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ミーシャは何度も頭の中で繰り返した言葉をもう一度反芻した
「かっこよすぎる…」
胸の内で呟いたつもりが知らずに口から溢れていた、が、そんなことはどうでもいい
ミーシャの心臓は止まっていた
いや、もしくは脈動し過ぎて口から出るところだった
それに比べたら胸の内で叫ぶはずの言葉を口から溢す程度かわいいものである
ミーシャが溢した魂の言葉にライは柳眉を寄せて発声者を見下ろした、本当に耳が良い
心臓の行方が分からなくなるほど悶絶している今この時にその御尊顔を向けられることは追撃に等しいため迂闊に動かないでもらいたいがミーシャとしては吝かではない
ー 『ミィに、力任せに何かしてみろ』
背筋を凍らすほどの怖さを纏った声には心を奪われるほど甘美な言葉がのせられていた
例えそれが相手を脅すための言葉だとしても家を想っての事というだけで胸が詰まるほど嬉しいのに態々名指しで告げられてミーシャは息がしにくくなるほど胸を締め付けられた
苦しいほど締め付けられる胸と己の心臓を守るためにライの手を握っていた手を解き両手で顔を隠す
昨日のようにライの身体で顔を隠さなかったのは寿命を伸ばすためである
今ライを過剰摂取するとミーシャは危ない、例え幸福死でもライとの【恋愛】を経験せずには死ねないのだ
「あ?」
「…かっこいぃぃぃ」
「……はっ、おまえ正常なトコあんじゃねえか」
「私はいつでも正常だょぅ…」
鼻で笑いながら良く通る低い美声という名の追撃をかけられれば更にミーシャの心臓は主張と家出間際を繰り返す
ライの美声には自嘲が含まれていたがミーシャにとっては魅力を上乗せされただけであり、あなたのおウチはここ!と必死に自分の心臓を引き止めることにしか意識が向かない
顔を覆うミーシャを見下ろしていたライは柳眉を寄せた苦い顔を横へ背けた
「だったら何で追い出してんだよ」
「…へ?」
「………追うのか」
「え、誰を?」
「ぁあ?」
ライの平常よりも低い声音の中に不機嫌の色が混ざった相槌を返されてミーシャはやっと覆っていた手を離して隣に立つライを見上げた
例え機嫌が悪くても魅力にしかならない大好きな人もとい美神は背けた顔のまま舌打ちすると箱を持つ手とは逆の手で焦茶色の髪をガシガシと掻いている
どうしたというのだろうその髪を掻き毟る姿も大好きなのだけどとミーシャが不思議そうにライに声をかけようとしたところでミーシャの反対隣から落ち着いた低い女性の声が先にかけられた
「ほんと、どっかの軟弱ナルシスト達に比べてズバッと言ってくれるの気持ちよかったわねー。かっこよかったライさん」
「っ!でしょう!?だよね、だよね⁉︎⁉︎ほんっっとにかっこよかった……っ!いつも誤訳が酷い坊ちゃんから守ってくれただけじゃなくて追い返してくれたんだよ!?凄い、もう、ほんと、かっこいい…」
「ねー。あいつもさぁー、顔は良いのに話を都合よく解釈しちゃうとこが痛いというか勿体無いというか残念というか」
「あー、だめ。無理。まだ、胸痛い…心臓が家出しちゃう…」
「どういう状況よ、ソレ」
「だから心臓が…、あっ!!ダメだよエイミー!!!」
「何が?」
ミーシャは隣で腕を組みどんぐり眼をくりくりとさせた愛らしい表情の親友へ身を乗り出した
「いくらライがとてつもなくかっこよくて魅力的で男性として完璧だからって好きになっちゃ駄目だよ!…はっ!?でも恋する気持ちは理性でどうにもならないよね…っ。………っ、どうしよう!!私っライもエイミーも大好きなのにっっっ!!」
「うん、とりあえずそのどちらか一方みたいな選択は未来永劫こないから大丈夫よ」
「わかんないじゃん!!だってライだよ!!??こんなにかっこよくてあんなにかっこよかったんだよ!?エイミーだって「あんたとは趣味が違うっつったでしょ」
