3.修道院送り
あの誕生日の夜会から数日後。
公爵令嬢エステル・オルブライトと王太子リナルド・ラルイットの婚約は破棄された。
それどころかエステルは偽の聖女とされ、本物の聖女であるメリナ・ダレルを暗殺しようとしていた証拠が明るみになった。
(完全にでっち上げられましたね)
証拠は必ず出てくるとリナルドは言ったのだから、その通りになっただけだ。
王族が黒といえば、白は黒になるのだ。きっとこうなるだろうと、エステルには分かりきっていた。
(ただ、悪くて投獄だろうと思ったのに、私に課せられたのは、修道院送りとは)
最悪の事態まで想定していただけに、この処罰には少し驚いた。これも自身が腐ってもオルブライト公爵家の人間だからだろうか。
もしくはリナルド殿下の寛大な配慮が働いたか。いや、きっとどちらも働いた結果が、この修道院送りだ。
(まぁ、嘘を付いていたのは本当のことですが、それは王家も同じですからね)
実のところ、エステルの《女神の寵愛》に力がないことに関してだけは王家も知っていたことだ。
《女神の寵愛》があると判明してすぐにリナルドと婚約となったが、後から治癒魔法や強化魔法といった光の魔法の効果が薄いという事実が発覚した。
しかし、周囲はすでにエステルを聖女の再来と喜び、撤回するにもできない空気であった。
そのせいで今、偽の聖女などと呼ばれてしまったが……。エステルは一度だって自分が聖女であると言ったことはないというのに。
聖女と祭り上げられたので仕方なく、国王陛下はこの事実を伏せて、婚約を推し進めたのだ。
たとえ嘘であろうと、オルブライト公爵家の娘だ。王太子の婚約者相手に相応しいという算段もあったことだろう。
貴族の娘として、エステルはこの条件を甘んじて受け入れた。父親のオルブライト公爵だってそうだ。……いや、当時の我が家はそうせざるを得なかった。
リナルドもそれを知っていて、当然受け入れているのだと思っていただけに、今回のこの事件は裏切られた気持ちにもなる。
(いえ、彼は最初から私のことが嫌いでしたね)
『私は君を愛することはきっとないだろう』
婚約してすぐの頃、まだ幼いリナルド殿下に真っ向からそう言われたことを思い出す。
あまりにも真っ直ぐ言われてしまったものだから、逆に好感を覚えていた。
これが国のためであることもすぐに分かったから、たとえそこに夫婦の愛がなくとも、支え合って生きていけるだろうと思えたのに。
愛と光の女神ラヴィーユの元、そんな婚約は許されるのかと言われると、かの女神はあらゆる愛の形を許すので、この程度は許容範囲だろう。
結婚をきっかけに愛が芽生えることは決してないとは言えない。嫌いあっていた者同士に愛が生まれないとは言えない。例えそれが恋愛ではなく、親愛であっても許すのだ。
さらに言わせれば、かの女神は歪んだ愛でも許す。
禁断の愛でも、一方的な愛でも、不倫の末の愛でも、殺したいほどの愛でも。そこに愛があるならば、かの女神はすべてを許す。
今回のリナルドの行動も、メリナに対しての想いが本物なら女神ラヴィーユは許すだろう。
わざわざその女神からの寵愛を受けているエステルとの婚約を破棄してメリナを選んだのだ、本物だと思いたいものだ。
(それにしても……趣味が悪い)
リナルド殿下とそれに寄り添うメリナの姿を思い出して、そんなことを思う。
考えごとをしていたら、馬車が止まった。どうやら目的地に着いたようだ。
使い古されたボロい馬車に乗せられて、揺れること三日。
王都を北に離れたこの山間に、エステルが送られる修道院があった。馬車から引きずり下ろされるように、外に出た。
「この山道の先に修道院があります。我々が付き添えるのはここまでです」
いかにも凸凹して登りにくそうな山道の先を、騎士が指差す。
エステルに対して礼儀正しいのは……きっと優秀な騎士の兄を配慮してだろう。
兄がこの護送について行きたいと言っていたはずだが、姿がないところからしてリナルドあたりに許されなかったとみえる。
今回の一件で我がオルブライト公爵家は醜聞を晒してしまった。
父も母もそして兄も、エステルの身の潔白を信じ、王家に対して抗議をしてくれたが結局その声は届かなかったのだろう。
(大方宰相のウェスレート侯爵あたりが国王陛下に口添えしたのでしょう。あの家は我が家を目の敵にしていたし……)
今回の一件できっと得をしているのはウェスレート侯爵か。思わず王宮内の勢力図を頭の中に広げた。
(……もう王宮のことも、貴族のことも考えなくていいんだった)
広げていた勢力図を破り捨てるように、頭を横に振る。
オルブライト公爵家の威光が陰りをみせてしまったかもしれないが……きっと父たちなら大丈夫だ。
送り出してくれた時も家の心配をするな、自分のことを優先しなさいと言ってくれたのだから。
(だから、私がこれからすることもきっと許してくれるはず)
「ここまでご苦労様でした。ここから先は私一人で行きます」
エステルの労いを聞いて、騎士たちはボロ馬車を引き連れて来た道を戻っていく。
罪人を一人残して行くとは油断が過ぎる。
このまま逃げてしまったらどうするというのか。
いや、罪人の公爵令嬢が逃げたところで後々捕まるのがオチだ。上手く逃げ仰たとして、生活も出来ずに野垂れ死ぬと思われている。
エステルが生きる為に残された道は、この山道を登り切って修道院に行く道しかないのだ。
……まったく、舐められものだ。
騎士たちの姿が完全に見えなくなってから、エステルは山道を見上げた。
(……〈感覚強化〉……周囲に人の気配なし)
……周囲にいるのは動物だけ。鼠のような動物が左の坂道を降りていったがその程度。
エステルは外套のフードを目深く被った。顔を見られることはないだろうが、万が一がある。
(さっさと手続きを終わらせましょう……〈身体強化〉)
トランクを片手に持ち、彼女は一歩を踏み出した。
――踏み出した瞬間にエステルの姿は消えた。
いいや、目にも止まらない速度でエステルは山道を走って上がっていったのだ。
影さえ残さない、通った道に風が起こるほど。普通に登れば二時間は掛かりそうな山道を……彼女はものの数秒で登りきった。
「え……ええ?」
「あぁ、すみません。いきなり押しかけてしまって、それよりここの院長は? 今すぐに会わせてください」
修道院の入口にいた修道女を驚かせてしまった。いきなりエステルが現れたのだから仕方ない。
有無を言わさない彼女の態度に、修道女は本能的に従うように、すぐに院長の元に案内した。
エステルは院長の前に付くと、トランクからぎっしりと何かが大量に詰まった袋を机の上にどんと置いた。袋の口を開けばそれは、大量の金貨であった。
「こちらは寄付金です、どうぞお収めください。……それから一つ、頼み事を聞いてほしいのですが、よろしいでしょうか?」
「な……なんでしょうか……?」
「国への定期報告では私はここできちんと罪を償っていると報告しておいてください。それだけです。もしバレそうであれば、さっさと言っていいです。私に脅されて仕方なくとでも証言しておけばいいでしょう」
「し、しかし、それでは……」
「申し訳ありませんが、私をここに捕らえることは不可能ですので。……そういうことでよろしくお願いします」
エステルは一方的に言い残してさっさと修道院を出ていった。




