第一章 第四話
そんなある日、流は雉を狙って息を殺して草むらにいた。
あと少しで捕まえられる、という時に足音がして雉が逃げてしまった。
ったく、誰だよ……。
流が振り返ると、水緒が初老の男と歩いてくるところだった。
水緒!
一瞬、心臓が止まりそうになった。
いつもなら村で子供の面倒を見ながら仕事をしている時間なのに、なんでこんなところに……。
水緒はいつも着ている粗末な着物ではなく小綺麗な格好をしていた。
一緒にいる初老の男は白い着物に赤い袴をはいている。
こんな獣と鬼しかいない山奥に何の用があるんだ?
それもあんなに、めかし込んで。
尾けようか?
流は逡巡したが、やめておいた。
もしかしたら鬼が襲ってくるかもしれないし、戦いになったらたとえ勝てたとしても人の姿は保っていられないだろう。
水緒に鬼になった姿を見られたくない。
鬼は人間に嫌われている。
本当の姿を見られて嫌われたくない。
水緒に気付かれないようにそっとその場を離れた。
雉を追って随分上まで来てしまった。
獲った雉を食おうとした時、
「っ!」
短い悲鳴のような声が聞こえた。
水緒……!
流は雉を放り出して声のした方へ駆け出した。
斜面を駆け下り、丈の高い藪を抜けると、そこには小さな祠があった。
その前で大きな赤い鬼が水緒を掴んでいる。
人間の大人の倍以上はあろうかという巨躯で腕も足も太く、赤茶色の体毛も長かった。
太く長い牙が口から覗いている。
その口も大きく、水緒など丸呑みに出来そうだった。
水緒は足を縛られている。
両手首にも紐が結ばれてぶら下がっていた。
どうやら手をどこかに縛り付けられていたのを、鬼が喰うために引き寄せるとき切ったようだ。
「水緒!」
「流ちゃん! 来ちゃ駄目!」
「水緒を離せ!」
水緒を掴んでいる鬼に駆け寄ろうとした時、
「流ちゃん!」
水緒が流を止めるように叫んだ。
「いいの、私に構わないで。流ちゃんはこの鬼が私に気を取られてる間に逃げて」
「お前、自分の状況分かってるのか! 鬼に喰われそうになってるんだぞ!」
「分かってる。でも私が生贄にならないと村が襲われるの。だから……」
これか!
水緒の聞き分けが良かった理由。
何もかも諦めた表情。
いずれ生贄にされると知っていたからだ。
おそらく母親の死因も……。
「そいつがいなけりゃいいんだろ」
鬼に襲われないための生贄なら居なくなれば必要なくなる。
「え?」
流は水緒を掴んでいる鬼の腕に飛び付いた。
鬼が腕を振り回す。
「きゃ!」
水緒が地面に落とされ、流は近くの大木に叩き付けられる。
骨が折れる音が聞こえた。
肋骨が何本か折れたようだ。
それでも流は鬼に向かっていった。
この程度なら大したことはない。
今までの鬼との戦いはもっと深い傷を負った。
流が再び鬼の腕に飛び付く。
鬼の腕は恐ろしく太く、長かった。
今度は地面に叩き付けられる。
「流ちゃん!」
自分が鞠のように跳ねたのが分かった。
また何本か骨が折れたようだ。
だが、そんなことに構ってはいられなかった。
「流ちゃん、やめて!」
流が立ち上がろうとしたとき鬼が振り回した腕に吹っ飛ばされる。
地面に叩き付けられ転がった。
「流ちゃん!」
水緒が泣きながら必死になって足に結ばれた紐を解こうとしている。
鬼は流に構わず水緒の元に行こうとしていた。
流が足に飛び付く。
鬼に蹴り上げられ足の爪が流の腹を引き裂いた。
幸い内蔵までは届いてない。
これくらいなら……。
胸から下は血で真っ赤に染まっていた。
それでも立ち上がると、鬼の腕をかいくぐって懐に飛び込み長い爪を腹に突き刺す。
いつの間にか人の姿が保てなくなって鬼の姿になっていたようだ。
だが戦うなら爪の長い鬼の姿の方がいい。
水緒に嫌われてもいい。
助けることが出来るのなら。
嫌われれば諦めも付く。
流の手が届くのは腹までだから、鬼の攻撃をかいくぐって腹と背を攻撃した。
「ーーーー……!」
鬼が吠える。
振り下ろされた腕を避け、何度目かの腹への攻撃を加えた時だ。
爪を突き刺して横に裂くと鬼の腹から臓腑が溢れ出した。
「ーーー……!」
鬼の声が弱々しくなった。
腹を抱えて蹲った鬼の首に爪を突き刺した。
「ぐっ!」
呻き声を最後に鬼は倒れた。
水緒は……。
助かったのは分かっているが一目無事な姿を見たかった。
水緒は目を見張り口を押さえて流を見ていた。
これで完全に嫌われた……。
そう思ったとき水緒が駆け寄ってきた。
「流ちゃん! ひどいケガ! ごめんね。私のせいで。ごめん……」
水緒が再び泣き出した。
流は自分の腕を見た。
長い爪。
今は鬼の姿をしているはずだ。
「村へ行こう。早く手当を……」
「水緒!」
水緒の言葉を遮って男の声がした。
振り向くと村人達がいた。
「あ、村長さん、あの、流ちゃんは私を助けてくれ……」
「なんてことしてくれたんだ!」
村人達は敵意を持った目で流と水緒を睨んでいた。
鬼が退治されて喜んでいるようには見えない。
「お前は鬼の仲間だったのか!」
「違う! 水緒は……!」
「ああ、赤鬼様、おいたわしや」
老婆が倒れている鬼を拝んでいるのを見て流は困惑した。
どうなってるんだ?
「面倒を見てやった恩を忘れて! なんて子だい!」
「飯一杯で水緒を散々働かせておいて何言ってんだ!」
流は拳を振り上げようとした。
「流ちゃん、やめて。村の人には良くしてもらってたの」
水緒が流の拳を掴んだ。
「出ていけ!」
女がそう言うと誰かが石を投げた。
「っ!」
石が水緒のこめかみに当たって血が流れた。
「貴様ら!」
「流ちゃん、駄目」
水緒は村人に襲い掛かろうとした流の胸に抱き付いて引き留めた。
「お願い、やめて」
流は渋々下ろした拳を握り締める。
村人を一睨みすると水緒を連れて山を下りた。