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ー リンッ
髪に編み込んだ焦茶の革紐に付いている小さな鈴が軽やかな音を奏でる
ー リンッ
足を止め深く深く息を吸う
ー リンッ
次いで肺の中の空気を全て吐き出すように長く長く吐く
片肩から垂らした焦茶と薄茶の編み込みも胸の動きに合わせて上下する
(よし…ッ)
ミーシャは拳を握りソッと扉を叩く
部屋の中にいる人物に気付かれないように
とりあえず叩きましたよという形をとってそそくさと扉を開けようと取手に手を伸ばせばミーシャが触れる前に扉がゆっくりと開いた
(あぁ……っ)
駄目だった…、と内心で少し肩を落としながら部屋から出てきた人物に笑顔で声をかける
「おはよう、ライ」
「……あぁ」
寝起きの掠れた声と寝癖のついた髪
頭を掻きながら欠伸混じりに返事を返すこの上なく美麗な人
ミーシャは不意打ち連続コンボに朝から悶えることになった
さすが神いや小悪魔……もしかしたら美を司る悪魔かもしれない、ライは悪ではないのだけどむしろ優しさの塊の聖人なんだけれども
本日も変わらず見目麗しい大好きな人の美麗さに上乗せされている魅力の多さを表す言葉が見つからないと絶好調で暴走しているミーシャに神だか小悪魔だか聖人だかのライが声をかける
「なんか用か」
「朝だよーって起こしに来た」
「ぁあ?…そーかよ、」
そう、ミーシャはライを起こしてから一緒に下へ降りようと思ったのだ
今朝は昨日とは違い断髪式という大義名分があるため堂々とライを起こせる
断髪式を理由にするのは自ら死地に誘うようで酷く辛くもあったがあわよくばライの寝顔を拝顔できるかもしれないと思えばいや積極的に拝顔したいなどとは決して思っていない、決して。そう決して
「もしかしてもう起きてた?」
「あー、ソレで目ぇ覚めた」
ノックをしてすぐに扉が開いたのはライが既に扉を開けるつもりで近くにいたからだろうと考えたミーシャにライは部屋の入り口に寄りかかり重そうに手をあげミーシャの垂らしていた髪を指差した
「それ付けてっと本当の猫だな。おまえがどこにいるかすぐわかる」
「…」
やっぱり大魔神かもしれない
武器は特大の弓矢に違いない
人に極太の矢を射っていった大魔神は何事もなかったかのように階段に向かって歩き出したのでミーシャも跳ねる穴だらけの心臓に耐えながら慌てて追いかけた、ライのおかげで常に満身創痍だ
そして、
この髪紐は一生付け続けることが今さっき決定付けられた
「おう、おはようライ、ミーシャ」
「あぁ」
「おはよう」
階段を降りてすぐに父であるカーターと鉢合わせる
挨拶を返せばカーターは片眉を僅かにあげ「ライ」と声をかけた
「朝の挨拶は『おはよう』だ。仕事ん時は『おはようございます』だな」
「……おは、よう」
カーターからの指摘に顔を顰めながら目元を僅かに赤らめたライは辿々しく言い直す
その素直な行動にカーターは満足げに「おう、おはよ」と返しミーシャは瞳を輝かせた
「ライ、ライ」
「……」
「ライおはよう!」
「……」
薄緑色の瞳を輝かせ期待の表情で待つミーシャにライは眉を顰める
返事をしないライにもめげず爛々とした態度で待ち続けるミーシャにライは溜息を吐いた
「…はよ」
「‼︎」
「おまえ、やっぱ犬か」
「えぇ!」
ライからの挨拶に頬を染めて喜ぶミーシャにライは呆れて言い放つとミーシャの反応に喉の奥で笑った
その笑みにミーシャもまぁどちらでもいいかと自然と笑みが浮かぶ
今日も大好きな人と共に過ごせる一日の始まりが
たまらなく嬉しいのだから
ー シャキン
「あぁ!!!」
「うるせぇ」
「ご近所さんに迷惑よミーシャ」
思わず声をあげてしまったミーシャに素気無い二つの返事が返される
一日の始まりを清々しく感じ且つ幸福に満たされていた時が嘘のようにミーシャは今目の前の現実に涙を浮かべ打ち拉がれていた
「そんなこと言われても…あぁぁぁ、」
「もう、気が散るわ。そんなに嫌なら部屋に戻ってなさい」
「それは嫌!」
「だったら静かにしてなさい。まだ朝も早いのよ?」
「うぅぅぅっ」
ミーシャ達が今いる場所は洗い場の近くであり完全に外だ
そして今はまだ日が出始めたばかり
そんな朝早くから外で大きな声を出してしまえば近所迷惑になるのは当然である
母であるニナの最もな言葉にミーシャは涙を浮かべ自分の口を自身の手で塞いだ
そうしなければ絶対また声を出すと自覚していたからだ
「全く…。仕様のない子ねぇ」
「本当にな」
「ごめんなさいね、ライくん。この子困らせてばかりじゃない?」
「まぁな」
涙を浮かべるミーシャの前で椅子に座り首回りに布を巻いているライもライの後ろでハサミを持ち髪を切っているニナも呆れた表情をする
ニナの言葉をあっさり肯定するライに普段のミーシャなら落ち込んだだろうが今はそれを上回る衝撃を随時受けているため気にする余裕がない
むしろ二人の会話がミーシャの耳に届いているかも怪しい
ー シャキン
(あ、あ、あ…)
「この子ったら初めての恋に舞い上がっちゃって…。本当にごめんなさいね、私や主人からも言って聞かせるわ。度が過ぎる時はライくんからもキツく言っておいてもらえるかしら」
「…………」
「ライくん?」
ー シャキン パラパラパラ
焦茶色の髪が落ちる
ミーシャが愛してやまない柔らかくて細い髪が
「……初めて…?」
「あら?ふふっええ、ライくんはミーシャにとって初恋の人なのよ」
「なっ!」
「あ、だめよ動いちゃ。危ないわ」
「~~~ッ、」
ー パサッ
(あぁッ!!!)
