩を組んだ。……やっぱり、彼がこうして楽しそうに笑っている姿が、一番似合っていた。
「あのリナルド殿下、これは一体……」
「あいつ、やりやがったな……!」
――後日。常闇の森で見つかったA級の魔物、ドラゴンの死体を前に、途方に暮れる調査隊がいたという。
S級冒険者である【迅剣】のエスト。【迅剣】と呼ばれる理由は、剣の速さだけではない。依頼を迅速に達成するその手腕が由来でもあった。
 




