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「………やっぱ、お前の親だな…」
「ん?」
ライは驚きに見開いていた目を伏せたかと思えば小さな声でポツリと呟いた
どういう意味だろうかとミーシャが問い返してみればライは美声を少し震わせて「イかれてる」と再度呟く
すっかり聞き慣れてしまったライの不器用な受け取り方にミーシャはクスクスと笑ってしまう
しかし、ライが項垂れたままでいることでミーシャはハタとあることに気付く
ミーシャの目の前で揺れる己の髪よりももっと深い色
ライの魅力を引き立てミーシャを魅了してやまないもの
「ライ………凄く、哀しいお知らせがあるの」
「は?…なんだ、いきなり」
この世の哀しみを全て背負ったかのように悲愴に塗れた声を出すミーシャ
唐突にそんな声で話し出したミーシャにライは下げていた頭をバッと上げて眉を顰めながらミーシャを見下ろした
だが、ソファに座っているライには目の前でしゃがみ込み項垂れているミーシャがどんな表情をしているのかわからない
ミーシャの突然の言動にライは訝しげに声をかけたがその美声には困惑の色ものせられている、不謹慎ながら耳が幸せだとミーシャは思った
俯いて答えないミーシャにライはさらに問いを重ねる
「……どうした?」
「………」
「ミィ?」
「ッ‼︎……うっ」
ライが優しく自分の名を呼んでくれたことにミーシャは胸が熱くなり目の裏まで熱を持ち始めた
堪らず両手で顔を覆い嗚咽をこらえる
「お、おい⁉︎」
「ラ、ライ、…の、……ッヒック」
「なんだ、俺がどうかしたか?」
「~~ッ、う~ッ」
「泣いてちゃわかんねぇ、ミィ。大丈夫だから言え。な?」
優しい、彼はなんて優しいのか
胸にこみ上げてくるものも閉じた瞼から溢れてくるものも、ライの優しさとこれからの残酷な仕打ちを思うとあとからあとから溢れてくる
ミーシャは既にライのことが大好きだが泣いている自分を宥めようと慣れないながらも必死に声をかけてくれるライにそれ以上の想いが募ってしまう
ミーシャは止まらない嗚咽と涙の間から必死に声を絞りだした
「……断髪式がッ!」
「………だんぱつしき?」
「~~ッッ‼︎……ッ決まったの‼︎」
「は?」
二人の間に暫しミーシャの泣き啜る音だけが響く
その暫しを破ったのは当然ライだ
「“だんぱつしき”ってなんだ?」
「ヒック」
そうか、ライは断髪式を知らないのかと
ミーシャは泣きじゃくりながらもそれならしっかり伝えなければと必死に嗚咽を抑え込む
今日ライが受ける行為は非情極まりないものなのだ、しっかりとした言葉でわかるように伝えておかなければ
そう、それが例え己の胸が張り裂けるほど辛い言葉だとしても
「ライ、の…ッ、か、~ッ!髪をッ、切る!ッの!」
「あぁ、………は?」
「ヒック、ヒック」
「…………それだけか?」
「それだけ!?」
身体中を引き裂かれるような痛みに耐えてミーシャは決死の覚悟で伝えたのにライからはまるで深刻に捉えていないような返事が返ってくる、当然である
けれどミーシャにとっては信じられないことで泣きじゃくった顔のまま驚きの表情でライを見上げるもライはあんなに心配を含んだ声音を出していたのが嘘のように瞳を眇めていた
その表情には呆れを含んでいるようにも見える
「まさか、ンなことでそこまで泣いてんじゃねぇよな?」
「そんなこと⁉︎そんなことじゃないよ!ライの、その髪が、短くなっちゃうんだよ⁉︎」
ミーシャの悲鳴混じりの訴えに遂にライは顔に呆れを全面的に出して盛大な溜息を吐いた
「厨房入るのに必要なんだろ」
「そうだけど、そしたらもう伸ばせないんだよ?」
「そりゃ師匠が俺を追い出さねぇ限りはそーだろ」
「そんなこと絶対しないよ!」
「じゃ短けぇままだな」
「……ヤーダー‼︎哀しい‼︎ライと初めて会った時からの思い出は全部その髪型なのに‼︎」
「は?」
