33.紛れ込んだ毒
「……本当なのですか?」
「私は《鑑定士》の【恩寵】持ちだ。〈分析〉した結果、この紅茶に毒があった」
思わずエストは自分のカップを見る。……この紅茶にも毒が入っているというのか。
確かにリナルドは《鑑定士》の【恩寵】持ちだ。リナルドの持つ属性が水なのもあり、その【恩寵】が、智恵と水の神メレニアからの授かり物だとよく分かる。
王族の【恩寵】は強い【恩寵】以外は基本的には秘匿されている。
しかしエストは元婚約者だったので、彼の【恩寵】は知っていた。
「……そんな、どうして」
メリナは恐怖で震えながらソファに座り込んだ。
「ユーイン、君がこれを持ってきたな?」
「……私は部屋の入り口でジーンから渡されまして……彼は厨房からこの紅茶を頂いてきたかと思われますが」
「……君が毒を入れたわけではないな?」
リナルドがユーインを疑うように見ていた。
確かに紅茶を注いだのはユーインだった。
「いいえ、断じて入れておりません」
「……分かった。ジーンにも話を聞きにいく」
「私も着いていきます」
「ま、待って置いて行かないで」
リナルドはユーインとメリナを引き連れて、部屋を出て行った。
(……まさか、こんなことになるなんて)
エストは、テーブルに残された自分のカップを手にした。――そして躊躇なく、飲み込んだ。
(ふむ……確かにリナルドの言う通り、毒が入ってますね)
飲んだ瞬間、身体の中が僅かに熱を持った。《女神の寵愛》が毒を飲み込んだ時、その毒を無効化するとこのようになるのだ。
今までも公爵令嬢として招かれた茶会などで毒を飲んだことがある。その時もこんな感じだった。
「お前! なにやってんだ!!」
「――え? アッェ!?」
……そういえばこの部屋の壁際にランディがいたことを忘れていた。
ランディが慌てた様子で、エストの口に無理矢理指を突っ込んで、今飲み込んだ物を吐かせようとした。とても苦しい。
「アガッ!? グエッ! ……や、やめてください! 死なない! この程度の毒で死にませんから!!」
ランディの腕を掴んで〈身体強化〉で、こちらも無理矢理引き剥がした。
「……本当か?」
「ゼェ……ハァ……本当です。じゃなきゃ、毒が入っていると分かってて飲み干したりしませんよ」
まだ懐疑的な視線を飛ばしているが、ランディはなんとか落ち着いてくれた。
「だからといって目の前でいきなり飲むな! びっくりするだろ!」
「すみません、あなたが居ることを忘れてました……」
「お前……」
ランディは忘れられていたことがショックだったのか、傷付いた表情をしていた。
「……あの、色々とすみません」
「…………本当に大丈夫なんだな?」
「ええ。遅効性の毒となると……主流なのは一日経ったら効果が表れるものですね。この手の毒は一日掛けて毒が体内に回るので暗殺向きです。治癒魔法がありますし、解毒薬があるので大したことはないのですが、毒に気付く頃にはもう死んでいることが多いんです。これと同じ毒を過去に何度か飲んだことがあって――どうしました?」
「……なんでそんなにやたらと詳しいんだ。しかも何度もあるのかよ」
「あー……」
思わず目線を逸らす。全部エステルとして経験したことだ。やたらと毒を盛られた時期があり、気になって調べたことがあるのだ。
ちなみに毒を盛った犯人はうまく捕まらなかった。毒を入れた人物は大体捕えたが、よく覚えてない、分からないの連続。
しかも毒を盛るような人物には見えない人格者ばかりで、公爵家に復讐といった関係がある者たちでもない。
全員突発的に入れたとしか思えない様子で、さらに毒の出所は掴めなかった。実に不可解な事件だった。
「過去に色々と。あまり聞かないでください」
「……分かった」
聞いてはダメな過去だと解釈したのか、ランディはそれ以上は聞いてこなかった。別に話しても辛いわけではないが、自分の正体に繋がることなのであまり言いたくはなかった。
