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「手伝う」
「え。いーよ、座ってて」
「いいから、貸せ」
あの後ミーシャが皿を睨み付ける時間が暫し続いていたがそれを不審に思ったライが自身の食べかけを渡してしまったことに気付いてしまい「ッ悪かった」と取り戻そうとしたためミーシャは慌ててソレを口に入れて、そして泣いた
またもやいきなり泣き出したミーシャにライは今度は驚くのではなく傷ついたような顔をして「泣くくらいなら食うなよ…」と言うのでミーシャは食べるのなら一口一口味わいたかったうんぬんかんぬんを諸々と激白した
結果、顔を真っ赤にさせたライに本日もめでたく【トチ狂ってる】と太鼓判を押されることとなった
それから食べ終わった皿を洗おうとミーシャが重ねた食器をまとめて持てば横からぬっと腕が伸びてきて皿を奪われてしまう
その有無を言わせない強引な行動に力強さを感じてミーシャは胸をキュンキュンさせてしまう
黙って歩き出してしまった大好きな人の焦げ茶色の髪が揺れる背中をニマニマと見つめながらミーシャも後に続いた
「コレどーすんだ?」
「あ、洗っちゃうね。ありがとう、そこ置いてくれる?」
「ん」
ミーシャはスポンジを手に取り液体石鹸を含ませてからライが運んでくれた食器を洗っていく、のだが、…感じる、横からとてつもなく熱い視線を
このままでは手元が狂って全ての食器を駄目にしてしまいそうだ
尊き犠牲を出す前にミーシャは熱い視線を送ってくる相手へ恐る恐る声をかけてみる
「ライ?」
「あ?」
「ありがとう、もう座ってていいよ?」
「手伝うっつったろ」
「へ?」
「何すりゃいい」
なんとライは指示待ちだったのか
なんて可愛いのか初めてのお手伝いなのか彼は一体自分をどうしたいのか
悶絶する己の胸でも顔でも覆いたいのに如何せん手が泡だらけのミーシャは只々直立に耐えるしかない
「ソレ」
「へ?」
「俺にもできるか?」
「え?あ、うん。やったことない?」
「ねぇ。皿洗いってコレのことだろ?」
「そう、なんだけど……やる?」
「やる」
あまりにも熱い視線を手元に向けてくるライにミーシャは思わず聞いてみたのだがライの返事は即答だった
目を瞬き驚きを露わにしていると「ソレ、厨房入ったら俺の仕事なんだろ」とライが言う言葉にようやく納得する
彼は仕事が始まる前に少しでも慣れておきたいのかもしれない
「じゃあ、お願いしようかな。ありがとう」
「礼言うことじゃねぇ」
「ふふっでも嬉しいから。ありがとう」
「……おう」
少し頬を染めるライに胸が暖かくなり口元も緩んでしまう
緩んだ顔のまま彼に場所を譲り「まずは食器の汚れを水で粗方流してね」と手順を教えていく
「そしたらこのスポンジにその液体石鹸をつけて…」
「…まさか、これもか」
「……本当に察しがいいね」
そう、この“頑固な油汚れも落とす石鹸”も例の彼の貢物だ
「でたな、貢ぎ坊ちゃん」
「ふっ‼︎何ソレ」
まるで御伽話にでてくる魔物に出会った時の常套句のようなことを言うライにミーシャは思わず吹き出してしまう、貢ぎ坊ちゃんて
「み、貢ぎ、…ッ坊ちゃん…!」
「その通りじゃねぇか」
「はははっ!だめ!おかしい…ッ!」
「笑いすぎだろ」
そうは言うが言った張本人のライだって視線は動かしている手元に向けているけど口角が上がっている、絶対面白がってる
「ヤダ〜!今度会ったらもうその名前しかでてこない!」
「おう、じゃあそう呼んでやれ」
「絶対笑っちゃう‼︎ただでさえ名前覚えれないのに!」
「それのほうがひでぇじゃねぇか」
遂にはライも吹き出してしまった
それから名前を覚えれなくてどうしてるのかと聞かれたので話すときには名前を呼ばないし頭の中で認識する時は髪色で呼んでると言えば今度はライがお腹を抱えて笑い出した
その際、手についていた泡がライの着ている服に付いてしまいお互い慌ててしまったが最後にはそんな行動に2人でお腹を抱えて笑ってしまった
「いい?せめて、戻ってくるまでは冷やしててね」
「わーったって、しつけぇ」
片手を振りながら濡れた布を目元に当ててソファの背にもたれかかるライを確認してやっとミーシャも居間を出る
ライの瞼の腫れは大分引いたとはいえまだ完全にミーシャを魅了するあの鋭い瞳が戻ってきたわけではないのでギリギリまで悪あがきをお願いしておいたのだ
それからミーシャは自分の部屋に入ると既に用意してあった鞄を手に全身を映す鏡の前に立ち服装と髪を確認する
デートのためにミーシャが選んだ服はシフォン生地の薄い黄色のワンピースだ
