スカウトした子は百合アイドル
【登場人物】
尾嶋菜央:24歳。タレント事務所に勤める新人マネージャー。
淵沢りりあ:19歳。大学生。自他共に認める美人。性対象は女性。
「りりあちゃん、そろそろ行かないと収録始まっ――ん――」
私の言葉が柔らかな唇に遮られた。
抗議の声すら出す暇も無く、唇の隙間からぬるりと舌を差し込まれる。
この瞬間は何回経験しても身構えてしまう。侵入してきた舌は私の緊張を解きほぐすかのように蠢き、私の舌の表面から裏のひだまでじっくりとなぞっていく。
「っ、ん――」
あえぐように息継ぎすると、彼女は唇をわずかに離して愉しそうに笑う。
「あたしにお仕事させたいんなら、わかってるよね?」
「…………」
返答はしない。求められているのは言葉ではなく行動だ。
私は口で小さく呼吸をしながらゆっくりと彼女に顔を近づけ、目の前の唇にキスをした。そのまま今度は自らの意思で舌を伸ばし、二人分の唾液を掻き混ぜるように強く激しく動かす。
舌から伝わる感触が、味が、温もりが心地良い。視覚を閉じ、耳に聞こえてくるのは淫靡な水音とお互いの甘い息遣いだけ。いまや五感のすべてがキスへと集約していた。
「……時間はいいの?」
彼女がくすりと笑って言った。その言葉でようやく正気に戻り、壁の時計を確認する。
「――あぁっ! 早く準備して! 口紅は!?」
「はいはい、このくらいなら大丈夫」
鏡の前でさっと整えてから彼女は優雅な足取りでドアに向かう。
「続きは帰ってからね」
艶美に微笑み、彼女は出ていった。
狭い控え室に取り残された私は、鏡台の前にへたりこみながら大きく溜息を吐いた。
色んな意味で心臓に悪い。
鏡に映った自分の顔を見る。口の周りにしっかりと紅い跡がついてしまっている。
私の方が人前に出られる顔じゃないな、と力無く笑った。
いや、呆けている場合じゃない。早く私もスタジオに入ってあの子の側にいてあげないと。何のために私がこんなことをしていると思ってる。
両頬を叩いて自分に気合を入れる。唇についた口紅を拭きとり、表情を引き締めてから私も控え室を後にした。
なんとしても彼女を――淵沢りりあをトップアイドルにしてみせる。
私、尾嶋菜央は大学卒業後、広告代理店に就職し営業職に就いた。しかし仕事が合わず退職――それでも業界に関わる仕事をしたいと思い、タレント事務所のマネージャーに転職した。
事務所の規模は小さく、テレビで周知されているような有名タレントなんてまったく在籍していない。
せめて誰か一人でも有名になればそこから仕事を繋げることも出来るが、現状の所属タレントではなかなか厳しい。
もどかしい気持ちを抱えていた私は新しい人材を求めて街を歩きまわった。スカウトの経験なんてないし、マネージャーとしての経験も浅い。でも本当に魅力のある人間は相手が誰であっても惹き付けるはずだ。私程度を魅了出来ずしてどうやって芸能界を上がっていけるだろうか。
そうして出逢ったのが淵沢りりあだった。
ショップが立ち並ぶ通りを一人で歩いていた彼女を見た瞬間、『この子だ』と思った。
オーラとでも言うのだろうか。大勢の人が行き交う街路にあって、彼女はどこに居てもすぐに見つけだせそうな何かを纏っていた。
年齢は二十歳前後。ゆるくウェーブのかかったミディアムの茶髪は良く手入れされていて髪質も良い。薄めのメイクは逆に彼女の地の綺麗さを引き立てている。服装のセンスも問題なし。そして何よりも彼女の動作や目の輝きから感じられる自信が私を惹き付けてやまない。
「あ、あの、すみません!」
即断でその子に話しかけた。
