4.ふかふかじゃない
グルグルと考えている間に眠ってしまったらしい。
(あんなことがあって呑気に寝こけるとか)
どうやら自分は随分と図太いようだ。
実際は雨の中緊張しながらの長い移動とその後の精神的なショックに幼い身体が持たなかったのだが。
タクミがいるのはどこかの家。床に置かれた籠の中で毛布が敷かれている。
毛布を見るとモフ太郎とモフ次郎を思い出す。彼らの毛皮はもっとふかふかで温かかった。グッとこみ上げてくるものがあるけれど、涙は出ない。この身体にそういう仕組みは無いのだろう。
(家族亡くして涙も出ねーのか)
「クウ、クゥゥ。クゥゥ」
とても悲しくなって涙の代わりに情けない声を出す。いつもならそんな声で鳴けばふたりがすっ飛んできてくれたのに。
自分がひとりになってしまったのだと実感したところで、すぐに隣の部屋からドタ、ガタガタ!と盛大な物音が聞こえた。そしてそのままドタバタとうるさい音が部屋の入口まで移動し扉がバン!と勢いよく開く。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
おっさんだ。おっさんがすっ飛んできた。
ボケっと見ているとおっさんはなにかをタクミに話しかけながら何度も何度も頭を撫でてくる。何を話しているのかは全く分からないが眉を下げたり笑顔になったり忙しい。
(おっさんは呼んでねぇよ)
「クフゥゥ」
ため息のような変な声が出たが返事だと思ったのかおっさんが笑顔で頷く。
その顔を見ていたら悲しい気分が少し和らいだ気がした。
あの日から5日も経っていて、熱を出したタクミをおっさんがかいがいしく世話していたのだと知るのはずっと後。
おっさんがタクミと暮らすために家を買ったことも仲間に「犬バカ」と呆れられていることもまだ知らない。
おっさんが『ちょっと待ってろ』というジェスチャーをしてまたドタバタ走っていったので大人しく待つ。
(なんか体が重い)
お座りしていられなくてペタリと潰れた。
またドタバタ戻ってきたおっさんがタクミを抱き上げてテーブルの上にそっと乗せる。目の前には牛乳の匂いがするご飯っぽいなにか。
(米……じゃないな。何これ)
首を伸ばしてフンフン匂いを嗅いでいると、おっさんがスプーンに掬って差し出してきた。思わずパクリと口に入れる。
(ん、んー。不味くはないけど美味くもない)
牛乳の嫌な部分がマシマシになった感じの匂いと多分穀物の甘み。味付けはされていない。結論、微妙。
モグモグしているとおっさんがとても嬉しそうにまたスプーンを差し出してくる。これすごく断りづらいなと思いながらまたパクリと口に入れた。
結局お腹いっぱいになるまで牛乳煮込みのようなものを食べた。全部おっさんのアーン付き。食べ終わると再び『ちょっと待ってろ』のポーズをしてドタバタ走っていくおっさんを見送る。まだなにかあるんだろうか。
「〜〜、〜〜〜〜〜〜」
戻ってきたおっさんの手には革紐。
(え、なに?)
