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「おら、飲めよ」
そう言ってライは果実水の入ったグラスをミーシャに手渡す
ソファとグラスを置いたローテーブルの距離は然程遠くない
ミーシャが自分で手を伸ばしてもすぐに取れただろうものを態々手ずから手渡してくれるライにミーシャは涙も忘れて胸をときめかせるしかない
「ありがとう、聖人様…」
「は?」
「あ、また想いが溢れてた…」
「意味わかんねぇ」
グラスを受け取ったミーシャが思わず素直に滑った口を片手で押さえればライは片方の柳眉を上げる
その器用な動かし方ひとつでミーシャのライに対する想いは天元突破するのに本人はそのことをわかっていない、ライに関してはミーシャは簡単に陥落するのだ本当気を付けて欲しい
「やっぱり大魔神かな」
「わかる言葉を話せ」
「わかった。じゃあまずは初めて会った時のライがどれだけかっこよかったかって言うとね「待て、なんでそうなった」
グラスに口をつけながらポツリと溢した言葉にライが聞き返したためミーシャは心得たとばかりに喉を潤してから饒舌に語り出した、が、アッサリ止められてしまう
訝しげに目を細めるライにミーシャはキョトンとしながら「え、だからライの魅力を」と言ったところで「やっぱ話さなくていい」とまた言葉を遮られる
ライは片膝に頬杖をつきもう片方の手を振ると「さっさと飲め」とミーシャを促した
「今から昼飯作って皮剥きもやんだろ」
「うんっ!あ、」
「なんだ?」
ライとは何をしてても楽しいが調理場に並んで立つのは殊更楽しいミーシャはこれからのことに笑みを浮かべる
しかし、頭をかすめた考えに僅かに顔が翳った
先程のミーシャの話を聞いてもライから軽蔑されてる様子はなくてひどく安堵したがライの中で【恋愛】に関する何かが芽吹いたかどうかはわからない
しかし今話した内容がいつかライの負担になるかもしれないのではないかと思ってしまったミーシャは更に顔を曇らせる
もし、万が一、考えるのも恐ろしいが
ライがミーシャの想いを断ろうと思った時
ミーシャが辛そうに顔を歪めたり怒りだすことを危惧して本当のことを話してくれないのではないかと
自分の嫌な考えに心臓が酷い音を立てる
顔色を悪くするミーシャにライは頬杖を解き「おい?」と金の瞳でミーシャの薄緑色の瞳を覗き込んだ
月の輝きを持つ金の色に締め付けられ壊れそうな胸を押さえてその痛みに気付かないフリをしたミーシャは言葉を紡ぐ
「ねぇライ。もし、もしだよ、万が、一、本当に、万が一…、どうしようも、ない、ほどの、…可能性の、中、で……」
「しつけぇな、なんだよ」
「………………これから、先、私と……。
れ、恋愛、…したく、…ない、って………ハッキリ、思う時が、きたら…
ちゃんと、……言って、ね…。
無理、しないで、あっ、遠慮もっ。……しないでね。
大丈夫っ私なら、断られたくらいで簡単に諦めないからっ。あ、でもそれだとやっぱり言ってくれなくなるのかな…」
「……」
どうあっても本音を言ってもらえるかは難しいのかもしれないとミーシャは乾いた笑みを溢す
もしライがミーシャの想いを受け取れない、………例えば、考えたくも…ないが、
……他に、好きな人が、できたとき、
ライが断った後のミーシャの反応を忌避したりミーシャに更に纏わり付かれるのが嫌で何も言わなかったら
例えそれが友愛からくるものでも
同情で嘘をつかれるのも
他の人を心に住まわせながら傍にいてくれるのも
ましてや何も言わずに離れていってしまうことも
ミーシャは嫌だった
嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡るミーシャはそれでも平気だと伝えるために声だけは明るくする
だが、どう誤魔化しても今自分は酷い顔をしているのだろうとミーシャは青い顔を俯かせた
何も言えなくなってしまったミーシャにライからの反応はない
それが更にミーシャには居た堪れなくて手の中にある空のグラスをギュッと握り唇を噛み締めた
暫くお互い何も話さなかった空間に美声が奏でられる
「言いてぇことはそれだけか」
地を這うような声音だった
いつもの美声に上乗せされた低音がライが不機嫌であることをまざまざと知らしめている