目を丸くした彼女に名刺を渡して自己紹介をすると、意外にも反応は悪くなかった。
「へぇ、タレント事務所ねぇ」
「もしかしてすでに声を掛けられてたりしますか?」
「いや、初めてだよ」
内心でガッツポーズを取る。これは何としてでもうちに来てもらわないと。
「それだけの美貌を生かさないのはもったいない! あなたなら絶対に売れます! いや売ってみせます! だから一度うちの事務所でお話だけでも!」
「あたしをタレントにしたいってこと?」
「もちろん! 売り出し方はこれから詰めていくとして、モデルやアイドル系から始めてゆくゆくは女優なんていうのも――」
「別にいいよ」
「え」
「タレントになっても」
こんなとんとん拍子で進んでいいんだろうか。彼女の余裕そうな態度に、むしろ私が罠に嵌められているんじゃないか心配になる。
「えぇっと、とりあえずじゃあ事務所に向かうってことで……」
「その前にあたしからも条件出していい?」
「条件?」
給料のことか、それとも水着NGみたいな何かなのかと身構える私の耳に聞こえてきたのはとんでもない言葉だった。
「あたしと付き合ってよ。そしたらモデルでもアイドルでもしてあげる」
「付き合うって……は?」
「だからー、今から菜央はあたしの彼女。オッケー?」
馴れ馴れしく呼び捨てにされたことよりも『彼女』という単語に驚愕する。
「かの――だ、ダメに決まってるでしょそんなの!!」
「なんで? もしかして菜央って今付き合ってる人いる?」
「それは……」
いない。そもそも交際の経験すらない。
「いないなら別にいいじゃん」
「よくないです! よりにもよってタレントがマネージャーとなんて……!」
「芸能人がマネージャーやスタッフの人と結婚したっていうのちょくちょく聞いたことあるんだけど」
「そ、そういう例も確かにあるけど……でもこれからデビューするのに誰かと交際は……」
「どのみち今あたしに付き合ってる人がいたとしても別れる気なかったし。それとも無理矢理別れさせるつもりだった?」
「そんなことはしません! ただ、しばらくの間は秘密にしてもらうつもりでした」
「じゃあむしろ菜央と付き合うってバレにくいからいいんじゃない? マネージャーだから一緒にいてもおかしくないし、同性だから怪しまれにくいし」
「そいうことじゃなくて……」
色々と話が急過ぎて理解が追いつかない。はっきりと答えない私の態度に彼女が背を向ける。
「イヤなら別にいいんだよ。芸能界に興味ないし」
「待っ――」
衝動的に腕を掴んで引き留めた。振り返った彼女の顔が妖しく微笑み問いかけてくる。『じゃあどうするの?』と。
この際こまかいことはどうでもいい。とにかく彼女をデビューさせて事務所の実績を作らないと。どうせ交際なんて形だけだろう。格好いい俳優や可愛いアイドルに会えば気持ちだって変わるはず。
「……分かりました。あなたとお付き合いします」
私の返答を聞いて彼女が表情を明るくした。私の手を掴み返して歩き出す。
「じゃあ行こっか」
「どこ行くんですか? 事務所に行くならまず駅に向かわないと」
「ん? ホテル行くんだよ?」
「なんでいきなりホテルに!?」
「手っ取り早くお互いのことを知れて、すぐ仲良くなれるから」
彼女は冗談めかすこともなく至極真面目な顔でそう答えた。
掴まれた腕を振り払って逃げることは出来る。でもそれをしたら二度と彼女はうちの事務所にやってこないだろう。ここで逃げた結果、もし彼女が違う事務所からデビューして有名になりでもしたら後悔してもしきれない。
えぇい、もうどうにでもなれ!
