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今日の昼ごはんはミーシャが用意する
と言っても父であるカーターは業者の人たちへの差し入れ用に朝からパンを焼いていたしそれに合う料理を母であるニナも作っていたから彼らはきっと店で業者の人達と食べるのだろう
だから家で食べるのはミーシャとライだけだ
ライに食べてもらえると思うと緊張するし胸も高鳴るが何より嬉しい、思わず鼻唄混じりになってしまうのも仕方ない
長めの硬いパンを少し焼き直しソレを食べやすい大きさに切ってから更に包丁を横にして切れ込みを入れる
切れ込みを入れた間に葉野菜とトマト、昨夜のマリネの残りとローストした厚めのハムを挟む
あとは母が作ってくれた野菜スープと林檎を剥けば完成だ
ライもいるから多めにパンを用意して、から少し考えて同じものばかりなのも飽きるかもしれないと思い直し急遽卵を用意する
ミーシャの親指の爪ほどの厚さにパンを切りかき混ぜた卵の中に浸す
その間に林檎を剥きパンに卵液がよく浸ったら塩胡椒を降りさらに卵液の中で一回転させる
熱したフライパンにチーズを漬けていたオイルを少量垂らしてからパンを焼く
片面に焼き色がついたらひっくり返してその上からスライスしたチーズを乗せれば香ばしい香りが立ってきた
「……すげぇ美味そうな匂いがする」
もうそろそろ出来上がるというタイミングでライが調理場を覗き込んだ
その待ちきれなかったかの様子にミーシャはクスクスと笑ってしまう
「もう出来るよー、そのお皿運んでもらっていい?」
「……これ、おまえが作ったのか」
「そだよ、と言っても切って挟んだだけだしパンはお父さんでスープはお母さんだけどね」
「すげぇな…、美味そう」
「でしょ?2人の腕前は一品なんだから」
両親を褒められたことが嬉しくてニコニコしながら自慢してしまう
そろそろこちらも良さそうだとミーシャがフライパンからパンをお皿に移せば息が漏れるような笑い声が聞こえた
ん?と音のした方へ視線を向ければ料理を見ていたはずのライがミーシャを楽しげに見つめている
その細められた金の瞳にドキッと胸を高鳴らせれば口角を上げているライの薄い唇が言葉をおとす
「ミィも充分すげぇよ」
「ッ‼︎‼︎」
「あっちのテーブルでいいのか?」
「ふぇぁッ⁉︎あ、う、うん!お願いします!」
「なんだその声」
クックっと喉で笑いながら両手に皿を持って運んでいくライの後ろ姿をミーシャは顔を真っ赤にさせて見送ることしかできない
(……フライパン、離してて良かった……)
さもなくば自分は確実に火傷をしていたであろうとミーシャは飛び跳ねる胸の鼓動に手を当ててその場に蹲った
「美味い」
「良かった!」
目の前でパンを咀嚼しているライの言葉に安堵の息がこぼれる
料理とは言えないようなものだがそれでも好きな人の口に入るものだ、緊張して用意したから気に入ってもらえたのならとても嬉しいとミーシャはホッと身体の力を抜いた
緊張が解ければ今この状況をジワジワと実感し始める
ライと食卓を挟むことができてしかも自分が用意した食事を美味しいと食べてくれている、なんて幸せなんだろうか
これはもう新婚さんと言っても過言ではないのではないか
緩む顔面をそのままにミーシャは目の前の大好きな人に問いかけた
「ライは何が好き?」
「あ?」
「食べ物、食べられないものは無いって言ってたけど好きなものは?」
「特にねぇよ」
「ないの?」
「ねぇ。食えればなんでもいい」
「そうなんだ」
ライのざっくばらんとした返答に思わずミーシャが瞳を瞬かせれば「おまえは?」とライは逆に問いかける
「え?」
「あぁ、パンが好きなんだったか」
「ッ‼︎~~ッ…覚えて、たんだ?」
「昨日の今日で忘れるか?」
「そ、そうだね」
なんなんだこの人は殺しにきているのだろうか望むところだ既に心臓には無数の矢が刺さっている満身創痍だ
会話の流れだったからだとしてもライがミーシャの好みに興味を持ちしかも昨日話した内容をちゃんと覚えていてくれたことにミーシャは悶絶するしかない
(好き…………ッッッッッ!!!!!!)
