73・
身が付いた皮なのか皮が付いた身なのか最早どちらなのかわからない切れ端が調理台の上で彼方此方へと散らばる
「くそっ、ンだコレ。おまえどうやったんだよ」
ライが悪態を吐きながら見るも無惨になってしまった根菜の乱雑切りを一度止め横に立つミーシャを見下ろせば静かだと思っていたミーシャは自分の手を見下ろして微動だにしていなかった
ぁあ?とライが眉を訝しげに上げ「おい」とその顔を身体を屈んで覗くと自分より白い肌が赤く染まっている
僅かに息が詰まったライはソレを誤魔化すように声をかけた
「ンだ、そのツラ」
「…ッく、罪深すぎる…っ!」
「はぁ?」
瞼を閉じて眉間に皺を寄せどこか苦しそうな顔をするミーシャはやはり意味がわからないし顔も赤い
(意味わかんねぇ)とライが屈んだ身体を元に戻せば調理台の上の赤い野菜が視界にはいった
その鮮やかな赤色に思わず小さく吹き出したライはその野菜を手に取りミーシャの顔の横に並べる
赤くなっている耳と手に取った野菜があまりにも似た色合いをしていてライが今度こそ大きく吹き出しケラケラ笑えばミーシャが不思議そうに顔をあげた
「すげぇ似てる」
「へ?」
「おら、野菜になってんじゃねぇ。おまえどうやったんだよ、剥けねぇぞ?」
「んぇ?」
薄緑色のつり目がちな瞳を何度も瞬かせ変な声をあげるミーシャにライはまたもや小さく吹き出しながらもう一度やれと催促した
不思議そうにライを見上げていたミーシャだったがライが三度吹き出せば「うぅっ」と淡橙色のエプロンを握りしめる
未だ野菜色の顔のままライの促しに慌てたように視線を調理台へ移して
固まった
「ライさん、ライさん」
「ぁあ?」
「……これは?」
「………剥けねぇつったろ」
呆然と呟くミーシャにライは憮然とした表情で返す
(コイツ、見てなかったのかよ)
己が苦戦して対峙していた瞬間を見ていなかったのかとライは自身の失敗を棚に上げてミーシャに呆れた視線を送った
そんな開き直りをしているねじ曲がった羞恥心の視線には気付かずにミーシャは「くぅッ…!」と呻き僅かに前屈みになる
「またソレか」
「くッ…、母性本能が…!」
「わけわかんねぇこと言ってねぇでさっさとやれよ」
「くぅぅッ」
「冷たい…理不尽…でも、そこが…ッ」とブツブツこぼしながらミーシャは乱雑切り根菜を一つ手に取りナイフを当てスルリと身についた皮を剥いた
自分がやったこととは言え元の大きさよりも小さくなってしまった根菜をいとも簡単に剥いてしまったミーシャにライは小さく驚いた
(すげぇ楽そうに見えんのにな)
見てるぶんには簡単そうなのだがいざ手に取り実践してみるとやはり乱雑切りになってしまう
「ぁあ⁉︎」とライが舌打ち混じりに悪態を吐けばナイフを持っている腕に細い指がかけられた
「力が入り過ぎなんだよ。もっと力抜いて?」
「……」
ミーシャにソッと触れられた腕がピクッと反応するとライは思わずまた力を入れてしまいサクッポトッと身が落ちた
「……」
「……」
なんとも言えぬ沈黙が流れた中ライは(クソが)と内心で悪態づく
ただでさえ慣れない作業中にいきなり触ってくるコイツが悪いとライはジロリと隣りを見下ろせばライの八つ当たり気味の視線に気付かないミーシャはさらに小さくなってしまった身を見つめながら「うーん」と唸っている
何を唸っているのか知らないがミーシャが特に何も言わないのならば自力で何とかするしかない
一刻も早く剥けるようにならなければとライは手元に残った切り身に再度刃を当てた
皮剥きはライの仕事で投げ出すことは選択肢にない
ならひたすら数をこなせば何とかなるかとライは真剣に手元を動かすが手元からはサク、ポトの二音が繰り返される
先の見えない目標に僅かにウンザリすれば先程のミーシャの言葉が過った
『ライと一緒ならめんどくさい皮剥きも一生できそう』
(……)
微かに体温が上がった気がする自身の身体の変化に気付けば自ずとため息も溢れてしまう
こんなめんどくさい作業のときにあんなトチ狂ったことをいきなり言われればそれこそ手元が狂いそうだとライは持っていたナイフを一度調理台の上に置いた
すると先程まで唸っていたミーシャが「あ、じゃあこうしようか」と声をあげた
「ぁあ?」とライが思わず凄みながら隣りを見下ろすと薄茶色の髪の先の鈴をリンッと奏でながらミーシャはライの腕をくぐっていた
「は?」
「よしっ。じゃあーはい、コレ持って」
「………よし、じゃねぇよ。何してんだおまえ」
「あいてっ」
得意げに言葉を放ってきたミーシャの後頭部が目の前の丁度良い位置に来たためライは遠慮なく小突いた
小突かれた後頭部を手で押さえながらミーシャが振り向くとライの真下に喜色満面の笑みが広がっていて思わずライは一歩下がる