首に巻かれる革紐に一瞬首を絞められるのかと思ったが、食事させてから殺すというのも意味が分からない。身体が重いせいもあって身動きもせずに大人しくしていた。
「〜〜〜〜」
酷く真剣な顔でなにかを話し革紐を触っている。おっさんが手を離すと首にずしりと重みを感じた。
視線を下に向けると首に巻かれた革紐に二つ赤い石がついている。キラキラしていて、これは……
(モフ太郎とモフ次郎)
確かに石からふたりと同じなにかを感じる。
おっさんが差し出した掌の上には二つよりもっとずっと大きな赤い石。こちらは多分、母親。
大きな赤い石もタクミの前にそっと置かれた。きっと大きすぎて小さなタクミの首にはつけられなかったのだろう。
「クゥゥ」
情けない声を上げるとおっさんも情けない顔をしてタクミの頭を背をゆっくりと撫でる。
この石がなんなのかは分からないが、家族の形見なのだということは理解した。
形見を手に入れたことは純粋に嬉しい。
母親に対しては人の記憶が邪魔をして母として慕うことは出来なかったが。それでも目を覚ましてから最後の最後まで守ってくれていた。感謝と申し訳なさが入り交じる。
そして、兄弟達。
(ふかふかじゃなくなっちゃったな)
二つの石に頬を寄せるが当然硬い感触が返ってきた。やっぱりとても悲しい。だけど。
(おっさんありがとう)
「キャウ、キュゥ」
テーブルの上をトテトテ進み情けない顔のおっさんの頬をペロリと舐めた。
びっくりした顔を眺めてフンと満足げに鼻息を吐き出す。
残りの生など要らないと思ったけど、このおっさんが笑うのなら共に生きるのもいいかもしれない。そう思いながらおっさんの頬ずりに力いっぱい抵抗した。
(むさいってば!)
そうしてタクミとおっさんの共同生活が始まった。
その日々は
(……地獄だ)
タクミは当初籠を寝床にしていたが、度々うなされたり悪夢に飛び起きたりを繰り返した。それを心配したおっさんがタクミと一緒に寝ることにしたのだが。
(なんで裸族)
これがこの世界のスタンダードなのだろうか。
タクミは現在ムキムキの胸とムキムキの腕に挟まれている。人であった頃を思うと地獄としか言いようがない。
(ムキムキは嫌だ。ふかふかがいい)
「クゥゥン。キャゥウ」
不満を訴えたらムキムキにぎゅっとされてヨシヨシされた。
違う。そうじゃない。「キャウキャウ」と更に不満を訴えるとおっさんが目を開けて覗き込んできた。
「ロシュ、〜〜〜〜〜〜〜?」
目尻を下げ仕方ない奴だなと言いたげに笑って背中を優しく撫でられる。この『ロシュ』というのはタクミの名前なんだと思う。多分。何度もそう呼ばれた。
自分が駄々をこねる子供になったような気分になり、ニコニコ笑うおっさんの顎に頭突きをしてふて寝した。
それ以来悪夢は見ていない。
筋肉の夢を悪夢カテゴリーに入れなければ。
何度かおっさんの服に入って買い物にも行った。
「ロシュ、〜〜〜〜〜〜?」
服の胸元から顔を出してキョロキョロするタクミ改めロシュに時折おっさんが話しかけてくる。
おっさんがなにを喋っているのかは相変わらず分からないが、2種類の肉を交互に指さして疑問形で聞かれたりすれば美味しそうな方を指さした時に鳴き声で答えたりする。
そうするとおっさんがとても喜んでロシュの頭をぐりぐり撫で選んだ方の肉を買ってくれるのだ。
(外国の市場っぽいな)
道の両側に色とりどりの日除けの布が屋根代わりに張られていて、その下に果物や野菜が積み上がっている。
地面は石畳だったり土だったりでコンクリートなど無い。街を歩く武装した人や建物、大通りを走る馬車を見るとゲームの中に入り込んでしまったような気分になった。
(ゲームだったら良かったんだけど)
間違いなく現実だと知っている。ゲームのように楽しいばかりではないし死んだら生き返らない。
弱いものは何もかもを奪われる厳しい世界だ。
(おっさん守れるぐらいにデカくて強くならなきゃ)
もう二度と奪われたくない。そう決意しておっさんをチラリと見上げる。
おっさんは胸の大きなお姉ちゃんにロシュが可愛いと話しかけられてデレデレしていた。
(おい。台無しだよもう)
「キャウゥ……」
渾身の蹴りをお見舞いしたがムキムキの腹筋に阻まれて全くなんのダメージも与えられず。
絶対に強くなろうと思った。