ライが身体を大きく上下させたために肩に落ちていた切った髪の塊が地面に落ちる
「だからこの子、加減を知らないのよ。元々自分の気持ちに正直で思い立ったらすぐ体が動いちゃうんだから」
「……」
「そんな性格だから初恋相手になんてきっとそのまま向かっていくわ。ライくんが迷惑に思うこととかなかったかしら?」
「………別に、迷惑だとか。…思ったことねぇよ」
ー シャキ シャキ シャキン
(あぁ!!そ、そんな一気に!!!)
ライの後ろ髪が切られていく
ニナのハサミには迷いがなくどんどん手が進んでいき徐々に襟足が出来始める
襟足も大変よく似合っている眼福だ、だかしかし如何せん……辛い
「ふふっありがとう、ライくん」
「あ?」
「ミーシャを受け止めてくれて。親としてこの上なく嬉しいわ」
「は?」
「あら、これも無自覚なのかしら。ふふふっ罪深いわねライくん」
「はぁ?何言ってんだ?」
ー シャキン シャキシャキン パラパラパラ…
(ッ!!!)
遂に横髪にハサミがはいる
項垂れた際にライの御尊顔を隠していた髪が
横髪から見え隠れしていた少し痩けている頬に端正な輪郭を思い出せば遂に瞳から涙が溢れ始める
しかしニナの後ろをついて回っているミーシャの涙に二人はまだ気付かない
「ライくんはミーシャを守ってくれるのでしょう?」
「………」
「親からしたら娘を大事に思ってくれるのは有り難いことなのよ」
「………ンな」
「ん?なにかしら」
「…………こんな、男でもか」
ー シャキン バラバラバラ、
遂に横髪が切り揃えられる
耳殻にある傷痕がよく見えるうえに隔たりがなくなったライの横顔がとてつもなくかっこいい、いい最高だ
どことなく緊張しているような表情と相まってもの凄く男らしい
失意のどん底に落とされているというのにその上で魅了するなんてやはり大魔神、ミーシャには手に負えない
「当然よ。ライくんは私が出会ってきた男性の中で主人の次に素敵な男性なんだから」
「は?」
「そんな子が愛する娘を大事にしてくれるのよ?とても嬉しいわ」
「……あんたも、やっぱイカれてんだな」
「ん?なぁに、何か言ったかしら?ライくん?」
「……………や、なんも」
「そぉ?」
ー シャキ パラ、パラ
(……つ、遂に…)
ゴクリとミーシャは喉を鳴らす
もう哀しめばいいのか悶えればいいのか分からない
分からないけど一つだけ確かなことは
どんな髪型でもライのことが大好きだということだけだ
だから今までの髪を想って泣くし今の髪にも悶える
開き直って情緒不安定な己を受け入れることにしたミーシャは最後の一瞬まで目を離さないと決めた
そう、例えそれが前髪を切る瞬間だとしても
「前髪が目に入らないよう少しの間目を瞑っててくれる?」
「あぁ」
「ありがとう」
「……………………れも」
「うん?」
「…………髪、…あ、りがとう、ございます」
「まぁ、ふふっ。どういたしまして」
「…………あと、」
「なにかしら?」
「………迷惑、は、ねぇけど。しょーがねぇなとは、よく思う」
「ふふふっ困った子ね」
「…………けど、俺のほうが、………ミィには、感謝、してんだ」
「そう」
「あぁ。………だから、俺のことは、気にしなくていい」
「わかったわ。それでもライくんはもうウチの子なんだから困ったことがあればちゃんと教えてちょうだいね」
「は?」
「お返事は?」
「………………………………………………………わかった」
「ふふっ。はい、できたわ。もう目を開けても大丈夫よ」
片側に多めに寄せた長めの前髪から見え隠れするようにゆっくりと金の瞳が開かれる
横髪が短くなったため真正面から見てもライの形の良い両耳がハッキリ見てとれた
後ろ髪が短くなったことでライの筋張った首筋がよくわかりその男性的な魅力にミーシャはクラクラする
なんということだろう、辛い無理しんどい無理むりむりむりむりむりむり
ミーシャが情緒不安定な感情に翻弄されていると目を開けたライの金の瞳が満月へと変わっていきニナが後ろを振り向いた
「どう?ミーシャ。やっぱりみじかくても…ミーシャ⁉︎」
母の驚きの表情と声に、ミーシャは
決壊した涙腺のせいで起こっている悲惨な顔でしか応えることができなかった




