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「なんで、私は絵師じゃないんだろう…」
「は?」
「神がかり的な腕がほしい」
「……またトチ狂ったこと考えてんな?」
「そんなことないよ、貴重なこの姿を網膜と記憶に焼き付けるだけじゃ足りないなって」
「案の定じゃねぇか」
水滴を鎖骨まで垂らし首筋に濃くなった焦茶色の髪をはりつけながら美の化身が何かを言っている啓示だろうか神がかりな美しさに加えて口が悪いとはどういうことだろうその懸絶さがたまらない、大好きです
美の神とは女神に拘らず男神としても存在しうるのかとミーシャが真剣な顔で思考を巡らせていると男神はその麗しい口から吐息を溢し「師匠たちはもう寝たのか」と美声を奏でた
「居間で晩酌してるよ」
「そうか」
「うん」
「…で?」
「うん?」
「おまえなんでまだココにいんだ」
今ミーシャ達がいるのは浴室の前の廊下である
風呂からあがったライを浴室の前で待っていたミーシャはでてきた男神に眼も心も奪われ己の技術のなさを嘆いていたのだ
「凄い音したから心配で」
「………」
「何かあったの?大丈夫?」
「…なんでもねぇよ」
浴室から出てきたときには逆上せたのか真っ赤だったライはミーシャが信徒と化している間に普段の日焼けをした肌へと戻っていたのだがミーシャの問いにまた僅かに目元を赤くさせると顔を背けた
なぜミーシャがこんな室内ストーカー紛いのことをしているのか、それは偏にライが心配だったからだ
後片付けも終わりライに風呂を勧めたところ「最後でいい」と固辞した彼にそれならということで父母ミーシャと順に風呂を済ませた
その後ミーシャがライに声をかけるとライは顔を真っ赤にして硬直してしまった
風呂あがりのため身体の線がわかるほど薄い寝衣を着てはいるがライに配慮してきちんと上から厚手の上着を羽織っていたミーシャはライのその反応がわからず首を傾げた
「ライ?」と声をかければ彼は一瞬息を呑んだあと勢いよく顔を逸らし慌ててミーシャの横をすり抜けて浴室に向かってしまった
益々首を傾げたミーシャだったが部屋にいた両親に笑い混じりで「あいつ着替えもタオルも持っていかないだろうなぁ」「ミーシャ持っていってあげなさいな」と言われ疑問符を掲げながらも承諾した
本日購入したばかりのライの着替えを持ちミーシャが浴室に向かうと浴室から突然大きな板状のものを倒したような音が聞こえ慌ててミーシャが扉の外から声をかければ「……っでもねぇよ!!」と中から切羽詰まったような声で叫ばれた
心配になったミーシャは急ぎタオルも用意してそれらを理由に浴室に入ったのだが脱衣所と浴場を仕切る衝立が斜めになっていてその奥の浴槽の端が少し見えるようになっていたことで普段と置き場所が違っていることに気付いた
衝立が倒れただけかと安堵したミーシャは一声だけかけて部屋から出ようとするとライから「…扉、少し開けてけ」と言われた
理由を尋ねても答えないライにミーシャはやはり首を傾げながらも言う通りにして部屋から出た、が、開いた扉の奥からバッシャバシャと勢いの良い水の音が何度か聞こえてきたのでやはり何かあったのか身体が動かしにくいのかまだ傷が痛むのかと心配になりミーシャは扉から中が見えない位置に立ちライを待つことにしたのだ
しかし浴室からでてきたライの顔が真っ赤だったためにそれがまた色香を倍増させていたせいで心配心を後回しに放らされたミーシャは信徒とならざるをえなかったのだ、なんて罪深いさすが小悪魔
ミーシャは思わず両手で顔を覆って呻いた
「どっちなの…」
「あ?」
「神か小悪魔かハッキリしてほしい」
「はぁ?」
「ライが魅力的すぎて混乱しています」
「…おまえの頭は四六時中沸いてんのか」
「うん、昨日からライのことばっかり考えてるよ」
「なッ⁉︎」
顔を覆いながら肯定するミーシャの耳にライの困惑した美怒声が響いた
「~~ッッ!ば、っかじゃねぇの!!?」
「バカじゃないもん」
「~~~ッッッ‼︎‼︎」
信徒にとって神の言葉は絶対なので考えていると肯定したミーシャだったが思いっきり怒鳴られてしまった
流石に狂信的すぎて引かれてしまったのかもしれないそれは困ると湧き上がる信仰心を必死に抑え顔をあげればライは真っ赤な顔を大きな手で覆っていた
項垂れていることで濡れた髪から滴がポタポタと垂れている
昨日と違って今日は首にタオルをかけてくれているがやはり髪を拭くという行為が習慣じゃなかったのかびしょ濡れのままだ
ミーシャはライの首元のタオルに手を伸ばして引き抜き改めて頭の上から覆うように被せそのまま髪を乾かそうと試みる
爪先立ちになってやっとライの首元近くに目線が近くなったところで覆った大きな手の奥からくぐもった声が聞こえてきた
「…おっまえ、ほんとッざっけんなよ…!」
どうやら本気で怒らせてしまったらしい
心配だったからとはいえストーカーのように待ち伏せあまりに美麗だったからといって狂信的になりすぎてしまったようだ
