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「お父さーんお母さーん、今から行ってくるねー!」
ミーシャは開けっぱなしになっている慣れ親しんだ扉の奥へと声を張り上げる
すると奥からミーシャによく似た薄茶色の髪を今日も一つに緩く括り揺らしながら歩いてくる女性、母であるニナだ
「あら、これから行くの?」
「うん!お父さんは奥?」
「ええ、厨房の最終確認をしてるところよ」
ニナは身に付けている若草色のエプロンで手を拭きながら背後を振り返り穏やかに笑う
「前よりも窯が大きくなったから、カーターったら子供みたいにはしゃいじゃって」
「できたんだ‼︎私も見たい‼︎」
「ミーシャはまた今度になさい、せっかくのデートの時間がなくなってしまうわよ?」
ニナの言葉にミーシャはハッとする、そうだ自分はこれから今も手を繋いでいるこの素晴らしく素敵な人とデートなのだ
待ち望んだ新品の窯という突然の甘い誘惑につい目が眩んでしまった
ニナがライと繋いでいる手を見て微笑ましそうに笑うとライの指から力が抜けてスルリと手も抜かれそうになったのでミーシャは慌てて強く握り直した
「ッおまえなぁ…」
「ライくん」
「あ?」
「ミーシャのことよろしくね」
「……」
柔らかく発するニナの言葉にライの返事はない
フードを被っているせいで今どんな表情をしているかも分からないが小さな溜息が聞こえてきたのでまた彼の中で葛藤やら混乱やら何かしら慣れないものを受け止めているのかもしれない
「ミーシャも」
「うん?」
「ライくんが一緒だから遅くなっても大丈夫だとは思うけど、寄り道はほどほどにね」
「はぁい」
母の忠告にしないとは言えない、既に市場で買い食いデートが決まっているのだからフラフラするのは決定事項だ
じゃあ行ってくるね、とニナに声をかけ歩き出せば店の奥から聞き覚えのある濁声が響いた
「え!ミーシャ来てるのか!?」
「げ。ライ!走って!」
「は?あ、おい!!」
声が聞こえた瞬間ミーシャはライの手を引き返事も聞かずにその場から駆け出した
背後からは更に「デーートォォオオオオオ!?!?!?」と絶叫のような声が届いてくる、近所迷惑な人だ
ライもその声が当然聞こえたらしく「るせぇな」と舌打ち混じりに吐き捨てた、大分辛辣だがミーシャとしては全くもって同意見なので問題ない大好きだ
店から見えなくなるところまで走り誰も追いかけて来ないことを確認してようやく歩調を緩める
ミーシャが少し息を乱しているのに対しライは先程と全く変化はない
瓦礫拾いなどをしていたというしミーシャより体力があるのだろうがフードに覆われているその顔が平然としているのか疲れているかも分からない
御尊顔が見えないというのは本当に寂しいものだとミーシャは僅かに眉尻を下げた
「なんだ?」
「顔見えないの寂しい」
「…ンなこた聞ーてねぇ」
なぜ見てくるのかと聞かれたかと思ったのだがどうやら違ったらしく溜息混じりで返されてしまった
首を傾げてじゃあなんだろう、と考えていればライは短く「さっきの」と短くても変わらない美声をおとす
その美声にのせられた言葉に思わずミーシャは顔を顰めてしまう
「あー…、ごめんね。突然引っ張っちゃって」
「本当にな」
「んんん、ちょっと…」
「あ?」
「……顔を合わすのが面倒な人があそこにいたみたいで」
「坊ちゃんか?」
「え?や、その人じゃないんだけど…」
ミーシャは歩いていることをいいことにライに視線を向けずに前を見て答える
明らかに避けていますという行為に至った原因が例の商会人の坊ちゃんだとライに検討されてしまうほど坊ちゃんが苦手だと態度に出てしまっていたことは反省すべきとこかもしれないが、だからといってミーシャは態度を改める気もなかったので早々に思考を切り替えた
それよりも、突然の回避行動にライを巻き込んでしまった理由を自分で言うことがとても言いづらくてミーシャは頭を悩ませる
どう言おうかと考えているうちに横から「あぁ…」と声が漏れ聞こえた、ライは本当にこういうことには察しがいい
「まさかおまえ」
「うん?」
「今の奴も髪の色か?」
「………」
本当に察しが良すぎではないだろうか
ミーシャは気まずくてライに顔を向けることができない
「べ、べつに、みんなの顔や名前を覚えれないとかじゃないの」
「ほぉー」
「た、ただ、あの…」
「…」
「………口説いて、くる、人たち、は……みんな…………」
「みんな?」
「……………………同じ顔、してるんだもん」
「……………」
沈黙が痛い
チラッと隣りを見てもライがこちらを見ているのはわかるがどんな表情をしているのか覗き込まないと分からない、のに、空気が呆れている気がする
ミーシャは掴んでいる手を無意味にブンブンと振り慌てて言い募った
「ど、どの人もね、腫れぼったい瞼が目を覆ってるから色が分からないほど小さくて、か、顔も四角張ってる人ばかりで!口とか鼻も!見分けられるのが髪の色、しか、ないの…」
「…………」
どうにか“だから仕方ないのだ”という理由を並べてみるのだが言えば言うほど墓穴を掘っているように感じるのは何故なのか
言ってる内容もミーシャ以外の人ならば美形と評する特徴をミーシャから見た言葉で説明すれば大分酷くなる
