20.不運の子
「ふぅ……」
冷たい夜風が気持ちいい。さっきまで宿屋で起きた出来事を収めてくれるような冷たさだった。
エストは宿屋を後にした後、夜の街に繰り出した。本当に花街になんて向かわない。
人目を避けるように建物の屋上に上がっていた。その場所で準備を進めていた。
魔法鞄から着替えを取り出し、それに手早く着替えていく。シャツとズボン姿の軽装から、下町の住民が着るような布のドレスに。
さらに仮面を外した。黒髪のカツラも取り払い、仕舞い込んでいた銀糸の髪をさらす。髪を纏め直して外套のフードに隠れるようにする。外套もいつも使っているものではなく、安物にした。
(これで、よし)
これでエストから、エステルに戻った。
エステルに戻るのは実に一ヶ月ぶりだ。冒険者のエストの部分が出てしまわないように気を付けなければ。
すでに兄のユーインには直筆の呼び出しの手紙を、兄の部屋に滑り込ませておいた。
ユーインならきっとその紙に書かれた文字がエステルの物だと分かるだろう。
その手紙がユーインの手に渡っているのも確認した。手紙を滑り込ませてすぐに、慌てた様子で廊下に飛び出していたのだから。
時間と場所の指定はしてある。日中の聞き込み調査の時にいい感じの場所を見繕った。あとはその場所に行き、エステルとして兄を待つだけだ。
フードを目深く被り、屋上から降りようとした時だった。
(あれって……ランディ?)
下の通りに見慣れたオレンジ色の髪が見えた。
酒場が近いのか、夜にしては人通りがある。その道をランディが歩いていた。
(付いてこないように言ったのに……あの様子だと私を探していますね)
もう少し先の通りに花街があったはずだから、そこに向かっているのだろう。エストを探しているのだろうが、徒労に終わるはずだ。
少しランディのことが気になったが、兄との約束がある。無視して行こう。
「――このクソガキ! まだ生きてやがったのか!」
だが、怒号が聞こえてきて、足が止まる。
再び下の通りを見れば、その男の怒号はランディに向かっていた。
「……だ、ダグ、な、なんでここに……」
「こっちのセリフだ。ケッ、チャラチャラした身なりになりやがって、ずいぶんといい身分になったみたいだなぁ!」
「そ、れは……」
ランディの顔色が苦しそうに歪んでいく。呼吸がうまく出来ないのか、もがくように口を開け始めた。
「何が【炎剣】だ! この人殺しが! テメェのせいで俺たちのパーティは壊滅したってこと忘れてんじゃねぇよ!!」
「違う、忘れてない……」
「そのA級に上がるまでに何人殺しやがった? 何人踏み台にしやがったんだ?」
「俺は……殺してなんか……」
「じゃあ返せよ、俺の仲間を!」
ダグと呼ばれた男はランディに恨みをぶつけ続けた。
「テメェが俺たちのパーティに居なけりゃ、壊滅しなかったんだ。リーダーも仲間も死なずに済んだんだ……俺だって片足を……全部テメェのせいだ、不運を呼び込んだ、テメェのせいで!」
ダグは手にしていた酒瓶をランディに投げ付けた。普段のランディであれば、簡単に避けられるが、彼はもうまともな精神状態ではなかった。
「――失礼。余りにも耳障りな声が聞こえたもので」
しかし、酒瓶はランディには当たらなかった。
酒瓶は間に入ったエステルが片手で受け止めていた。彼女は一瞬のうちに屋上から人目に付かないように飛び降り、二人の間に入ったのだ。
「な、なんだお前!」
「……あなたも冒険者でしたのなら、分かっていますでしょう? 彼を責めるのは筋違いです」
エステルはダグに近付いた。その手に酒瓶を戻し、そっと肩に手を置いた。
「冒険者というものは、死と隣り合わせの職業です。どんな時に、どんな状況で死のうが受け入れなければなりません。理不尽な死を遂げようとも……それを覚悟の上で、冒険者になるのです」
肩に置いた手に少し力を込めた。ダグの表情が痛みで青ざめていく。
「冒険者というのは全てが自己責任。その死さえも。……これ、冒険者の基本ですよね?」
責任は全て各個人が負う。それが冒険者というものだ。
「パーティでのことは連帯責任と言えるでしょう。……だからあなたのせいでもある」
「痛い痛い痛い! 放せ! 肩が折れっ……!」
「分かりましたか?」
「分かった! 分かったから!」
「では、二度と近づかないように。それがお互いのためでもありましょう」
肩から手を離して、ダグから離れていく。
指先に少ししか力を入れてないのにこの痛がりよう、〈身体強化〉はやはり制御が難しい。
気付けば周囲に人集りが出来ていた。まったく見せ物ではないというのに。さっさと離れないと警備の騎士が来そうだ。鉢合わせたら面倒になる。
「行きますよ」
「……え、なっ!?」
顔色が悪いまま呆然としていたランディの手を無理矢理掴んで、その場から離れていく。……彼をここには置いていけなくて、つい手を取ってしまった。
(まったく今日は運が悪い……と言ったら彼が悲しむので口には出せませんが)
内心で嘆息する。あのダグという男は確か、ランディの元パーティメンバーだ。
【導きの星火】のメンバーではない。もっと前の、ランディが冒険者を始めた頃に世話になっていたパーティのメンバーだ。
エステルもそこまで詳しい訳ではない。この話はエステルが冒険者になるよりも前の話だ。
だから、ギルド内の噂を聞いた程度のこと。ランディ本人からは話されたこともない。
(【不運】のランディ……初めて会った時の彼はそう呼ばれていましたね)
所属したパーティを壊滅に追い込んだ元凶。
その次のパーティも、彼以外は全滅した。
二度に渡ってパーティを壊滅させたとして、冒険者の間で忌み恐れられた。
不運を呼び込む子と呼ばれるようになり、【不運】のランディという不名誉な二つ名が付いた。
彼が他人を遠ざけ、近づこうとしない理由がこれだ。
(だけどそれはもう過去の話。彼は不運を呼び込むような人ではありません)
昔の彼を知るのはベテランの冒険者くらいなもので、そんな彼らもランディを【不運】とはもう呼んでいない。
しかし、流石に当事者にして唯一の生き残りであるダグはそうではなかった。すでに冒険者を辞めて、ランディと会う機会はないとは思っていたが、まさかこの街にいるとは。
「おい、放せ……放してくれ。お前も、呪われる……」
「呪われるわけないですよ、だから大丈夫です」
言ってから、しまったと思う。
エストの時のように対応してしまった。今はエステルなのに。
人気のなくなった裏通りまで来ていた。恐る恐る後ろを見ると、困惑するような表情をした彼と目が合った。