その声音にミーシャはハッと顔を上げればライは今まで見たことがないほど険呑な瞳をしていた
眉の間に何本も皺を寄せ鋭くミーシャを睨みつける金の瞳にミーシャは慌てて詰め寄る
誠実なライに対して酷い言いがかりをつけてしまったとミーシャは薄緑色の瞳を頼りなさげに揺らして口を開いた
「ライを信じてないとかじゃないの。ただっ、……ただ、ライ、が、……さっき、私が話したことで本当のこと、言って、くれなくなったり……、するのが嫌だなって……。それに……、そのまま、離れていっちゃうのも嫌で……不安に、なっただけなの…。」
「はぁ?なんで、ンな考えになるんだ」
僅かに調子の外れた声からは先程の険呑さが消えていたが未だどことなく不機嫌そうなその声音にミーシャはソッと視線を逸らす
例え話でも自分の口からライに他に好きな人ができる可能性を言いたくはない
口に出すことでもしかしたらその可能性が高まってしまうかもしれない
そんなこと耐えられる筈がないとミーシャはまた唇を噛み締めた
苦しそうに顔を歪めながらも何も言わないミーシャにライは舌打ちをするとミーシャの肩がビクッと上下する
初めて見るその過剰な反応にライは益々眉を顰めて短くなったばかりの髪を掻き毟った
美息を吐く音にまたもやミーシャがピクッと身体を反応させれば「ミィ、こっち向け」といつもの美声が落とされる
普段の声音にミーシャが幾分か安堵して恐る恐る視線を戻せばライは真剣な表情でミーシャを見つめていた
その表情に不安を抱くのにやはり胸も高鳴ってしまいミーシャは益々困惑した顔をするがライは表情を変えずに薄い唇をゆっくりと開く
「おまえ初日の沸いた頭はどこやった」
「へ?」
「俺が何言っても能天気に迫ってきたくせに今更何言ってやがる」
「……」
ぐうの音も出ない
初めて出会った時はあまりの奇跡との巡り合わせに混乱してしまい何が何でも逃すものかと必死にしがみ付いていた
なのに距離が近くなったと思った瞬間に今度はすぐに不安になってしまった自分にミーシャは何も言えずに眉を下げることしかできない
言葉を返せないでいるミーシャにライはまた溜息を一つ吐くとジロリと金の瞳でミーシャを睨みつける
「こんだけ人のこと引っ掻きまわしておいて今更何言ってやがんだ」
「え、」
「確かにさっき言ってた意味わかんねぇ態度されんのはクソめんどくせぇ」
「う、」
「だからっつってなんで俺がおまえに遠慮だとか離れるだとかの話になるのかさっぱりわかんねぇ」
「うぅ、」
淡々と言葉を紡いでいくライにミーシャは最早一音でしか返せない
確かに少し感傷的になっていた為いつもとは違う方向に暴走してしまったかもしれない
ライの言う通り、初日にミーシャは絶対にライを諦めないと決めていた
それは今も変わらないし今後も変わることはない
そう考えれば今はまだわからない先のことに勝手に不安がるのはひどく見当違いな気がしてきた
そもそもライは誠実で優しくハッキリものを言う
ミーシャへの想いがなかったとしても【恋愛】がわかったならその想いを抱くミーシャを無碍に扱うとは思えなかった
いつの間にかライの性格をも見失うほど浸ってしまっていた自分に気付いたミーシャはあまりの居た堪れなさに内心呻き手の中のグラスをローテーブルにソッと置くと真っ赤になった顔を両手で隠した
その様子にライはまた溜息を一つ吐くと先程と同じようにいつもの美声で言葉を放った
「わかんねぇ今の俺が言っても意味ねーのかもしんねぇけど、そもそも俺はおまえを手放す気はねぇからな」
「え?」
一瞬、時が止まった気がした
あまりの現実離れした言葉にミーシャが覆った手から思わず顔を僅かに上げればライはもうミーシャを見ておらずローテーブルに手を伸ばし自分のグラスを掴んでいた
ソレを口に運びながらライは何でもないことのように「だから、」と言葉を続ける
「おまえは余計なこと考えずにヘラヘラして俺がわかるまで待っとけ」
ゴクッと喉を動かす目の前の人にミーシャは己の瞳が大きくなったことを自覚した
無意識に開いてしまった口を閉じることもできずにミーシャは身体中を真っ赤に染め上げただ一言、胸の中で呟いた
(………大魔神…………)
完全に殺しにきてる
ミーシャは極大極太の矢が刺さった胸をギュッと鷲掴んだ