最後の悪あがきとばかりにヤダヤダと駄々をこねてみたミーシャだがライはその言葉にポカンとした顔をした
普段の鋭い金の瞳を丸くして口を開けたまま動かなくなってしまったライの反応に流石のミーシャにも僅かな羞恥心が募る
少し我が儘が過ぎたかとミーシャがライに謝ろうとすればライはミーシャを見下ろしたまま突然吹き出した
予想外なライの笑いに今度はミーシャがポカンとした顔をしてしまう、思わず涙も止まってしまった
「フッ、ククッそうか。おまえはそーゆー奴だよな」
「?」
「おまえがトチ狂ってるってことだよ」
何故かいつもの暴言を投げかけてくるライは随分と楽しそうだ
「そういや髪で泣くっつってたな」としまいにはお腹を抱えてゲラゲラと笑い出してしまった
今日は彼の笑顔がたくさん見れて大変眼福であるが如何せんライが楽しそうな理由がわからない
「ライ?」
「あぁ?」
「楽しそうだね?」
「おまえのトチ狂った発言のせいでな」
「私、なんか言ったっけ?」
「髪ぐれぇで泣くのはおまえくらいだ」
なんと、やはり彼はことの重大さをわかってくれないらしい
ミーシャは思わず口元を尖らせてライに向けて不満たっぷりの視線を投げてしまう
未だ笑い続けているライはその視線に気付くと益々おかしそうに笑った
必死に言い募っても軽く受け流しそうなライにミーシャは憮然とした表情のまま顔を横に向けて少しでも自分の不満を伝えてみることにした
するとミーシャの頭の上に軽い重さがかかる
「俺の髪を切らせたくない理由が、そんな馬鹿みてぇな理由なのもおまえだけだよ」
と、ライはミーシャの頭に乗せた手で軽くポンポンと薄茶色の小さな頭を叩くと口元を笑みで歪ませ金の瞳を眩しそうに細めた
ドキッと、鼓動が一際大きく脈を打つ
ミーシャはその眩しいものを見るような瞳から逃れるように慌てて視線を逸らして胸を押さえる
またもや不意打ちで射られてしまったライは弓の名手に違いない他の女性に誤射しないよう是非そのままミーシャ専用の名手でいてほしいと
壊れそうな心臓を宥めるためにミーシャは自分でもよくわからないことを必死に頭の中で並べ立ててしまう
そんな必死なミーシャを他所に手を引いたライは「まぁでも、諦めろ」とケラケラと笑っている
可愛いくそぅとても可愛いさっきまであんなに優しかったのに今は意地悪なのかライはやはりその魅力の多さでミーシャを陥落させにきた小悪魔なのかもしれない効果は抜群だ
ライの言動全てに悶えてしまい不満も流されてしまったが本人にさえ髪を切ることに賛成されてしまったのならミーシャはもう何も言えない
泣く泣く事の決定を飲み込んだミーシャはならばと本題にはいることにした
「じゃあ、髪切る前に髪縛ってくれる?」
「あ?」
「短くなっちゃう前に髪を縛ったライが見たい」
「そんなん見てどーすんだ?」
「網膜に焼き付けます」
「はぁ?」
笑い過ぎて目尻に滲み出した涙を拭っていたライだがミーシャの発言には片眉を上げ訳がわからないという顔をする
「だめ?」
「別に、かまわねぇが…」
「本当⁉︎」
「そんなん見てぇか?」
「見たい‼︎」
「訳わかんねぇことばっかだな、おまえ」
膝の上で頬杖をつくライはまるで珍生物を見つけたかのようにマジマジとミーシャを見つめてくるが、いいのだミーシャにとっては今後の精神状態に関わるとても重要なことなのだから
「俺は結ったことなんざねーぞ」
「私が結うから‼︎」
「………そんなにか」
「そんなに」
「…勝手にしろよ」
片手を振るライはひどくどうでもよさそうだったが許可を出した途端にミーシャが輝かんばかりに表情を明るくしたのを見て苦笑をこぼした
「痛かったら言ってね?」
「おー」
ミーシャはソファに座るライの背後にまわると彼の柔らかい髪に触れた
昨夜も思ったがやはりライの髪は柔らかくて細くて指通りがいい、なんて幸せなのかこの手触りは王侯貴族御用達の生地でさえ目じゃないのではないだろうか