「解毒薬があるという話だったが、手に入るか?」
「それならいつも持ち歩いてますよ。僕は効かないですけど、周りで飲んでしまった人がいたらすぐに飲ませられるようにと思って……」
魔法鞄のポーチから、その毒専用の解毒薬を取り出した。小瓶に入った黄色の液体だった。
「じゃあ、飲んでおけ」
「いえ、僕には必要がないですし……」
「飲め」
ランディは小瓶をひったくると、中身を開けて、エストの口元に突き付けた。
飲む気配を見せないエストに、ランディは頭を掴み上を向かせ、そして小瓶を口に捩じ込ませた。重力に従って落ちてくる液体を前に、咽せながら飲み込むしかなかった。
「ゲホッ……これ、結構高いんですよ!」
「なら後で俺が建て替えておく。念の為、レイモンにも〈浄化〉をかけてもらえ」
「…………治癒魔法掛けるなら薬飲んだ意味ないのですが」
エストが薬を飲んだことを確認して、ランディはやっと安心したように息をついた。
大丈夫だって言ったのに……。そんな小言を言いつつ、空になった小瓶を受け取ってポーチにしまった。
「それにしても、この毒は誰が入れた? 何の目的で?」
「推測でしかないですが、狙うとしたらやはり……リナス様とメリィ様でしょう」
王太子とその婚約者。狙うには十分な理由がある。
だが、その二人を殺したところで何の利益がある?
リナルドが居なくなれば次の正当な後継者がいなくなる。直系ではない血筋から探せば居そうだが候補が多く、後継者争いが始まりそうだ。
血みどろの争いをするくらいなら、リナルドの太鼓持ちをして取り入った方が楽だろう。あのリナルドという王子は実に操りやすく見えるのだから。
じゃあメリナはどうかと言われると、彼女は平民上がりの婚約者。真の聖女と言われているが、平民という身分が気に入らない貴族は居そうだ。
しかし、彼女を殺すメリットはあるだろうか? リナルドを狙ったのに巻き込まれたと思うくらいが妥当か?
「お前は?」
「……ん?」
「エストが狙われたとかはないのか?」
「いえ、僕はないでしょう」
公爵令嬢のエステルなら狙われる理由はあるが、冒険者のエストに狙われる理由はあまりない。
何処かで知らない間に恨みを買っていたら分からないが……リナルドとメリナより理由は薄いはずだ。
「そもそもS級冒険者の僕を、たかが毒で殺せると思われているほうが心外ですね」
「……俺は思ったが?」
「あなたは心配し過ぎです」
まったく、なぜ自分の周りはこんなに過保護な者が多いのか。一番の過保護は言うまでもなく女神だが。
はぁ、と溜息を溢しながらリナルドの席に置かれた、手付かずのティーカップを手にした。
「おい、何をしている?」
「あの薬が苦かったので、ちょっと口直しを」
「毒を二回も飲む奴がいるか!! 馬鹿なのか!?」
「あー……勿体無い……!」
――少なくともここにいた。
結局ティーカップはランディに取り上げられてしまった。……せっかく兄が注いでくれたお茶なのに、本当に勿体無い。
その後、リナルドたちが戻ってきた。
リナルドが言うには厨房にいた従業員が入れたものだったと判明したらしい。
『いや、僕は確かにこの袋の粉を入れたけど、なんで入れたのか分からなくて……というかこれが毒とか知らなくて……』
しかし、その従業員の証言は要領を得ないものだった。しかも毒の出所も分からなかった。
(まるで、過去の私の時のようですが……)
色々と疑問が尽きないが……もう一つ気になっていたことがある。
(リナルド……詠唱していませんでした)
彼は〈分析〉の魔法を使って毒が入っていたと分かったようだが……彼は一度も詠唱をしていなかった。
――これは一体、どういうことだ?
確かに毒は入っていたから、彼は嘘をついているわけではないが……それとも最初から毒が入っていることを知っていたのか?
彼はいつ、どのタイミングで毒があると知ったのだろうか……。
(……やっぱり、あの人は読みづらくて困ります)




