一日目(1)そこに山があるから
エンジン音とジャズの軽快な音が飛び交う車内で私は、エチケット袋を広げスタンバイしていた。
「もう少しの辛抱です!あともう少しで、屋敷に到着しますので!」
メイド服を着た齢十八程の小柄な女性に熱いエールを送られる。彼女の名は、君月二子。私達が向かっている目的地で働くメイドさんである。
「まだ、過剰なまでの乗り物酔い治ってないんだね。この先苦労するよ。そっか、キョウちゃん社会不適合者だから苦労するこの先が無いんだね……。ごめんね」
お前こそ社会不適合者だろう、と思いつつも正論に何一つ有効な反論を思いつかず、ヤキモキしてしまう。そんな、棘のある少女の名は神楽坂三重。私の十年来の幼馴染であり、不登校児であり、天才であり、悪友であり、親友だ。たまに、棘がなくなるからトゲアリトゲナシトゲトゲだ(全く意味不明だ)。
山道を進んでいると低気圧やらなんやらが影響を及ぼすなんて聞くけれど、私からすれば乗り物酔いが感覚だとか思考なんかをグチャミソにシェイクしてくるものだから感じたことが一切無い。それが良いのか悪いのか、あるいは良いし悪いのかもしれないが。今回学び得たことは、『乗り物は車であろうと酔う』という非常にシンプルかつ、絶望的な教訓だった。こんなことを突きつけられるならば、おとなしく家に引き籠もっていればよかった。思えば、この初日から絶望的な旅行に誘ったのもトゲアリトゲナシトゲトゲの方からだった(この言い回しを気に入ってしまったらしい)。
あれは確か、高校受験に合格し長期休み恒例の旅行計画を立てていたとき、気になっていた宿屋の尽くが予約殺到してしまったときのこと。なにやら、丁度良く天才幼馴染から電話がかかってきて、『良い話がある』とお決まりみたいな文句を言われた筈だ。それで、『山の方にある屋敷に招待されたからついてきて』みたいな話だったと記憶している(私の記憶ほど怪しいものは無いが)。あとは、世間話を下程度だ。
そして、今に至る。文章化してみると、とても簡潔だ。清々しいほどに薄っぺらい。軽薄そうな人の話と同レベルに薄っぺらい。自分の人生にも言えるようで、なんとも言えない気持ちになる。
と、回想していると巨大な屋敷の門が見えてきた。今回の目的地である『雪化粧の屋敷』は山の上に位置しており、とてもアクセスしにくい場所である。そりゃ、乗り物酔いになるのも納得だ。純白の外装に、きらびやかな装飾。見ているだけで目が痛くなってきそうだ。『もう少しで着く』という安心感に浸っていると――
「うぷっ、吐きそう……」
エチケット袋に顔を埋める。二子さんが『まずい』と言ったように、車の速度を急に上げ屋敷の玄関前に綺麗に止める。その手際に三重が「おー」と、拍手を上げる。私ももっとちゃんと見たかったな……。そんな、後悔と残念感がより一層乗り物酔いを煽る。
「※自主規制」
――遂に、吐いてしまった。胃がひっくり返ったひっくり返ったような感覚に、苦しくなる。そして、三重の『うわー、こいつやったよ……』みたいな視線が痛い。痛覚に鈍感な私も心の痛みに対しては、人並みのようだ。エチケット袋の処理に悩む。あまり持っていて気持ちの良いものではない。できれば、早急に処分したい。と、そんなことを延々と考えていると、二子さんが告げる。
「その、エチケット袋はこちらに渡してくだされば。それと、着きましたので忘れ物のないよう、お気をつけて降りてくださいね」
この人は女神かもしれない。そんなことをされては、惚れてしまうではないか。少し、キュンとした所で必要最低限しか持ってきていない荷物を持って、見るからに高級そうな黒塗りの車から這い出る。さながら、テレビから這い出る貞子のように。それと同時に、三重も車から出てくる。さすがは、お嬢様育ち。車の出方まで上品だな。嫌味かよ。
「ここが、雪化粧の屋敷か……」
