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「よしっ、お昼の準備しちゃおう。今日は頑張ってるライのために【肉パン】作るねっ!」
調理場に入ってきたミーシャを眉間に皺を寄せて一瞥したライだったがミーシャのその言葉には思わず喉がゴクリと音を立てた
だが、「……頑張ってる?」と小さな声で呟くと僅かに片眉を上げ不思議そうな顔をする
ライの声なら息漏れでさえ聞き逃したくないミーシャはしっかりその小声も拾い「そう!」と満面の笑みで返した
泣き腫らした瞳はすっかり普段の吊り目がちな薄緑色の瞳に戻っているが完治させるのは本日二度目である
「仕事始める前から沢山覚えようと頑張ってるライのための応援メニューだよっ」
腕まくりをしながら力を込めて言い放つミーシャにライは瞳を瞠るもすぐに呆れた表情を浮かべる
「クソしょーもねぇ理由だな」
美声でそう悪態を吐いたライだったが目元は微かに赤い
それを喜んでくれていると捉えたミーシャが更に気合いを入れたのは言うまでもない
昼食の刻限まであまり時間に余裕が無かった為ミーシャは肉の塊をそのまま使用することにした
保冷箱から取り出した塊肉にライが瞳を瞠らせているのが面白い
「すげぇな。朝、奥さんが作ってたやつじゃねえのか」
「へへーっ。ちょっと時間無いからね、今から作る【肉パン】はお肉をそのまま使います!」
「捌いてすぐな訳じゃねぇのに腐ってねぇ。その箱何だよ」
「これ?コレは保冷箱って言って傷みやすい食材を保存しとく箱だよ」
「………まさか、」
「うん、そう思うよね。けど、コレは自腹です」
ミーシャの自腹発言が面白かったのかライは怪訝そうな表情を解き小さな息を吹き出した
その笑みにミーシャの心臓は当然射抜かれる、今日も元気に満身創痍だ
「貢物以外にもあんだな」
「勿論だよ」
ミーシャ宅にある数々の貢物を目の当たりにしているライにとって高価そうな物は全て貢ぎ坊ちゃんからだと思ってしまうのも無理もないことだがミーシャとしては流石に貢物一色ではないと言いたくなる
見渡す限り全ての物に坊ちゃんの影がチラつくなんて心の底から御免被りたい
保冷箱は温度を通さない木材を使用した特殊な箱で出来ており、その中に寒い時期に作った氷を入れておくと中の物を冷やすことができる
箱の大きさと氷の量によって保冷できる期間が変わってくるがミーシャの家にある保冷箱の大きさは業務用で丁度次の寒い時期がくるまで保冷させることができる
とは云っても冷やしている元は氷なので箱の中全域が一定の温度な訳ではない
氷の近い場所に置けばよく冷えるし氷が遠ければ多少ヒンヤリとする程度であるため置き方には十分気を付けなければならない
ミーシャの父であり店の店主でもあるカーターは店を改装するにあたって今まで使用していた保冷箱を家に運び込み店用には新たに小さな保冷箱を購入した
傷みやすい食材を家で保管しておけば店で使用する物は1日保冷が保たれる程度の箱でも問題ないと考えたからだ
そうすることで毎日必要な食材と氷を家から店に運ばなくては成らなくなるが歩いて寸刻の位置なのだから負担になることもない
肉の塊に味付けをするための下拵えをしながらミーシャが保冷箱のそうした説明をすればライは軽く相槌を打ちつつ耳を傾けていた
しかしその手元はミーシャに指示された野菜の下処理を熟すために忙しなく動いている
お互いエプロンを着けながら調理場に並んで立ち各自の作業を続けつつも軽い応酬を繰り広げて時折視線をも投げ合う
大好きな人とのそんな新婚のような状況にミーシャが暴走しない訳も無く
アレもコレもとメニューを増やしていった結果カーターとニナが昼食を食べに家に戻ってきても完成した料理で出迎えることはできなかった
「これから俺とニナは買い付けに行ってくるからお前らも午後は店の方に行かなくていいぞ」
ニナの手を借りて何とか昼食を作り終え、さぁ食べようと各々料理に手を伸ばしてすぐに一家の大黒柱カーターがそう告げた
「へ?」「あ?」とそれぞれ不思議そうに声を漏らすミーシャとライ
そんな二人の反応にすぐには言葉を返さずにカーターは手に取った【肉パン】に大きく噛み付いた
「お?肉汁がしっかり詰まってるし味もちゃんと染み込んでんな。上手く焼けてるじゃねぇか、ミーシャ」
「ほんと?良かった」
「あら、本当。それに、隠し味にスパイスを入れたのね?美味しいわ」
父に続いて母であるニナにも褒められてミーシャは嬉しそうに顔を綻ばせる
その様子を横目で眺めていたライは手の中にある【肉パン】に視線を戻すとゴクリと唾を飲み込んだ
しかしソレに齧り付くより先に話を進めようと思ったのか「で?」と対面に座るカーターに先を促す
「店行かねえって、もうやる事残ってねえのか?」
「いや、まだ細けえとこ片付けなきゃなんねえしライの部屋の家具も組み立てなきゃなんねえから残ってねえ訳じゃねぇな」
「なら今日やりゃあいいじゃねえか」
「まー、それもそうなんだが。どうせなら全員でやったほうが手間も省けるんじゃねえかと思ってな。何か聞きてえ時にそいつが居なかったら二度手間だろ?」
食事を続けながら話すカーターの内容にミーシャも同意するかのように「ぁー…」と声を漏らす
話しながらも口に運ぶ手を止めないカーターの様子にライも待ち望んだ手の中の物を味わうべく口を大きく開いた