「あ、ちょっと。下がっちゃうと台に届かないよ」
「おまえが邪魔してっからだろうが」
「そんなことしてないもん。ほら、こっち来て」
そう言ってミーシャはライの手を両手でグイッと引っ張るがライは訝しんだまま動かない
「何企んでんだ?」
「企んでないよ!ちょっとしか」
「企んでんじゃねぇか」
「まぁまぁ。教える気持ちの方が強いから安心して、ね?」
何を企んでいるのか楽しそうな笑みを浮かべ首を傾げるミーシャにライは疑いの視線を送るもキラキラさせた薄緑色の瞳で見上げられてしまえば否とは言えなかった
ため息を吐きながら距離を取った分だけ戻ればミーシャとの距離は掌一枚分しかない
触れることに戸惑わなくなったとは言え未だ慣れない距離の近さは居心地悪く落ち着かない
しかしミーシャはライが近付いたことに「へへっ」と嬉しそうに笑うとまた調理台の方へと向き直った
(……くそっ)
ミーシャが動くたびに香る甘さにライは内心で精一杯の悪態をつく
この香りはライの思考を鈍らせる危険なものだ
そしてその思考は鈍らせてはいけないとライは僅かに歯を食いしばった
【恋愛】がわからないライではあるがそれでも【欲】と【恋】が似て非なるものであることはわかっていた
物乞い時に通り過ぎて行った男と女が【恋】で情事を見せつけてきた奴らのは【欲】なのだろう
【恋】は身近には無かったが【欲】ならば腐るほど在り情事以外のモノも常に近くで見てきた
だからこそライは【恋】が分からないままミーシャに無闇に触れたくない
例えどんなに自分が触れたいと思っていても
ミーシャはあんな汚いもので触れていい女ではないと
だから必要以上に自分からは触れない
例えミーシャから抱きつかれたとしてもソレがミーシャをあやす為や励ます為でなければ抱きしめ返すこともしない
ライは既にそう決めていた
なのに、
「はいっ!じゃあナイフ持ってー、うーん、この大きさなら大丈夫かな?」
「………」
ライの決意を嘲笑うかのように目の前の女は甘い香りを纏って無邪気に振る舞うのだ
ライは内心でため息を吐きながらミーシャが渡してきたナイフと根菜の成れの果てを手に取る
そうするとライより頭ひとつ分小さいミーシャはその両腕の中にすっぽりと収まってしまった
今度は我慢せずにライが盛大にため息を吐き邪魔だと声をかけようとしたところでライの両手にミーシャの手が重なった
「っ、」
「はい、じゃあまずはライは力抜いててね。支えるだけだからね?」
突然の柔らかい感触と絶えず香る甘い香りに意識が戻れば思わずナイフを持つ手に力が入りそうになる、が、ミーシャの華奢な手の存在に慌ててナイフを離した
「わっ、ライそこまで力抜かなくても。ちゃんと握ってないと危ないよ」
「~~ッッてっめぇのほォーがっ危ねぇだろ‼︎‼︎」
「え?」
ー リンッ
小さな鈴の音と共にミーシャがライの胸に頭を預ける形で上を向く
トンッと軽くかかる重さに反してライの心臓は大きな音を立てて存在を示してきた
下から覗く薄緑色の瞳から逃げるようにライは胸に当てられた頭をグイッと勢いよく元の位置に戻し「見んな!!!」と叫んでしまう
顔全体に熱が集まっているのを自覚すれば思わず舌も打っていた
「わっ、え、何、どうしたの?」
「ッどうしたじゃねぇ!何してんだ、危ねぇだろ!」
「え、大丈夫だよ。ちゃんと支えるから」
「ナイフ持ってんのは俺だぞ⁉︎」
「うん、だから私が手を添えればライも力加減分かるでしょ?」
ミーシャはライに押さえられている頭の位置を変えることができないため視線を調理台に向けたまま何でもないことのように言葉を放ち
ライは真っ赤に染まった顔でミーシャの旋毛に向かって声を荒げる
「だからっつっていきなり刃物持ってる奴に触んな!」
「あ、ごめん。そうだよね、じゃあ手を添えるからライはナイフ持っててくれる?」
「言やぁいいってもんでもねぇ!!」
「えー、でもコレが一番力加減がわかると思うんだよね。ライも早く出来るようになったほうが嬉しいでしょ?」
「……~~ッ、くそっ!」
お互い同じ方向を向いたまま口論紛いなことをするという些か間抜けな状況の中で効率に魅せられたライは苦々しく折れることになった
調理台の前でミーシャを囲むように後ろに立ちライの手にはミーシャの手が重ねられる
「ほら、剥けるでしょ?」と声を弾ませながら重ねた手を動かす己の腕の中に居る女を意識しないように力を込めすぎないようにナイフを手放さないように万が一にもミーシャの手を傷付けないように
ライは只ひたすらに野菜の皮に集中しうるさく存在を主張する心臓を誤魔化すように内心で叫んだ
(クソがッッッッッッッ!!!!!)