私が決意と共に彼女の手を握ると、からかうような声が聞こえてきた。
「ホントにいいの?」
「いいんです! どこでも好きなとこ連れていってください!」
「積極的なのは嫌いじゃないよ」
彼女の笑い声に私はますます顔を熱くしながら、二人で歩調を合わせて目的の場所へと進むのだった。
淵沢りりあ。19歳。都内の大学に通う大学一年生。趣味は色んなお店を見て回ること。特技は――。
「恋人を気持ちよくさせること」
「そんなの書けるわけないでしょ!? もっと真面目に答えて」
ペンを握ったまま、ベッドで寝転がっているりりあちゃんを睨む。彼女がのそりとベッドから這い出て私の背中に抱き着いてきた。
「真面目なんだけどなぁ。もう一回確かめてみる?」
柔らかい感触が押し付けられて落ち着かない。絶対わざとやってる。
「……料理は作れたりします?」
「おかあさんにちょくちょく教わってるから一応レパートリーはあるけど。あたしの手料理食べたい?」
「また今度機会があればいただきます」
メモ帳に『特技:料理』と書き記す。
りりあちゃんがつまらなそうに息を吐いて、私の耳元に口を寄せてきた。
「二人っきりのときは堅苦しい言葉遣いは無しにしてって言ったよね? 恋人やめる?」
逡巡の後にさっきの言葉を言い直す。
「……また今度食べさせて」
「うん、菜央の家に行ったときに作ってあげる」
そう言って私の耳たぶを甘噛みした。
こそばゆいのに不思議と嫌悪感はない。こういう、相手の懐の深くまですぐに入り込めるのも才能なのかもしれない。好かれるキャラクターというのはどんな業種であろうとも重宝されるものだ。
だからって出会ったその日にホテルに連れ込むのはどうかと思うけど。
当初の予定通りアイドル路線で売り出し始めたりりあちゃんだったが、その見た目とさばさばとした態度が予想以上に好評を得た。
雑誌のモデルやグラビア、深夜番組のマイナーアイドル特集なんかに呼ばれるようになり、少しずつ仕事を増やしていった。
問題は……仕事が増えれば増えるほどりりあちゃんの欲求が高まっていったことだ。
取材や収録が終わるとそのまま私の家に泊まるのが当たり前になってきている。
「待って、待って――りりあちゃん」
「んー?」
布団に入るなり私に覆いかぶさってパジャマをめくり始めたりりあちゃんに待ったを掛ける。
「その、明日もお昼から仕事あるし今日はやめにしない?」
「逆だって。明日も仕事だから今日エネルギーをもらわないと」
「仕事ない日だってしてる気がするけど」
「それは、今日もお仕事頑張ったねっていうご褒美。じゃないとアイドルなんてやってらんないよ」
「ご褒美が欲しいなら食べ物とか服とか――」
「あたしはこっちの方がいい」
りりあちゃんの唇が私の唇に重ねられる。ねっとりとした優しい舌遣いは私の口中を味わい尽くそうとしているようだ。粘つく唾液が官能を刺激し、私の頭がぼんやりとしてくる。
ダメだ。このままだとまたいつものように流されてしまう。
「――っ、りりあちゃん!」
力いっぱい押しのけると、りりあちゃんがきょとんとした後眉間に皺を寄せた。
「あぁそう。そんなにイヤなんだ」
この顔はマズい。慌ててフォローに入る。
「嫌じゃない! 嫌じゃないんだけど、ほら、何事も節度を持って生活するのが大事って言うし――」
「菜央があたしを芸能界に誘ったくせに」
「それはそうだけど、だからってこういうことばっかりするのは、ね?」
「マネージャーなら担当アイドルのコンディションを保つのも仕事のうちじゃないの?」
「まぁその……」
「あたしのこと美人だって思ってるんだよね? 売れるって言ってくれたよね? それだけ認めてる女の子がこうして迫ってるのに何とも思わない?」
「うぅ……」
もう負けた。いや、口でもそれ以外でも勝てた試しはないんだけど。とくにベッドの上では。
「ごめんなさい」
最後はいつも私が謝って終わる。そしてりりあちゃんは満足したように笑ってから何事もなかったように再開し――なかった。
あれ? と馬乗りになったりりあちゃんを見上げる。彼女はまだ怒っていた。
「……りりあ、ちゃん?」
「ホントに反省してる?」
「し、してるよ」
「あたしの言うことに逆らったりしない?」
「それは状況にもよる……」
「逆らったり、しない?」
おでこをくっつけるくらいの近さで凄まれて反射的に答える。
「しないしない! りりあちゃんの言うことに従いますぅ!」
「じゃあ次のオフの日に一緒に出掛けて?」
「出掛ける? 何処に?」
「別にこれといって行きたいとこはないけど、服見たり映画館行ったり」
「……それってデートって言わない?」
「そういう言い方をする人もいる」
なんとなく口車に乗せられた気がする。普通に誘っても私が断ると思ったから回りくどい誘い方をしたのだとしたらなかなかに策士だ。
まぁ、私と二人でいるところを見られたところでデートだと気付かれることはないとは思う。せいぜい仲の良い友達くらいか。そもそもマネージャーなのだし一緒に出掛けるのはおかしくはないんだけど。
「……りりあちゃんが行く場所決めてくれるなら、いいよ」
途端にりりあちゃんが相好を崩す。
「わかった。デートプラン考えとくね」
声を弾ませるりりあちゃんは年齢相応の女の子に見えた。その様子には微笑ましいものを感じるが、今の私の頭は別の不安でいっぱいだった。
デートなんてしたことないんだけど大丈夫……?
