1.婚約破棄されまして
「エステル、君との婚約を破棄する!」
煌びやかな夜会の場に、怒りを含んだ声が響いた。
今日はラルイット王国の王太子、リナルド殿下の誕生日だ。この夜会はその誕生日を祝うものであり、先程まで楽しげな雰囲気に包まれていた。
その雰囲気をぶち壊したのは他でもない、今日の主役であるリナルドだ。
本日めでたく十六歳になるリナルドは、シャンデリアの光を浴びて輝く金の髪をさらりと掻き上げ、翡翠の瞳で目の前の人物を睨み付けた。白を基調とした豪華な服に、動くたびに赤のマントが揺れた。
「……リナルド殿下、今のお言葉は本当でしょうか」
翡翠の瞳の視線を受けながらも平然とした言葉を返したのは……銀の髪に瑠璃の瞳を持つ令嬢であった。瞳と同じ、深い蒼のドレスを身に纏ったその令嬢は冷ややかな目線を返した。
(まったく……リナルド。あなたは一体、何を考えているの?)
表情を見せぬまま、婚約破棄を突き付けられた令嬢……エステルは目の前で起こった出来事を分析し始めた。
「聞こえなかったのならばもう一度言おう、エステル・オルブライト! 私は君との婚約を破棄する!」
聞き間違えなどではない、はっきりとした声が再び会場に響き渡った。
「リ、リナルド、何を言って――」
騒ぎを聞き付けやってきた国王陛下が慌てた様子で彼を止めようとする。
(なるほど、国王陛下はこの件に関与していない様子。つまり、リナルド殿下の独断と……)
冷静に状況を見ながらエステルはリナルドを見る。リナルドは国王など気にすることなく、さらに続けた。
「この女は嘘つきだ! 《女神の寵愛》を受けたなど言うがそんなことはない! そんな【恩寵】を君は授かっていない!」
ざわざわと会場にいる貴族たちが騒ぎ出し、一斉にエステルを見る。まるで針山にされるように、鋭い視線が集まってくる。
しかし、注目されることには慣れている。なにせエステルはオルブライト公爵家の令嬢である。
エステルは誰にも気付かれないように一つ息を吐いて呼吸を整えると、冷静に言葉を返した。
「何の根拠を持って、そうおっしゃるのでしょうか?」
「私は君との付き合いは長い。しかし、君が《女神の寵愛》らしい力を使った所を一度も見たことがない」
言うや否や、リナルドは短剣を取り出すとそれで自身の手首を切り裂いた。彼の白の服に鮮血が飛び散る。
たちまち会場にどよめきと悲鳴が上がるが、エステルの表情は変わらない。顔色一つ変えずに、目の前で起こったことを眺めていた。
「君の《女神の寵愛》は愛と光の女神ラヴィーユから授かったものだろう? かの女神の力は治癒魔法に優れている」
リナルドはエステルの前に赤く染まった手首を差し出した。
「その力が本物だと、ここで証明してみせろ」
――つまり、治癒魔法を使ってこの傷を治せということか。
(……本気なのですね、リナルド)
自分と同じ目線の高さにある翡翠の瞳を見ても、睨み付けてくるばかりだ。エステルは女性にしては背が高く、男性の平均身長であるリナルドと変わらない背丈であった。
……なぜこんなに嫌われているのか分からない。
彼の手首を見る。ぱっくりと割れた傷口から絶えず血が溢れている。見ているだけで痛々しい。そんな痛い思いをしてまで、彼は自分を貶めたいのか。
(この傷を治すことなんて出来ないのに)
……彼の言うような証明など出来ない。
だけど周囲の目がある。場の流れから逃げることはできない。エステルは仕方なく、リナルドの手首に自身の片手をかざした。
「かの者の傷を治せ、〈治癒〉」
弱々しい光がエステルの手のひらから発した。
……予想通り、傷は塞がらなかった。
この程度の〈治癒〉なら小さな切り傷が治るくらいで、このような傷は治せない。
しかし、愛と光の女神ラヴィーユからの【恩寵】を授かっているエステルが、この程度の傷を治せないのはおかしいのだ。
「見たか、諸君! これこそが彼女が《女神の寵愛》を授かっていない証拠である!!」
塞がっていない傷口を見せ付けるように、リナルドが手首を掲げた。
「やっぱり……あの噂は本当だったか」
「聖女の再来と言われていたのに……偽物だったのね」
「あのオルブライト公爵家の令嬢が……」
貴族たちが言いたい放題騒ぎ出す。その言葉と視線を受けながら、エステルは変わらない表情で思う。
(あーあ……バレてしまいましたねー……)
……当事者であるエステルは、意外と軽く受け止めていたのだった。
婚約破棄モノは実は初投稿です。ストックがあるのでしばらく毎日更新です。
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