全体は薄い黄色の生地でその色より一段濃い黄色の糸とミルキーホワイトの糸でこちらも全体に小花が刺繍されている
丸襟になっている部分から縦に三つ並ぶボタンがアクセントになっていて更に腰には茶色い皮のコルセットベルトをすることでミーシャの豊かな胸がより強調されているが本人はそこはあまり気にしていない
可愛いから着る、実に自分の欲に素直なミーシャらしい認識である
くるぶし丈のそのワンピースの下にはコルセットベルトと同色の編み上げブーツを履いている
髪はサイドを編み込んでからハーフアップにしてワンピースと同色のバレッタで止めていた
因みにそんな全身はりきってお洒落をしているミーシャを映す目の前の鏡は例の貢ぎ坊ちゃんからではなく父に16の誕生日に強請って買ってもらったものだ
たとえ例の坊ちゃんに贈られてたとしてもミーシャは即断っていただろう、鏡を見るたびに坊ちゃんの顔を思い出すなど冗談ではない
それからミーシャは用意してあった髪紐に手を伸ばした
暫し眉を顰めながら髪紐を見つめるがその顔は赤い
「やっぱりあからさまかなぁ…。気色悪がられたらどうしよう」
手元にあるのは薄緑色の髪紐
ミーシャの瞳と同じ色の髪紐だ
ライに髪を結ってもらうための物を手持ちの髪紐の中から選んでいたミーシャだったがこの色を目にした瞬間コレだ!と決めてしまった
しかし、冷静になって考えると大分恥ずかしいし断られたらと思うと1日落ち込みそうになる
いや、でもライの色気を纏った焦茶の髪に薄緑色は映えるのでないか、いや、だから、己の瞳の色だからとかそういうわけじゃなく…
と脳内で1人言い訳をつらつらと並び立てるも結局は自身の欲に従うことにした、実にミーシャらしい
そんなミーシャだが実は自分が選んだワンピースがライの瞳の色に似ているということには全く気付いていない、完全に無意識に自分のお気に入りの中の1着として選んだだけである
そのことに当のミーシャも気付いていなければ既に彼女のおめかし姿を見ているライも当然気付いてはいなかった
ライがいる居間へ向かう前に洗い場から彼の乾かした靴を回収しておく
そして居間の扉を開ければライは変わらず目元を布で覆ったままミーシャが部屋を出た時と変わらない格好で座っていてそんな素直な彼に自然とミーシャの口元が緩む
「戻ったのか」
「うん、お待たせ。ライの靴も持ってきたよ」
「あー」
「着てた服はどうする?今日新しいの買うように言われてたし、今日出かけるときはまたお父さんの服貸すけど」
「ンな金ねぇし、また借りる気もねぇよ」
ぶっきらぼうに言葉だけで反応を返すライにミーシャは首を傾げる
ライはどんな服を着てもその魅力は増すばかりできっととてもよく似合うことは考えなくても分かっているのだが
「確かにその服も一応普段着だけど、寝巻きのつもりで出したのにいいの?あ、お金は心配しなくていいよ」
「なんで」
「お父さんからちゃんとお金預かってるから」
「は?」
「ん?」
座っているライの足元に屈んでミーシャが持ってきた靴を置けばライは覆っていた布を外して眉を顰めながらミーシャを見下ろした
「なんで師匠が」
「なんでって?」
「師匠が金払う理由がねぇだろ」
「理由…」
また理由だ
どうもライは何かをするのには理由がなければ成り立たないと考えているらしい
しかし、ミーシャ達からしたら特に理由などない
したいからする、あげたいからあげるという実にシンプルなものだ
でも、そうか、敢えて理由をあげるというのなら…
「好きだから?」
「は?」
「お父さんもライのこと既に可愛いって言ってたし好きだから色々としてあげたくなるんだよ」
「はっ!?」
「あ、でもライがお金をしきりに気にするようならまた給料から引いとくって言っとけって言われた」
口をパクパクとして目を見開いているライを屈んだまま下から眺める
ミーシャは膝の上に肘をつき両手で頬杖をつきながら(下から見てもかっこいいなー)とライが落ち着くまで御尊顔を堪能することにした
どうもライは人からの好意というものにとても鈍い
それは初めてミーシャが彼に告白した時にも思ったことだが色恋の好意だけではなく他者からの親切心といった好意に対しても慣れていないのが昨日今日だけでも充分なほどわかった
だから少しずつでもそれが伝わればいいと思う
少なくてもミーシャ達家族は既にライが大好きだ
これからライと共に過ごしていくなかで何度でも好意を伝えていく機会はあるだろう
彼の気持ちが追いつくまで何度でもこの想いを伝えていこうとミーシャは未だ言葉にならない様子のライを見て微笑んだ