にわかに速くなってきた胸の鼓動は、「脱がすから腰あげて」というりりあちゃんの言葉で気にならなくなった。
小さく息を吐いてから私はりりあちゃんに言われるがまま従った。
仕事もレッスンもない平日、約束していた通り私はりりあちゃんとデートをすることになった。
「わざわざ大学の講義を休んでまでデートしなくていいのに」
「こうでもしないとデートできないじゃん」
駅前の待ち合わせで場所で合流したりりあちゃんが私の服装をじろじろと見てきた。
「な、なにか変?」
「逆だよ。その服、似合ってて可愛いね。いっつもスーツだからそういう服持ってないのかと思ってた」
「わ、私だって普通の服くらい持ってます!」
「あはは、ごめんごめん」
……もしかして今のは『りりあちゃんも可愛いね』と言ってあげるべきだったんじゃないだろうか。
普段誰かを褒めることはあっても褒められることはほとんどないから焦ってしまった。
「それじゃ――行こ?」
差し出された手を握り、私達のデートが始まった。
最初に連れていかれたのは映画館。サスペンス系の洋画のチケットを購入し上映ホールに向かう。
「りりあちゃんって映画館にはよく来るの?」
「んー、気になったのがあれば来るくらいかな」
「じゃあ今回の映画も楽しみにしてたんだ?」
「楽しみ……まぁ楽しみにはしてたよ」
その声に含みを感じてりりあちゃんの顔を盗み見る。彼女の表情は確かに楽しそうではあった。
「ところで菜央は映画の鑑賞マナーについてどう思う?」
「どうって?」
「映画館でこういうのは良くない、とか」
「スマホ触ったり友達とお喋りしたり、がさがさ音をたてたりするのは良くないと思うけど」
「あー、そういうのは良くないよねぇ」
このときから予感はしてた。絶対なにかたくらんでるだろうと。
実際その通りだった。
映画が始まって少ししてから、左隣に座っていたりりあちゃんが私の左腕に触ってきた。
ひじ掛けを使わずに座っていた私が『手を繋ぎたいのかな?』と思って手を伸ばすと、いきなり引っ張られて腕ごとがっちりホールドされた。困惑している私をよそに、りりあちゃんの右手がこっちまで伸びてきて私の服の裾から侵入を開始した。
まさか……!?
咄嗟に空いている右手でりりあちゃんの手首を掴んで止めた。
抗議を込めて隣のりりあちゃんを睨むと、無言で人差し指を唇に当てて返してきた。静かに、と言いたいらしい。
私のお腹に直接触れた指が動き始めた。愛撫するようにおへそまわりを優しくくすぐってくる。
「――――」
声が出るかと思った。だがここは映画館。他の人の迷惑にならないようにしないと。
それから90分ほど。これでもかとお腹を撫でられ続け、捕らえられたままの左手の指を弄ばれ続け、ほとんどストーリーなんて頭に入ってこないまま映画が終わった。
「さすが菜央。マナーがいいね」
「……言いたいことはそれだけ?」
「ごめんって。ちょっとしたお茶目のつもりだったの。そこまで本気でやってなかったでしょ?」
「本気とか本気じゃないとかじゃなくて場所が問題なの!」
「あぁつまり、するなら部屋でしてってこと?」
「…………」
ノーコメント。何も答えない時点で答えているようなものだけど。
りりあちゃんが観念したように息を吐いた。
「わかったよ。他の人の目があるとこではちゃんと自重する」
「……本当に?」
「今までだって人前で変なことしたことないじゃん。だからほら、デートの続きしよ?」
色々と強引なところはあるが、りりあちゃんの言う通り周囲にバレるような無茶なことはしたことがない。
この後のデートも普通に遊んでるのとほとんど変わらなかった。
服を見て、ご飯を食べて、ゲームセンターに行って。……プリクラを撮るときにいきなりキスしてきたけど、まぁ想定内ではあった。さすがにスマホケースに貼ろうとしたときは全力で止めたけど。
日も傾き始めたころ、りりあちゃんに「今日はこれで最後」と言われて連れていかれたのは水族館だった。
平日なのと時間帯がずれていたのとで館内はそこまで混み合っていない。私達は順路に沿って水槽の中の生き物たちを見て回った。
魚が泳いでいるのを眺めるだけなのに何故こんなにも癒されるのだろうか。大きな魚が悠然と泳ぐ姿も、小さな魚が海草に隠れている様も、見ていて飽きることがない。