「……おれかよ…」
ミーシャがこの世の終わりだとでもいうように悲痛な叫びを親友へ訴えれば親友にはバッサリと否定されてしまった
エイミーとの興奮冷めやまぬ会話の中に微かに擦れた美声を拾ったミーシャはこの世の終わり顔のままライに向き直る
ライは相変わらず顔を背けていたが髪を掻いていた大きな手で御尊顔を丸ごと覆ってしまっていた
高い背を僅かに丸め男らしい筋張った首を項垂らせてもいる
ミーシャの角度からはライの覆われた顔部分は見えないが短い焦茶色の髪から覗く耳が傷のある耳殻まで赤く染まっていることは見てとれた
ライが照れている
それだけで悶えるお手軽ミーシャはこの世の終わり顔を赤く染めライのこぼした美声の内容を拾えなかったことを悔やんだ
「ごめんね、ライ。良く聞こえなくて、何?」
「……っンでもねぇよちくしょう…」
「え、でも…」
「うっせえ、このイカれ女」
「え、さっき正常って言ってくれたのに!」
「うるせえ!脳味噌全部トチ狂わせてんじゃねえよ!」
「ええ!?理不尽!!」
突然の暴言にミーシャは薄緑色の少し吊り上がった瞳を丸くし瞬きを繰り返したのだが、目蓋を開ける度に覆った手を外した美神の赤ら顔が視界に入ったため不満よりも幸せを感じてしまう
そんなどこか噛み合わない二人の横でエイミーは声を出して笑った
「あははは!本当仲良いよね。一昨日も思ったけどミーシャが男の人に砕けて話すとこ滅多に見ないから新鮮だわー」
「そうだっけ?」
「そりゃあ小さい頃は違ったけどさ、あんたここ数年は徹底的に男に対して線引きなのか敬語ばかりじゃない」
「そりゃ、だって」
「わかるけどね」
肩を竦めるエイミーにミーシャは苦笑で返した
確かにミーシャは店の客や年上に対しては敬語を心がけているが幼い頃からの友人や年下には畏って話すことはない
だが明らかにミーシャに想いを寄せているとわかる人物や露骨にアプローチしてくる相手には例え年下でも店の客でなくても敬語を崩すことはない
加えて名前も覚えない
そのやり過ぎともいえる徹底した態度こそがミーシャの夢見る【好きな人との恋愛】を叶えるための下積みでありミーシャなりの誠意の返し方だった
そのどこか頑固で真面目なミーシャのことをよくわかっているエイミーはどんぐり眼を楽しそうに細めソバカスが浮かぶ頬を緩めた
「さっきのことだけど、本当に心配しなくても大丈夫よ。親友の想い人に横恋慕するわけないでしょ。確かにライさんかっこよかったけど、それで思うことはミーシャの好きな人が素敵で嬉しいってことだけよ」
「エイミィ~…」
「…イカれてんのはこいつだけで充分だ」
ソバカス顔に柔らかい笑みをのせどんぐり眼でパチンとウインクをした親友にミーシャは涙ぐむ
そしてその会話を黙って聞いていたライは未だ赤い顔で溜息を吐くと疲れたように言葉を吐き捨て衣類の入った箱を抱えたまま二人に背を向けた
「あ、ライ。二階に持ってくの?」
「…ぉー」
「飲み物いれるからライも飲むよね?」
「いらね。まだ覚えてねえし昼飯作り始める時になったら呼べ」
背を向けたまま空いた片手を振り用件を述べたライはそのまま二階の階段へと向かって行った
坊ちゃんが来る前ライは【香草】を覚えている途中だった
荷物を置いたらきっとそのままにしている居間へと戻り暗記を再開させるのだろう
そして雇い主であるカーターに言われたとおり今日の昼時にも皮剥きを練習するつもりなのだ
その勤勉な態度を持ちながらも守ってくれるという頼りがいもあり
野性的でどこか危険な魅力を併せ持つのにすぐに赤らめる純情さ
「んんんッ、っかっっこよすぎじゃっないかな…!?」
「いいからあんたはまず、目ぇ冷やしなさいな」
天元突破したライの魅力に悶え崩れるミーシャに向けて幼い頃から遠慮要らずの親友は呆れながら言葉をかけた




