7.鼻水は許さない
『ロシュ、悪かった!台風で飛行機欠航になっちまって動けなかったんだ』
『だったら連絡ぐらいしろっての!俺めっちゃ心配したし』
『ほんっと悪かった!ごめんな。ほら、美味い肉たくさん買ってきたから』
……
……
……
目が覚めた。
(飛行機って。しかも俺人間)
夢の中でロシュは前世の大学生のタクミの姿だった。黒髪黒目の日本人がロシュと呼ばれる違和感とおっさんが飛行機がどうのこうのと喋る違和感が酷い。
馬鹿らしい夢を見たとおかしく思うと同時に胸がギュウっと痛くなった。帰ってきてくれるならなんでもいい。文句も言わないし肉も要らない。
(生きてるよな?なんかちょっと忙しいだけだよな?)
寝て起きたら元来のポジティブさがちょっと復活した。
おっさんが帰ってくるか、あの家に他人が住み始めるまではあそこで待とうと決める。食料問題はちょっと考えなきゃならないけど。
そうと決まればこのくっさくて汚い場所に用は無い。無いのだが……。
「〜〜〜〜!!」
現在見るからにおっかない人達が路上に転がる汚い男を蹴り飛ばして騒いでいる。ロシュは小さくなってずりずりと這い更に瓦礫の奥に隠れた。
(こっわー。ヤクザかよ)
瓦礫の隅でプルプル震えるロシュ。
(俺絶対毛皮はがれる)
見つかったら終わりな気がする。
おっさんが毎日手入れをしてくれていた毛皮はここ数日の生活で多少傷んではいるが、それでも極上のふかふかなのだ。
動物は子供の肉の方が臭みがなくて美味しいとどこかで聞いたことがあるし。やばい。
見つかりませんように、と念じながら怖い人達がどこかに行くまで体を縮めてひたすら気配を消した。
「ロシュ〜、俺のロシュがぁ〜」
「ハイハイ。今皆で探してんだろ」
自宅でロシュの食べかけの芋を握りしめるヘクターと街の地図をテーブルに広げ各所に印をつけているルイ。
「やっぱ俺も外探しに……」
「アホか。わんころが帰ってきた時にお前が居なくて他人が居たら二度と帰って来ねーぞ」
半泣きのヘクターが浮かしかけた腰をまた降ろして芋を両手で握りしめる。
「可哀想に、腹減ってたよな。ごめんなロシュ。崖崩れなんか吹っ飛ばせば良かったんだ」
芋に語りかける相棒を横目で見てため息をつくルイだが、翌日の夜には戻る予定だったのに崖崩れで足止めされ、更に遅々として進まない復旧作業にイライラしたのは同じだ。
作業を手伝うと申し出ても素人に手を出されては困ると断られ周辺の魔物討伐ぐらいしかできなかった。
わんころはずっと家で待っていたらしい。水も腐って食べる物も芋ぐらいしか無かったのに。
その健気さを思えばヘクターの溺愛ぶりに引いていたルイもどうにか見つけ出して撫でくりまわし腹いっぱい美味い肉を食わせてやりたい、ぐらいには思う。
「無事でいろよ」
地図を見ながら小さく呟いた。目撃情報を辿るとスラム方面に向かっている。あの無法地帯でもし怪我でもしていたら相棒が怒り狂ってスラムを潰すかもしれない。
(…………いいか。別に)
その時は自分も盛大に暴れようと考えながらメソメソする相棒にちょっと行ってくると告げて家を出た。
スラムを縄張りにしている奴らにもわんころの捜索を頼んではいるが、チンピラが探しても出てこない気がする。スラムに居る可能性が高いなら行ってみた方がいい。
そう思ってスラム方向に向かったルイだが、自分はヘクターから山ほどわんころの話を聞いているし彼がわんころを拾った現場も見ている。だがわんころから見れば自分はたった一度、しかもごく短い時間顔を合わせただけの人間だとふと気付いた。
果たして自分が呼んだところで出てくるんだろうか。
ルイは通りの真ん中でピタリと足を止めて少し考える。
あのわんころは自分に対して敵意は持っていなかった。全く警戒しない様子に逆に心配になったぐらいだ。ただ、
「俺の顔覚えてっかな」
あのクリクリした瞳は愛嬌はあるがあまり賢そうではない。
(どうすっかなー。ヤクザ増えてんだけど)
その頃ロシュは未だに瓦礫に隠れて縮こまっていた。しばらく経てばヤクザさん達もどっか行くだろうと思ったのにどんどん増えている。
しかも物陰や隙間を覗き込んでなにかを探しているようだ。
(これ、まさか俺探してんの……?)