水族館自体が久しぶりだったこともあって、ペンギンやアザラシを見て年甲斐もなくはしゃいでしまった。
「この写真どうかな?」
「これもよくない?」
「あぁー、すっごい可愛いー!」
「送るからそっちのもちょうだい」
水族館を出てからファミレスで晩ごはんを食べた後、お互いに撮った写真を見せながら思い思いに感想を話し合った。
「今回は時間が合わなくてショーとか見れなかったからさ、今度また行こうよ」
「うん、また行こうね!」
答えてから『自分で二度目のデートを確約してどうするんだ』とも思ったけど、すぐに楽しかったからいいやと思い直した。
でも、そっか……今日デートだったよね。
水族館の途中からすっかり忘れていたからか、今になって急に意識してしまう。デートで晩ごはんが終わったらどこへ行くのか。
「……このあとは決めてるの?」
「何もないよ。解散」
「…………?」
疑いの眼差しを送る。あのりりあちゃんがこのまま何もせずに帰宅なんてするだろうか。
「そんなあからさまに警戒しなくても。まぁあたしのこれまでの行いがそう思わせてるのは分かるけどさ」
「本当は……?」
「いやホントに何も用意してないんだって」
りりあちゃんが手元のスマホを弄びながら視線を逸らし言葉を続ける。
「最近菜央に負担掛け過ぎてるだろうから、今日くらいは家でぐっすり休んで欲しいと思ったの。無理させて嫌われてもイヤだし」
この子は本当にりりあちゃんなのか? 自分の欲望に忠実でことあるごとに口八丁手八丁で私を丸め込んで好き勝手するあのりりあちゃんが気遣いを示すなんて。
「……すっごい失礼なこと考えてない?」
「え!? そんなことないよ!」
「これでも菜央のことは大切に想ってるんだからね」
りりあちゃんが少し拗ねたように口を尖らせた。日頃の行いのせいとはいえ濡れ衣を着せてしまったみたいで申し訳ない。
でも今の言葉、どうにも引っ掛かる。私のことを大切に想ってくれているのは嬉しいし、実際そうなんだろうと思う。
気になるのはその理由だ。
普通、タレントになる交換条件でマネージャーを恋人にしたがるだろうか。一目惚れ? それならりりあちゃんの性格的にそのまま言うはず。女性に慣れているからたんなる遊びのつもりかとも思ったけどそういうわけでもない。
謎なまま付き合って謎なまま大切にされている。私はその理由が知りたい。
「……りりあちゃんは、何で私と付き合ってるの? 私よりもっと可愛い子だって他にいっぱいいるのに」
りりあちゃんが目だけで私の顔を窺い、ためらいがちに呟く。
「言わなきゃダメ?」
「ダメってことはないけど出来るなら聞きたい」
私の真剣な眼差しに答えるように、りりあちゃんは息を吐いてから話し始めた。
「似てたから。前の彼女に」
その答えにすぐ納得した。あぁそりゃそうだよね、と。
「あたしが中三のとき家庭教師に来てくれてた女子大生の人と付き合ってたんだけど、その人と雰囲気みたいなのが似てたんだ。年上っていうのと、人が良さそうとことかちょっと抜けてそうなとことか。だから話しかけられたときは正直びっくりした」
「……それで私に交換条件を持ちかけたの?」
「うん。本当にイヤそうならやめるつもりだったけど、菜央が結構乗り気だったからさ」
りりあちゃんが軽く笑うが私はくすりとも出来なかった。
「……その付き合ってた方とはどうなったの?」
「あたしが大学に入るちょっと前かな。相手が親の都合とかなんとかで結婚することになってそれっきり」
胃のあたりが重くて気持ち悪い。結局私はりりあちゃんが好きだった人の替わりでしかなかった。そのことがやるせなくて虚しくて、ここから逃げ出したくなる。
「そうだったんだ……ごめんね、私なんかが相手で。私はいつでも別れて大丈夫だから」
さっさと家に帰ってお風呂でも沸かそう。立ち上がろうとしたとき私の手にりりあちゃんが自分の手を重ねてきた。恐る恐る視線を向けると、優しい目が私を見返してくる。
「なんで謝るの? そんなに菜央はあたしと別れたい?」
「…………」
「まぁね、失恋のつらさを似た人でごまかしてただけだろ、って言われたら反論出来ないよ? 実際最初はそういうとこもあったし。でも今は違う。あたしが好きなのは目の前にいる尾嶋菜央ただ一人だけ」
