第一章 第三話
夜中、水緒が目を覚ます前に村を出た。
保科が村の前で待っていた。
「流様、お待ちしておりました。狭いですが家を見付けてあります。そこへ行きましょう」
保科に随いて歩き出した時、不意に水緒が見ているような気がして振り返った。
しかし水緒の姿は見えない。
しばらく水緒を探して視線を彷徨わせたが、
「流様?」
保科の声に、流は村に背を向けると歩き出した。
保科に連れて行かれた家は水緒の家より広かった。
「狭いですが、ここにいるのは少しの間だけですのでご辛抱下さい。必ずお父上のところへお連れします」
別に行きたいとは思わなかったが会ったことのない父親というのがどういう鬼なのかは気になった。
自分を襲ってこない保科という鬼のことも知りたい。
襲ってこない鬼に会ったのは初めてだ。
流は部屋の隅に行くと横になった。
ここは村からそれほど離れていない。
川で魚を捕って水緒の元に届けようと思えば出来る。
魚を初めて獲っていったとき、水緒はおかず付きなんて初めてだと言っていた。
つまり水緒はいつも朝晩にお椀一杯の粥しか食べてなかったのだ。
だが水緒がいないときに置いてきたとしても誰がやったかはすぐに分かるだろうし、そんなことをしたら水緒はいつまでも自分を忘れられないだろう。
それは腹を空かせているより残酷なのではないだろうか。
そんなことを考えているうちに眠ってしまった。
朝、起きると保科が兎を数羽獲ってきていた。
二人でそれを食った。
生のまま丸囓りである。
「なぁ、俺の父親って偉いのか?」
食事を終えると疑問に思っていたことを訊ねた。
家来がいるならそれなりの立場のはずだ。
「あなたのお父上、相模様は最可族の長であらせられます」
「最可族って鬼だよな」
「鬼ではなく最可族です。鬼というのは人間が使っている呼び名です」
どうやら『鬼』というのは鬼にとっては蔑称らしい。
「じゃあ、鬼の事を最可族って言うのか?」
「全てが最可族というわけではありません。それぞれ一族の名があります。まぁ最可族以外は鬼と一纏めにしてもいいでしょう。一々名前など覚えていられませんから」
何気にひどいこと言うな。
「なんでお前は俺を襲わないんだ? 鬼はみんな襲ってくるものだと思ってたが」
「あなたを襲っているのは一部の最可族です。勿論、最可族以外の鬼もいますが」
最可族も含めて鬼ってのは互いに襲いあうものなのか?
「最可族の者が襲ってくるのはあなたが汀様の子だからです」
汀?
父親が相模で汀の子と言うことは母さんの名前か。
流は「母さん」と呼んでいた。
誰かが母を名前で呼んでいたことがあったかもしれないが覚えてない。
「母さんが何かしたのか?」
「汀様は最可族ではないのです」
最可族の今の長、相模には三人の妻がいる。
三人とも最可族だ。
汀は狩りに行った先で出会った成斥族だったらしい。
らしいというのは、その狩りに出たとき相模は姿を消した。
相模を捜していた保科達と再会したとき汀は連れていなかったので、まさか女と暮らしていたとは思ってもみなかったのだ。
しかし五年ほど前、相模が汀の子――流を自分の跡継ぎにすると言い出して他にも子供がいることが分かった。
相模が長でなければ問題にならなかった。
だが相模は長で、跡継ぎは次の長だ。
それで相模の妻やその子供達が長になるのに邪魔な流を殺すために手先を送り込んでくるようになったのだ。
「なら、他の息子が長になれば襲われなくなるのか?」
流は跡継ぎになりたいなどとは望んでない。
襲われなくなるなら喜んで断る。
父がすると言ったところでやらなければ済むだろう。
「他のご子息が長になられたとしても、やはり襲われるでしょう」
「どうして?」
「その方に何かあったとき、流様が次の長に選ばれる可能性があるからです。あなたが殺されたとしても、あなたにご子息がいればその子も」
「聞くまでもないが俺が長になっても襲われるんだよな」
「さすがご聡明であられる」
あられるも何も、他の息子が長になっても襲われるなら流自身がなったって狙われるに決まってるではないか。
どうやら流だけではなく、相模の子供はみんな互いに殺そうと相手の命を狙い合ってるらしい。
つまり生きてる限り命を狙われ続けるのか……。
「最可族と対立している鬼が襲ってくるのも俺が相模と汀の子だからなのか?」
「相模様の子ではなくても対立している一族の鬼には襲われます。鬼どもは野蛮ですから」
〝鬼ども〟などと言っているが最可族だって同類だろうに。
もう、水緒とは会えないのか……。
死ぬまで襲われ続けるなら下手に近付いて危険に巻き込む訳にはいかない。
水緒を守りたいなら離れているしかないのだ。
他にも聞きたいことがあったような気がしたがどうでも良くなったのでその場に寝転んだ。
食料は保科が獲ってくると言ったが流は自分で行くことにした。
最初、自分で獲りに行ったら魚を水緒に届けたくなってしまうかもしれない、と心配した。
だが、それは川に近付かないことで解決した。
兎や雉なら水緒は料理の仕方を知らないから持っていこうとは思わない。
とにかく一日中狭い家の中に籠もっていてもすることがなくて退屈なのだ。
何もしないでいると、ますます水緒のことを思い出してしまう。
水緒は朝から晩まで働いていたから一緒にいた時間は長くはない。
魚を獲るのも大して時間がかかったわけではないから一人で何もしないでいる時間の方が長かった。
ほとんど一日中水緒を待って過ごしていた。
それでも退屈だとか暇だとか思ったことはない。
水緒と知り合う前はしょっちゅう鬼に襲われていて常に警戒して気を張り詰めていたから退屈などと考えるどころではなかった。
だが保科との生活は違う。
鬼――最可族か――に襲われないのは同じだが一緒にいて楽しいとか嬉しいとは思わない。
だから食料は自分で獲りに行くことにしたのだ。