すると今まで黙っていたライがようやく口を開いた
「おまえ、そこまでトチ狂ってんのか………」
「そんなことないもん!!」
非常に憐憫に塗れた美声にミーシャは力の限り声を上げて否定した
「もうここからイイ匂いがしてくるね」
「腹減るな」
「さっき食べたのにね」
暫く歩けば市場に近付いた証のように食欲をそそる匂いが鼻先をかすめる
先程までミーシャを憐れんでいるような雰囲気を盛大に垂れ流していたライもこれには反応せざるを得ないらしく匂いの出所を探っているようだ
いくらミーシャが反論しても聞き流すばかりだったため空気が変わってくれたのはありがたい、断じて自分は狂ってないし可哀想でもないが
そんな会話をしてからすぐに市場の端のお店が見え始めた
キョロキョロと物珍しそうに辺りを見回すライにココには来たことがないのかもしれないとミーシャは思う
人の多いところは避けているような彼だがソレを聞いてもいいだろうかと悩み、しかしすぐにここで遠慮するのはライが嫌がりそうだと素直に聞いてみることにした
「ライは市場よく来る?」
「こっちはねぇな」
「じゃあ案内するね!なにが食べたい?」
「肉」
「じゃあこれしかねぇーだろ!ニイちゃん!」
ライとの会話に突然第三者の声が入り思わずその声の出所を辿れば通り過ぎようとしていた横の店の売り主だ
快活な声に似合う風貌に商売人らしい人好きのする笑顔をよこす売り主は商品である肉が刺さった串を差し出している
それは市場に通い慣れているはずのミーシャも初めて見るものだった
「わー!おじさん、ソレなんのお肉ですか?」
「これは牛の舌だよ舌!」
「舌!?」
なんてものを勧めてくるのだ
ミーシャがギョッとした顔をすれば売り主の男性は豪快に笑いながら「騙されたと思って食ってみな!」と更に差し出してくる
その串には所狭しと肉が刺さっていてもし口に合わなかった時が怖い、のだが、
「おじさん、これ一切れだけ食べさせてくれません?」
「あぁ?」
「おい?」
突然突拍子もないことを言い出したミーシャにライは不審そうに声をかけるがミーシャはそのまま眉を顰め機嫌を損ねた売り主に言葉を続ける
「ほんのちょーっとでいいので。それで美味しかったら二本買います!初めて食べるのに口に合わなかったら勿体ないでしょ?」
「……ガッハッハッハッ!!!嬢ちゃんっ商売上手だな!分かった!別嬪さんの頼みだ、ちょっと待っとけ!」
「ありがとうございます!!」
ミーシャの言葉で先程の不機嫌が嘘のように行動に移す売り主を見てミーシャも笑顔でお礼を言った
その表情には未知の味への不安は微塵も見当たらない
そもそもミーシャは新商品を考え続けるようになってから暇があればパンに合う食材を探すようになっていた
例えそれがゲテモノや明らかに色が怪しいものでも稀に舌がとろけるほど美味しいこともある
そのためミーシャは食したことがないものは試してみなければ気が済まないのだ
初めて食べる未知のものに期待と不安でドキドキしながら待つミーシャの隣りで呆れた美声がおとされる
「おまえ、よく食う気になったな」
「美味しいか食べてみなきゃわかんないからね!」
「すげぇ食い意地」
「……段々と否定できなくなってるのが悔しい」
変わらぬライの悪口だが心当たりを目の前に晒してしまい否定が難しい
僅かな羞恥心から頬に熱が集まるのがわかり口元を尖らせ顔を逸らすミーシャの隣では喉の奥で笑っている音がする
恥ずかしいが顔が見れない分その美声を堪能しようと耳を澄ませていると売り主の「あいよ!」という声が届いた、澄ましてたせいでちょっと耳が痛い
「ありがとう」としっかり二本用意してくれた一口サイズに切ってある肉が刺さった串を受け取りライにも手渡す
ライも牛の舌と聞いた時は驚いていたが特に抵抗はないらしく平然と受け取りすぐに口に運んだ
ミーシャもそれに続き口に含めば驚きで自分の目が開いていくのが分かった
「美味しい!」
「美味い」
口に含んだ瞬間に広がるレモンの酸味が弾力のある肉の味を引き立てそこに塩胡椒がアクセントを効かせていて大変美味しい
瞳を輝かせるミーシャに売り主も「だろう!?」と嬉しそうに笑い「じゃあ二本な!!」と注文する前から準備し始めた、さすが商売人である
お金を支払い渡された二本の串をライが受け取れば「まいどっ!それ食いながら宣伝してくれな!」と、快活な商い魂を見せられてミーシャはケラケラと笑ってしまった
「舌だって聞いた時はびっくりしたけど、コレ本当美味しいね」
「あぁ、いくらでも食える」
「ふふっじゃあ半分ライにあげる」
「あ?」
「私は甘いもののためにお腹あけとかないと」
「甘いのは腹満たさねぇんじゃねーの?」
「……心が満たされればお肉もつくんです」
「はぁ?」
「気にしないでください」
串を片手に市場を歩き回るがそれでもミーシャの手はライの手を掴んでいた
「食いにくい」と言ったライに「握ってないと食べれない」と言えば「逆だろ」と吹き出されそのまま指に力が込められた
ミーシャは緩む頬が抑えられなかった
(楽しい…っ)
フードですっぽり顔を隠した長身の男は周囲から目立っていたがその男の手を握り幸せそうに満面の笑みを浮かべている隣りの少女の存在に気づけばすれ違う人たちからの微笑ましそうな視線はあれど怪訝な視線を向ける者はいなかった




