2.茶番に乗る
周囲から突き刺さる視線は相変わらず痛いが、エステルの表情は変わらない。伊達に公爵令嬢はやってないのである。
だから涼しい顔をしながら、考えごとができる。……物事を軽く受け止めすぎて、考え方まで軽くなり過ぎているきらいがあるが。
(どうせいつかはバレるとは思っていたので良いのですが……こんなバラし方になるとはね)
この世界の人々は皆、神々の祝福を受けて生まれてくる。【恩寵】と呼ばれるその力は、人生を左右するほどに重要で、強力なものだ。
七歳の誕生日に受ける神託の儀で初めて知らされるこの力。
エステルに《女神の寵愛》と言う【恩寵】があると知ったのは、約九年前。
その日から間を置かずに、国王陛下は歳が近く王太子であるリナルドとエステルを婚約させた。
《女神の寵愛》などと言う非常に珍しい【恩寵】を持っていたから、王家に囲いたかったのだろう。
聖女の再来と噂されたから、それも仕方ない。
――ただ、その判断が早計だっただけで。
「我が娘は今日は調子が悪かったのでしょう。……リナルド殿下、傷の手当ては私が代わりに行いますので……」
群衆から進み出てきたのはオルブライト公爵……つまりエステルの父親だった。エステルと同じ銀の髪を後ろに撫でつけ、宮廷神官の白のローブを身に纏っている。
父親は《神官》の【恩寵】持ちだ。
確かに父親ならば、この程度の傷は容易く治せる。
陽の光のような金の瞳は、エステルのほうを気遣わしげにちらりと見ていた。父に心配をかけまいと、エステルは気丈に背筋を伸ばした。
「いいや、結構。本物の聖女に治療してもらうので」
「……本物の聖女?」
リナルド殿下の拒否と返答に、オルブライト公爵は驚いた。公爵だけでなく、周囲も驚く中、リナルドはある令嬢を群衆から引っ張り出してきた。
「彼女はメリナ・ダレル。ワッカー男爵家の者だ」
茶髪と薄桃の瞳を持つ、派手さはない地味な印象を受ける令嬢だった。小柄な彼女はおどおどしながら、リナルド殿下に寄り添っていた。
……殿下の瞳と同じ、緑のドレスの裾を揺らしながら。彼女は殿下の婚約者でもないのにそんなことをするとは。関係を見せ付けられている。
(……知らない令嬢ですね。ワッカー男爵はギリギリ分かりますが)
記憶の底からなんとか情報を引き出した。
確かワッカー男爵家は最近養子を迎えたらしいと聞いたことがある。きっと彼女のことだろう。
「さぁ、メリナ。君の力を見せてあげなさい。大丈夫、私が付いているから」
「は、はい!」
リナルドが優しくメリナに言葉を掛けた。……あんなリナルドの優しい声、婚約者のエステルは一度も聞いたことがない。
メリナの腰にリナルドの手が添えられ、さらに二人は近づいた。……添えられた傷のない左手首に金の腕輪が裾から僅かに見えた。あの腕輪を彼がしているのは初めて見る。贈り物だろうか?
「かの者の傷を治せ、〈治癒〉!」
エステルと同じ呪文を、今度はメリナが綴った。
するとメリナの手のひらから光が溢れ、手首の傷は塞がっていく。
あっという間に、リナルドの切り傷は綺麗に治ったのだ。
「ご覧の通りだ! 彼女こそが真の聖女であると、私が保証しよう!」
今度はおお、という感嘆や驚きの声が周囲から上がる。
(……聖女ねぇ)
相変わらず冷めた目線で、エステルはリナルドとメリナの二人を見つめた。
「……ひっ!?」
するとメリナは怯えた悲鳴をあげて、リナルドに縋り付いた。そんなに睨んだつもりはないのに。
「そう、彼女こそが真の聖女である。だから、偽聖女である君は、彼女のことが疎ましかったんだろう?」
「……何のことでしょう?」
「とぼけるのもいい加減にしたまえ、この悪女め!!」
リナルドは震えるメリナを守るように抱きしめながら、血の付いた短剣の切先をエステルに向けた。
「お前は聖女であるメリナを殺そうと暗殺計画を企てていただろう……!」
……こいつは何を言っているのか。エステルの冷ややかな目がさらに冷えて、氷点下になる。
名前も知らなければ、顔も今初めて知ったような令嬢を、暗殺する計画など企てたことなどない。
(メリナに騙されてるのでしょうか? それとも殿下もグルでしょうか? まぁどちらにしろ、ここで私を偽聖女の悪役に仕立てて、婚約破棄したいと、なるほど)
とんだ茶番を吹っ掛けられたものだ。せっかくの祝いの席を血で汚しただけでなく、九年にも及ぶ婚約まで破ろうとしている。
ああ、まったく持って――。
(――面白い)
変わらなかったエステルの表情が変わる。思わず笑ってしまうほどに、あまりに馬鹿げた計画だ。
(だけど、ちょうどいいから乗ってしまいましょう! ……婚約破棄、したいならしてあげますよ、リナルド。こちらとしても、都合が良いので)
乗るしかない、この茶番の波に。むしろ乗らない理由がない。
この状況を軽く受け止めていたエステルは、その軽さのまま流されるように、この流れに乗ることにした。
「何を笑っている……」
「いえ、あまりにも馬鹿馬鹿しくて」
口の端を吊り上がて、敢えて少し下品に笑う。
そういえば、彼の前で笑うのはしたことはなかったか。公爵令嬢としての日々は楽しくもなく、表情筋が対して動かなくて無表情だったことが多く、静寂の令嬢と言われていたことを少し思い出した。
まぁ、今はそんなことはどうでもいい。今求められているのは静寂の令嬢ではなく、きっと悪役令嬢……ならばその通りに振る舞ってあげよう。
「その方が真の聖女などありえません! 第一私は暗殺など企てた覚えもありません!」
「そう言っていられるのも今のうちだ! 証拠は必ず出てくるからな……!」
「まだ見つけてもいないのに、決め付けていたのですか……」
「……だが、君が聖女ではないのは明らかだ! 《女神の寵愛》を受けたと嘘をついたような女を将来の王妃に迎えるわけにはいかない! 婚約破棄はするからな!」
「……だ、そうですが国王陛下、宜しいのでしょうか?」
エステルたちの婚約を決めたのは国王である。その決定権を持つのはリナルドではなく、国王だろう。
「……そうであるな。《女神の寵愛》の力が嘘であると事実が明らかになった。ならば、リナルドがそう言うのであれば、私も婚約破棄に否定はない」
「なっ……陛下! 何を仰っているのですか!?」
……国王も、もしかしたらグルかもしれない。
あれだけ強引に、嘘を付かせてまで婚約を結ばせておきながら、今はあっさりと破棄するのならば、きっとそうだろう。
父親の寝耳に水のような態度からして、父親は本当にこのことは知らなかったのだろう。
「詳細は追って知らせる。それまでエステルは謹慎とする」
「国王陛下もあのように仰っている。分かったな、エステル」
「……ええ、分かりました」
エステルはゆっくりドレスの裾を持ち、令嬢としての礼をする。
「婚約破棄、承りました。……今までありがとうございました」
顔を上げて、すぐに後ろを向く。そのまま振り返ることなく、エステルは会場を後にする。
こんな会場、さっさと抜け出したかった。
(婚約破棄したということは……私はこれから自由になるってことですね! やったー!)
……さっさと帰らないとこの喜びが表に出てしまいそうだったから。