とても嫌な考えが過ぎり背中がゾワゾワした。
このままではいずれ見つかってしまう。とにかくタイミングを見て瓦礫を飛び出しこのエリアから離れよう。
そう決めてじっと周囲を窺いながらその時を待った。
凄く良い匂いがする。肉だ。焼いた肉の美味しそうな匂い。
瓦礫に隠れながら鼻をヒクヒクさせる。悪臭と混じってしまっているが、ロシュの鼻は肉の匂いだけに集中した。
(……近付いてくる?)
肉の匂いが濃くなると声も聞こえてきた。
「ロシュー。ローシューー」
知っている声。
(……お兄さんじゃん!)
怖い人達がいっぱいうろついていることも忘れて飛び出す。ロシュを見て指をさして騒ぐ男達の声も耳に入らない。
(お兄さん!おっさん、おっさんは!?)
「キャウゥ!キュウキャンキャン!」
走った先には肉を持った笑顔のお兄さん。ロシュは大喜びで尻尾をブンブン振り回し、お兄さんの足に頭突きした。
ロシュが会いたかった姿は無かったが、お兄さんは怪我も無さそうだし爆笑しながらロシュをグリグリ撫でているのでおっさんが死んだとかは無さそうだ。
そのまま抱き上げられて肉と一緒に運ばれる。
周りのヤクザさん達がお兄さんに声をかけてお兄さんもそれに手を上げて応えていた。
(あれ?もしかしてこの人らおっさん達の知り合い?)
ポカンとしてそれを眺める。
必死で隠れていたのに。彼らに見つかっていたらもっと早くお兄さんかおっさんに合流できたかもしれないと気付き、なんだかどっと疲れた気がした。
「ロシュ!!」
お兄さんに抱えられて家に帰ると会いたかった顔が涙と鼻水でぐしょぐしょになって迎えてくれた。
よたよたと近付きお兄さんからそっとロシュを受け取るとぎゅっと胸に抱き込まれた。汗臭いし埃っぽいしむさいし暑苦しい。でもここはこの数日ずっと帰りたかった場所だ。
「ロシュ、〜〜〜。〜〜〜〜ロシュ。〜〜〜」
相変わらず言葉はわからないけれど、これはわかった。ごめんと言っている。何度も何度も。
(おっさん、無事でよかった。おかえり)
「キャウ、キュゥーン」
見上げると情けない顔が見えて大粒の涙がボタボタと落ちてきた。黙っていれば男前なのに本当に残念なおっさんだなと思いおかしくなる。
「ロシューーー!!」
顔面崩壊したヘクターにグリグリ頬ずりされてもしばらく大人しくしていたロシュが、ヘクターの鼻水に気付いてブチ切れるまでもう少し。
愛犬のご機嫌をとる美味しい肉を買いにヘクターがダッシュで飛び出していくまで更にもう少し。
そして貢物を手に帰ってきた時にはルイがロシュをおびき出すのに使った肉を食べてお腹いっぱいになりぐっすりと眠っていたロシュ。くずおれるヘクター。
「まぁ、あれだ。良かったな。うん。良かった」
ルイは適当な言葉をかけて宿に帰った。
この後ヘクターは二度とロシュを置いて依頼に出ることは無かった。渋い男前の胸元からちょこんと顔を出す子犬はあちこちで目撃され多くの人々を和ませた。