ミーシャが己の暴走を反省しライの顔色を窺うようにソッと「ごめんね…?」と小声で謝罪を告げるとライは盛大な溜息を吐いた
そして顔を覆っていた手を下ろしたのだがミーシャの薄緑色の瞳と目が合うと金の瞳を大きく瞠りせっかく下ろした手で今度はミーシャの顔を覆った
「ふぶっ」
「ちけぇ」
ライの掌でミーシャの視界が埋め尽くされた瞬間そのまま力を込められ距離を取られてしまう
そしてライは未だ目元を赤くしながら「寝る」と告げるとさっさと二階に繋がる階段の方へ向かって歩き出してしまった
それに慌てたミーシャは思わずライの腕にしがみついて止める
「な⁉︎離せッ」
「ライまだ髪濡れてるよ!」
「ぁあ!?だからなんだ!」
「風邪ひいちゃう!」
「ひかねぇつったろ!いーから離せ‼︎」
「イヤ!!まだその髪型堪能させて!!!」
「~~ッ、わーったから!ンな格好で、ひっつくな!!!!」
お互い声を荒げ応酬を繰り広げていたが顔を真っ赤にさせたライの怒声にミーシャはキョトンとしてしまう
寝衣といってもちゃんと上着を羽織り前もある程度止めているので露出は普段着と変わらないし髪だってまだ僅かに湿っているがライのような色気を醸し出す濡れ方もしていない
なぜそんなに過剰に反応されているのか
ミーシャは理由が分からず首を傾げた
「ちゃんと上着着てるよ?」
「そういう問題じゃねぇ!」
「えー、じゃあ髪乾かせて?」
「はぁ!?」
「乾かせてくれるなら離れる」
「わーったから!離せ‼︎」
なんと、まさかそこまですんなり許可してくれるとは
ミーシャがライの即答に瞳を瞬かせながらも約束通り腕を離せばライは髪を覆ったタオルごと頭をガシガシと掻き深く深く息を吐き出した
そして普段の低音美声よりも更に低い唸るような声を落とされる
「…おまえ、ンなだとすぐ喰われんぞ」
「え?」
「猫のくせに危機感ねぇのか」
「えぇ?」
元々鋭い金目を更に細めジロリとミーシャを見下ろすライの唐突な発言にミーシャは眉を下げ情けない声を出してしまう
(これは、怒られてる…よね?)
猫と言われたことで商会の時の会話を思い出してしまい少し口元が緩んでしまいそうだったミーシャは空気を読んで必死に怒られている理由を考えた
そこでふと思いつきライを見上げる
「ライにしか、しないよ?」
「ぁあ?」
「だから、お風呂上がりに会うのも寝衣姿見せるのも腕にしがみつくのも髪乾かすのも。ライだからだよ?」
「なッ、」
「それに、」
満月のような金の瞳をジッと見つめながらミーシャは自身の口元に手を添え内緒話をするようにソッとライに告げる
「ライになら、襲われてもいいって言ったでしょ?」
「ッ‼︎‼︎⁇⁇⁇⁉︎」
ボンッと
音が鳴りそうなほど全身を茹らせてしまったライを前にミーシャも熱くなる顔と跳ねる鼓動を必死に抑えようと添えていた手を両手にして口元を隠した
ライは全身を風呂あがりの時よりも真っ赤に塗り潰し金の瞳を零さんばかりに見開いている
言葉が出ないかのように口をパクパクと開閉させると徐々にその口元が下がっていった
ミーシャが不思議に思う前にドサッとライは床に蹲る
「え、ライ?」
「……………」
慌てて声をかけ同じようにしゃがみ込むミーシャだったが項垂れているライからの反応はない
流石にはしたなかったか引かれてしまったかと不安が募り「ライー…?」と情けない声で呼び掛ければビクッとライの身体が上下し唸り声が漏れ始めた
(やりすぎたかもしれない…)
己の考えなしな行動に目の裏を熱くしていると唸り声が徐々に言葉へと変わっていく
「~~ッ、お、まえ、………ッとに」
「……うん」
「…ッざ、けんなよ……!」
「うん…、ごめん」
ライの唸りにシュンと肩も眉も下げながら頼りない声で謝るミーシャ
その声にライは項垂れていた首を上げミーシャを見た
「…なんで、おまえがンなツラしてんだ」
「………ライに、嫌われたかと思って」
「は?」
「はしたないこと、言ったから……。…引いた?」
「ッ、」
徐々に頭まで下がってしまったミーシャは目線だけでライを見て恐る恐る問う
そんなミーシャにライはゴクリと音が聞こえるほど大きく唾を飲み込むと苦虫を噛み潰したような顔をし両手で顔を覆ってしまう
そのまま床を向き「あ"ーーーーーッッッ!!!」と叫ぶとバッといきなり立ち上がった
ライの突然の行動に若干潤んでしまった瞳を瞬かせながら唖然としているミーシャに向かってライは怒鳴る
「おらッ!!髪やんだろ!とっとと行くぞ!!!」
「え?え?」
「あとなぁ!」
未だ事態に追いつけないミーシャに構わずライは鋭い瞳を更に強く鋭くさせしゃがんだままのミーシャに言い放った
「ンなことで、今更てめぇを嫌いになれっか!!!」
「ッ‼︎」
「ッざけんな!!駄アホ!!!!!」
重低音のような怒声がミーシャの全身を痺れさせるなか、言い放った本人は未だ全身を真っ赤に茹らせドカドカと居間に向かって歩きだしてしまった
置いてきぼりにされたミーシャは未だ立ち上がることもできずに只々痛いほど跳ねる心臓を押さえる
そして、
ぽた、
ぽたぽた
歓喜から湧き上がる滴が頬を濡らしていくのを
止めることができなくなっていた