「なーに、黄昏れてる風を出してお決まりのセリフみたいなことを言ってるのさキョウちゃん。さっさと行くよ」
笑顔で、私の言葉を冷たくあしらう。もう少し、なにか反応してくれても良いと思うんだけどね。せっかく格好つけたのに、馬鹿みたいじゃないか。いや、馬鹿だった。
そんなくだらない自問自答をしている間に、三重は扉を開けてしまったようだった。もう少し、こっちを気に掛けてはくれないものか。しかし、彼女に協調性を求めるのは酷というもの。私も周りに合わせるのは苦手だ(できないとは言っていない)。
三重の後ろに続き、私も屋敷内に入る。扉はかなり重そうだったが、意外と軽い。内装はこれまた目に優しくない。明るすぎて失明してしまいそうなほど眩しい装飾、光を全て反射してしまいそうなほど純白な壁。真ん中には、巨大な首無しの勝利の女神。ホールだけでも私の住むマンションの一室を軽くオーバーしてくる大きさ。さすがは金持ちと言ったところか。私は思わず感服してしまう。
その後は、嘔吐以上のインパクトのある話は無く、二子さんに部屋へ案内してもらい各々自分勝手に行動することになった。三重は部屋に籠り素数を数え始め、私は自由に散策することにした。
「おや、今来た方々ですか?丁度良かった。挨拶しに行こうと思っていたので」
ふと、英国紳士に話しかけられた。美しい金髪に、澄んだ碧眼。夢見がちな年頃であれば、王子様と勘違いしてしまいそうな容姿をしている(残念ながら、私にはそのような年頃はなかった訳だが)。
「えっと……。名前は?」
私は無難に質問で場を保たせようとした。気不味かったからでは断じてなかったのだ。信じてほしい。
「ああ、申し遅れました。私はルドルフ・ハインリヒです。以後、お見知りおきを」
彼はまるで役者、あるいは道化師のように大袈裟に頭を下げる。
「ええ、よろしくお願いします。ところで、ルドルフさんは何故ここへ訪れたのでしょう?」
「おや、同行者の方からお聞きになっていないのですか?」
私の頭には疑問符が沢山浮かんでいる。三重はそういった話をすっ飛ばすし、私自身さほど聞く必要を感じなかったので聞くことをしていなかったのである。自分の落ち度に頭を抱えるばかりだ。
「その様子では、聞いておられないのですね。では、私から招待された理由について説明させていただきましょう。それはズバリ、《《有名人》》または《《裏でも表でも》》実力を示した者達ですよ。ちなみに私は、世界一の《《奴隷商》》として名を馳せてここへ遥々参上したわけです」
後半の話で、一気に今までの説明が吹っ飛んだ。奴隷商……だと。ビジュアル詐欺も良いところだ(私が言えたことではないが)。王子様系美少年という印象が、一瞬にして鬼畜王子様系美少年に様変わりしてしまった。……いや、王子様系なのは変わらないな。
「して、貴方の同行者は何故呼ばれたのでしょうか?少し、気になってきましたね」
私は猛烈に寒気を覚えた。正直、今すぐここを離れたい。この人、何考えているか解らないし。万が一、『こいつチョロそうだな。ほな、奴隷にしたろ』とか思われていればマズい。そこまでチョロくはないと自負しているが、それはあくまでも主観で言っている訳で。もしかしたら、私はとてもチョロいかもしれない。
「……世間では天才中学生なんて呼ばれているからだと思います」
取り敢えず疑問には応えた。とにかく早くこの場から離れたかった。
「あ、そういえばまだ、他の方々について教えていなかったですね。一人目は闇医者、二人目は天才画家、三人目は大学の教授だそうですよ」
あれ、なんだか親切。嘘は判別できる私のセンサーじみた直感が反応しないということは、悪い人ではないのかもしれない。だが、警戒して損はない。相手が、詐欺師だったりすれば、判別が難しくなる。
「有難うございます。他の方々にも会ってみることにします。それでは」
無難に話を切り上げた後、私は次なる場所を目指して歩き始めた。