「……もし、前の彼女が寄りを戻そうって言ってきたら?」
「断る――ってかっこよく言い切りたいんだけど、それはそのときにならないとわかんないや。向こうに泣きつかれたら無下に出来ないだろうし、でも菜央と別れるのは絶対イヤだし」
「二股宣言に聞こえる」
「仮にの話ね! 一応向こうの結婚生活も順調そうだし、多分あたしのとこにはこないよ」
「なんで知ってるの?」
「……インスタとか、見たから」
「やっぱり未練あるんだ」
「喧嘩別れとかじゃないんだし気になるのは当たり前じゃん! あーもう、やっぱり今日はこのまま菜央の家行くから」
「……何で?」
りりあちゃんが指を私の指に絡ませる。
「あたしがどれだけ菜央のことを好きか、しっかり教える為に」
「…………」
「だから菜央もあたしに教えてよ。前の彼女にやきもちを焼くくらいにはあたしのこと好きなんでしょ?」
やきもち、と言われて腑に落ちた。そっか、私は前の彼女に嫉妬してたんだ。それはつまり、他の誰よりも私を愛して欲しいというりりあちゃんへの好意に他ならない。
アイドルとかマネージャーとか関係なく、私はりりあちゃんが好きだ。
「……うん」
彼女のあったかい手をぎゅっと握り、しかと頷いた。
◆
あたしと菜央が同棲をするようになって二カ月ほど経った。
アイドルの仕事はそこそこ順調で、まだデビューして間もないのにファンだという人達も出来てきた。それは純粋に嬉しい。
だけど不満なこともある。
あたしが出る番組が深夜帯なのが多いせいか恋愛ごとに関して深く聞かれまくるのだ。
好きなタイプは? 今まで付き合ったことは? この中で付き合うとしたら誰?
いい加減ウソをつくのにも嫌気がさしてきた。何より菜央の見ている前で答えなきゃいけないというのがしんどい。
『アイドルはファンに恋をさせなきゃいけないんだから余計なことは言わなくていいの』
菜央の言うことももっともだ。人気アイドルグループだって恋愛禁止なのが当たり前だし、歌う曲は“僕”が“誰か”に恋をするものが多い。恋心を煽ることで応援に熱を入れてもらい、それが売上に繋がっていく。
二次元になると逆にアイドル自身の恋愛観が歌われたりすることが多いけど、結局それも同じ。リアルに存在しないからこそ彼女たちの想いを見ている側へと伝え、身近に感じてもらい好意を抱かせるのだ。
その辺の事情は分かってるしアイドルが仕事である以上しょうがないとも思うけど、共演者やスタッフ(どちらも男性)から色目を使われたり食事に誘われたりするのがきつい。事務所のことを考えると強く拒絶することもできないし……。
あるとき、ネットの生放送番組に呼ばれた。新人アイドルを集めてミスコンのようなものを行い、優勝者に別の番組のアシスタントになる権利が与えるという企画だ。
審査の最終発表前に司会進行の人から『りりあちゃんが優勝だからコメント考えといて』と伝えられ、やったと喜んで控え室に戻ったところぼそっと声が聞こえてきた。
「枕でもしたんじゃないの」
いやもう、あったまに来た。おまえらがあたしの何を知ってんだ、と。
でもここでキレたらあたしの負けだ。どうせ被害者ぶった顔で泣かれるだけ。
ひそひそ声は収録が始まるまで続き――溜まりに溜まったイライラがついに限界を超えた。
壇上にはあたし含めて水着姿のアイドルたちが十名ほど並んでいた。
司会の人がマイクを片手に熱の入った声を響かせる。
「それでは、今回審査員に選ばれたアイドルは~!?」
ドラムロールが鳴り響き、高らかに「淵沢りりあちゃんです!」と名前を呼ばれる。
あたしは一歩前に進み笑顔を見せた。さっそく司会の人が真横にやってくる。
「りりあちゃん、おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「選ばれてどうですか?」
「すごく嬉しいです」
「その気持ち、まず誰に伝えたいですか?」
「そうですね、やっぱり彼女に伝えたいです」
司会の人が怪訝な顔をする。
「彼女、って?」
「あたしの恋人です。今あたしのマネージャーをしてる人なんですけど――」