ブラシでライの髪を梳きながらウットリとしていたミーシャだったが大事なことをライに確認しなければいけなかったと思い出す
このままミーシャが黙って髪紐を使ってしまえばライは気付くこともないのだがその状態で外に出てもらうのは騙してしまうようで心苦しい
不安は大きいが後からライが嫌な思いをするほうが嫌だとミーシャは意を決してライに声をかける
「…ライ」
「あ?」
「髪紐、コレ使ってもいい?」
前を向いたままどこかほんのりと赤い耳をしているライの後ろからミーシャは例の髪紐を差し出してみる
「なんでもいい」
「この色…嫌じゃない?」
「別に嫌じゃねぇよ」
「ッ‼︎」
何かしらの反応があるかと思ったが差し出された髪紐を掌に乗せしっかり色を確認してもライは興味なさげに返す
もしかしたらミーシャの瞳の色を身に付けるということに思い至ってないだけかもしれないがそれでも瞳の色と同じ色を嫌じゃないと言われてミーシャの鼓動は大きく脈打った
脈打ったのでその嬉しさを抑えることを早々に諦め行動に移すことにした
ー ギュウゥゥゥゥッ
「ンなッ!?」
後ろからライの首に思いっきりしがみついたのだ
背後から男が襲ってきても背中に目があるのかと思うほど綺麗に回し蹴りを決められるライでもミーシャの突然の急襲には反応できないらしい、これが【殺気】と【好意】の違いか
突然自分にしがみついてきたミーシャにライは顔を真っ赤にし「ッてめぇはまた!」と歯を剥き出しにして声を荒げる
「離せッ‼︎」
「ちょっと無理です、ほんと、むり」
「ぁあ!!?」
ライは抵抗しているがミーシャは自身の中で荒れ狂っている歓喜とライが好きだという感情に翻弄されて気にかけることができない
ライは後ろからしがみつかれてることでミーシャの肩を掴んで引き剥がすこともできなければ腕を掴むのもやはり力の加減が分からなくてできない
ミーシャから離してくれなければ解放されない彼は香りで思考が酔いそうになるのを抵抗するように必死で声を荒げた
「縛んねぇかんな!!」
「え?」
「てめぇがンなことすんなら、ぜってぇ!髪!縛んねぇ!!」
「えぇ!?」
ライの必死の抵抗にミーシャは慌てて腕を離した
ライとしてもまさかこんなことでミーシャが離れるとは思わなかったが離れてくれればなんでもいいのか吐いた盛大な溜息には安堵も含まれていた
「ご、ごめんなさい!もうしない、絶対しないから!」
「うるせぇ」
「お願い!お願いします‼︎私が悪かったです!ごめんなさい!」
「………」
「お願いします!!!」
慌てたミーシャの謝罪にライは目もくれず取り付く島もない
血の気が引いたミーシャはガバッと音がしそうなほど勢いよく頭を下げ謝罪と懇願を繰り返すがそんな彼女にライは未だ顔を赤くしながらも唖然としていた
「ンなことで頭下げんのか……」
「え?ごめん、なんて言ったの?」
「………そんなにか」
「え?」
ポツリとこぼされた言葉が聞き取れなくて頭を下げたまま目線だけ上げ問い返してみたのだが今度は聞かれた言葉の意味がわからず再度問い返してしまう
するとライは眉間に皺が何本も出来そうなほど力をいれいつもの美声より数段低い声で「そんなに縛ったの見てぇのか」と聞くのでミーシャは首が取れるのではないかというほど何度も頷いて返した
そんなどこかの国の人形のようなミーシャにライは盛大な溜息を吐きその金の瞳でジロリと彼女を睨む
「次はねぇ」
「ッ!!」
まるで小物相手に慈悲を見せた歴戦の戦士のような言葉だが内容は髪を縛るか抱きつくか云々だ
実に力の抜ける内容なのだが当の本人たちは必死で、その慈悲を受けたミーシャもまるで命を救ってもらった者のような顔をしてライに感謝を述べた
「ありがとう!!」
「ぜってぇ守れよ」
「うん!!」
真っ青にさせていた顔を今はニコニコとさせお礼を言うミーシャにライはもう一つ大きな溜息を吐いた
ライの髪事情はミーシャにとって一大事