「じゃあ、私たちはデートしてきてもいい?」
「ゴフッ!」
ミーシャが喜色に滲んだ声を弾ませてカーターに尋ねると丁度一口齧り付いていたライは盛大に咽せた
ゴホッゴホッと口に物を含むこともできない状況では折角の待ち望んだ味も分からず仕舞いである
「大丈夫?」と心配そうに水を渡してライの背中を摩るミーシャにライは金色の瞳でギロリと睨みつけた
だが苦しさから出た生理的な涙で滲んでいるため眼光の鋭さは大分緩和されている
そのライの貴重な潤んだ瞳姿に勿論ミーシャの心臓は大打撃を受け剰え精神的にも胸に大穴を開けたのだが開けた当人はそんなこと知る由もなく息苦しさを無くすために渡された水を一気に呷っていた
それでも未だ咳き込み言葉にならないライとその隣りで真っ赤に身悶える娘の様子にニナは「あらあら」と笑いながら空いたグラスに飲み物を注ぎ足しカーターは苦笑を浮かべる
指に付いたソースを舐めとると次は揚げた芋に手を伸ばしながら悶える愛娘へと話しを続けた
「んにゃ、どうせなら今日はライに読み書き教えてやれ」
「え?」
暴走特急驀進中だった為に聞き逃した父の言葉をミーシャがもう一度尋ねればカーターは次々に芋を口に運びながら「読み書き」とモゴモゴさせて答えた
何とか聞き取れたミーシャが言葉の意味を理解すれば咳が落ち着いたライも内容を理解したのか僅かに居住まいを正していた
耳を傾ける二人にカーターも次に手を伸ばした【サラダパン】を一度皿の上に戻して今度はしっかりと告げる
「ライに教えてやれって頼んだろ?まぁ、仕事は厨房ん中ばっかだから初めは接客もないしな。すぐに読んだり書いたりできるようになる必要もねえが覚えんなら早い方がいいだろ」
「…いいのか?」
「あン?なにが」
カーターの言葉にミーシャは勿論諸手を挙げてなんなら万歳までして了承するつもりだったがライは即答ではなかった
確認を取るその声も僅かに硬い、が、お手軽ミーシャには鼓膜を震わす美声でしかないためやっぱりお手軽に胸をときめかせていた
「…、まだ店の準備も終わってねえし忙しいんだろ。ンな時に俺なんざに時間使う必要ねえんじゃねえか?二度手間だ、つっても組み立て程度なら俺だけでも出来るし」
「よーしっ、決めたぞ。おまえは午後みっちりミーシャと勉強会だ」
「は?」
「それから店が始まっても毎日午後は勉強会だ。わかったな?この大馬鹿野郎が」
「は!?」
「えっいいの⁉ ︎わーい!やったー!!」
父からのお許しにミーシャが全身で喜びを表現する横でライは意味も分からず眉間に皺を寄せる
しかしカーターはそんなライの様子を気にすることなく厳しい顔で再度【サラダパン】に手を伸ばした
ライが動揺も露わに瞳を泳がせるもカーターは先程まで食べながら話していたことなど無かったかのように黙々と食べ続けているしミーシャは万歳しながら喜ぶばかりだ
黙っていても答えが聞けないと察したのかライは握った手に力を込めて小さく呟いた
「……それは、仕事させねえ…って、ことか?」
「だから大馬鹿野郎だっつってんだ」
ライが自然と落としてしまった視線を上げればミーシャと同じ薄緑色の瞳が眼光鋭くライを睨んでいた
「おまえなんざじゃねえし、仕事もさせねえなんて言ってねえだろ。昨日俺は言ったな?おまえのこと息子のように大事だって。なら、おまえにかける時間も大事に決まってんだろ」
「っ、」
「そうね。それに心配しなくてもお店は昼過ぎに閉めちゃうことが多いからライくんとミーシャの手伝いがなくても大丈夫なのよ」
「そう、なのか…」
「ありがたいことにその頃には売る商品が無くなっちゃうのよ。お店が広くなったけど、それでも夕方前には閉めることになると思うわ」
「おう、だから俺たちの勝負所は朝から午前にかけてだ。心配しなくてもコキ使ってやるからしっかり働けよ?」
カーターとニナの言葉にライは身体を硬くして聞いていたがニヤリと笑う雇用主の表情にバツが悪そうな顔になる
その一挙手一投足一表情全てを見逃さず黙視し続けていたミーシャは今ここでこの素晴らしく魅了してくる相手に抱き着いたら怒られるだろうかと真剣に悩んでいた
「ライ」
「あ?」
「私が絶対、ライを満足させてみせるからね」
「は?」
空気を辛うじて読み切ったミーシャが真剣な表情のままライに伝えればライは怪訝そうな表情で見返した
そんな表情も大変麗しいこの目の前の美神が求めている勉学を教授するという大役を仰せつかったのだ、生半可な気持ちではできない
父に似せた厳かな表情で固く決意したミーシャは決意表明として自分の分の【肉パン】に勢いよく齧り付く、腹が減っては大戦を成すことなどできないのだ
そんなミーシャの若干傾いている思考をライが分かるはずもなく只々意味が分からないとばかりに柳眉を寄せる
どこか噛み合っていない二人の姿にニナはクスクスと笑うと「ミーシャが昔読んでいた本なら二階の空き部屋にあるから、ソレを使ったら?」と恋を楽しんでいる愛娘に提案した
ミーシャも母からの提案を有り難く受け入れ今後の計画を立てるために頭をフル回転させ腹も満たしていく
その決意が滲み出ているミーシャの横顔にライは首を傾げるも理解することは早々に諦めた
隣に座る娘の思考回路を自分が理解できないことなど初めからわかっていたことだと
そう結論付けたライはそれからやっと待ち望んだ【肉パン】を味わうために大きく口を開けたのだった