周囲の空気が固まった。司会の人が明らかに狼狽した様子で他のスタッフに目線で指示を仰いでいる。
「あたしがこうしてアイドルを始めたのもその人の影響だし、多分あたし以上に今日のことを喜んでくれるんじゃないかって――」
「あ、ありがとうございましたー! えーと、それじゃあ審査員の方々から締めのお言葉をいただくので、他の人達は一旦退場してもらって……」
案の定止めに入られた。けどこっちだって今更引き下がれない。
「まだあたしが喋ってるじゃないですか! あたしが恋人のことを話すのがそんなにおかしい!?」
おそらくその場にいたほとんどの人が『おかしい』と思っただろう。知ったことか。
「それとも相手が同性だからダメなの!? じゃあマツ○デラックスは? カズ○ーザーは? 最上○がは? ジョ○ィ・フォスターにエル○ン・ジョンは? みんな自分の気持ちを正直に打ち明けたうえで活躍してるじゃない!」
スタッフが二人掛かりであたしを連れていこうとする。引きずられながらあたしは叫ぶ。
「アイドルが恋愛しちゃ悪い!? 女の子を好きになっちゃ悪い!? 自分が幸せじゃないと他人に幸せなんて与えられるわけないじゃん! もしアイドルがあたしの恋愛の邪魔をするっていうんなら、アイドルなんかいつでも辞めてやる!!」
そのまま壇上から降ろされ控え室へと連行された。
当然のことだけど、めちゃめちゃ怒られた。後悔はしてないけど、菜央がプロデューサーにぺこぺこ頭を下げているのを見ると申し訳ないことをしたなぁと思う。
「はぁ……」
「菜央、ごめん」
「りりあちゃんが色々と不満に思ってたのは知ってるけど、もうちょっとタイミングとか考えて欲しかったな」
「……ごめん」
「まぁ、うん。終わったことはしょうがないとして、社長になんて報告しよう……」
「やっぱり辞めさせられるかな?」
「かもしれないね」
「もしそうなったら、菜央はあたしと別れる?」
恐る恐る尋ねると菜央があたしの目を見てふっと微笑んだ。
「別れると思う?」
その言葉だけで救われる。たとえアイドルなんかしなくても、隣に好きな人がいてくれるならそれだけで十分だ。
「就職かー。まぁ大学三年になってから考えよ。あ、菜央の家で専業主婦ってどう?」
「うちにそんな余裕ありません」
「いっぱいサービスするから」
「サービスするより働いてほしい」
多分菜央はあたしが就職出来なくても家に置いてくれるだろうし、あたしも菜央に迷惑掛けないように働きに行くだろう。それを踏まえた上での他愛ないやりとり。
しかし結局、危惧していたことにはならなかった。
『生放送であんまりはっちゃけたことはしないように』
社長から注意されたのはそれだけだった。
どうやらあたしの叫んでる部分の映像がすぐにネットで拡散され、『このアイドルが自分に正直過ぎてヤバい』と話題になったらしい。
出演オファーもすでに何件か来ている、と。
「人間万事塞翁が馬ってやつ?」
「たまたまうまくいっただけだからね!」
「でもあたしが自分の思ってること全部ぶちまけたのが受けたんでしょ? じゃあもうあたしの好きなようにやっていいんじゃない?」
「う……」
「大丈夫だって。最低限の節度とか礼儀は守るからさ」
後日。
『胸を揉まれたら大きくなるっていうけど、りりあちゃんは実感したことある?』
『あたしの場合揉まれるより揉むほうが多いんですけど――』
『続けて』
『気持ち大きくなったかなぁくらい。あ、でも感度は上がったと思いますよ』
『そ、そこまで言って大丈夫? あとで怒られない?』
『大丈夫です。怒った顔も可愛いんで』
『それ大丈夫じゃないでしょ!』
あははと笑い声が聞こえてくるスマホを手に、菜央がぷるぷると震えながらあたしを睨みつけて怒鳴った。
「どこに節度があるのー!?」
ごめんごめん、と謝りはするけど、多分このままの芸風でいくと思う。社長公認だし。
でもそれは菜央も分かってる。あたしに何を言っても無駄だと分かったうえでこうやって文句を言っているのだ。
「菜央ってちょっとMっ気あるよね」
「何か言った!?」
「いや別にー」
なお、このネットラジオも好評だった。
終
大変お待たせいたしました。
アイドルを題材にしたのは最後のりりあのところを書きたかったからです。