「コレも店で売ってんのか?」
「へ?あ、あぁ【サラダパン】のほうは売ってるよ。中身は違うけど」
「あ?違えの?」
「うん、仕入れた材料や気分によって変わる」
「気分か」
「そう、気分」
「いいな、ソレ」と楽し気に笑いながらライは【サラダパン】を口に運ぶ、そんな仕草もどことなく色気がありドキドキするから気を付けてほしい
ミーシャはライが楽しそうなことも話を聞いてくれることも嬉しくてつい自分の食べる手を止めて話しかけてしまう
「パンの種類を変えれば中に挟む具材もサラダだけじゃなくて他の具材に変えたりするんだよ」
「パンの種類?」
「そう」
「コレ以外にもあんのか」
「うん、沢山」
「へぇ」
興味深気に聞き返すライにミーシャはニコニコと説明を続けた
「元々は昨日の丸いパンと今日のこのパンばかりだったんだけどね、ウチで色んな【おかずパン】を出してから少し経った後に組合を作ることになったの」
「組合?」
「そう、私も当時小さかったから聞いた話になるんだけどね」
ミーシャは父であるカーターから聞いた話を思い出していた
当時【おかずパン】が爆発的に売れたことは意外にもカーターを含めこの町のパン屋全てが困っていた
一つの店に客が集まることでその店は客を回しきれないし他の店には客が来なくなる
愛娘の案が面白かったのもあるしそれを店に出すと決めた時の妻子の喜びようが微笑ましかったため次々店に出していたが、元々細々と営んでいた店でもあった為ここまで繁盛するのはカーターとしても胃が痛いところだった
そこで他の店に呼びかけることにした
他のパン屋でも【おかずパン】を売り出してくれないかと
勿論その【おかず】のレシピは公開しないがそうすれば各々の店で違った味の【おかずパン】が食べられるし今後も新作ができればその案を提供してみんなで持ちまわらせないかと
これには他のパン屋も一二もなく飛びついた
今までカーターとニナの人柄もあり義理だてで商品を真似るようなことはしなかったが当の本人達から許可が出たのだ、当然その話に乗った
そして売り上げを独占しようとしないカーター達に更に好感をもつようになる
他のパン屋が手遅れになる前に話を持ちかけたことも功を奏していた
その結果、その集まりは組合となりそれぞれが切磋琢磨し協力し合う関係となったのだ
「それからね、こんなパンがあればいいのにって案を出せばみんなが考えてくれるようになって」
「へぇ」
「今では色んな種類のパンがあるということです!」
「ははっ!おまえの食い意地すげぇな」
「ちょっと!」
「にしても、周りを巻き込んだ師匠もすげぇ」
感心しながら呟くライは既にデザートの林檎に手を伸ばしているが話していたミーシャはまだほとんど手付かずである
慌てて手を動かし口に運び始めればライは林檎を持っていない方の手でミーシャの皿を指差した
「それは?」
「え?あ、食べる?私にはちょっと多いし」
「ちげーけど……、食わねぇなら食う」
「ははっ!はい、どうぞ」
「………おぅ」
「それで?このパンがどうかしたの?」
「あー、コレは店に出してねぇのか?」
どこか照れ臭そうなライの御尊顔を福々とした顔で眺め再度問いかければ彼は渡された皿をもう一度指差した
それにミーシャはどこか緊張した面持ちで上目遣いにそっと問いかける
「……それ、美味しい?」
「は?いや、うめぇけど」
「良かった。それ、実は初めて作ったの」
「は?」
「【サラダパン】だけじゃライ飽きちゃうかなーって。でも他にお腹膨れそうなもの用意するのは時間かかりそうだったし、卵とチーズと塩胡椒は相性抜群だし大丈夫かなって。美味しいなら良かった」
実はぶっつけ本番だったのだがミーシャはよくパンとの組み合わせにアレコレ挑戦するため今では初めて作る料理も息をするように挑戦する
それを味見もしないで好きな人に食べさせるあたり抜けているといえるのだが美味しかったから結果オーライである
「……やっぱおまえ、すげぇな」
「え、そ、そうかな?」
「あぁ、イカれてるだけじゃなくて食い意地もはってんだな」
「ねぇ!」
口をポカンと開けて目を瞠っていたライはしみじみとミーシャを称賛する、かと思えば悪口か
ミーシャが思わず抗議の声を上げればライはケラケラと笑いながらパンにフォークを突き立て口に運んだ
「じゃあコレも店に出すのか」
「どうかな?冷めると美味しくないだろうし」
「あ?冷めんの?」
「え?そりゃもちろん、お店に出してるからね」
何故そんな当然のことを?と不思議に思っているとライは眉を顰め果実水で口の中の物を流し込んでから再度口を開いた
「けど昨夜の【シチューパン】だったか、アレは出してんだろ?」
「あぁ、アレは先にくり抜いたパンの器だけ出しておいて注文が入ったらすぐ側の厨房で中身を入れて出してたの」
「同じようにはできねぇのか」
「うーん、お鍋の中から掬うだけでも手間になる時があるからフライパンで更に焼くとなると難しいんじゃ…あ、でも作ったのをだしてお客さん自身に家で焼き直してもらえばいいのか」
ライの問いに答えながらもぶつぶつと思考の海に沈み始めるミーシャ
そんな彼女をライは頬杖をつきながら黙って見守っていた
「もしかしたら出せるかもしれない。お父さんに相談してみるよ」
「そうか」
「ありがとライ」
「あ?なにが」
頬杖をつきながらミーシャを面白そうに見ていたライへ感謝を述べればライは怪訝そうな顔をする
そんな表情も大変眼福だとミーシャは満足気にニコニコしながら答えた
「ライが言わなかったらお店に出そうとも思わなかったよ」
「ンなことで礼言わなくてもいーだろ、俺は聞いただけだ」
「そんなことないよ、ライが聞いてくれなきゃ考えなかったし…そもそもライがいなきゃこのパン作ってなかったからね」
「おまえならその内作ってたろ」
「どうかな?そうかもしれないけど、でも結局初めて作ったのはライのためだからやっぱりありがとうかな」
「………」
笑顔で再度お礼を伝えればライは苦虫を噛み潰したような顔をしてその顔を横に背けてしまった
横顔もかっこいいなーと堪能しながらミーシャは食事を再開させるがそうか、あのパンはライがいなかったら生まれなかったパンなのかと再度己の説明を脳内で繰り返す
それはつまり彼との初の共同作業でありということはあのパンはもう自分達の子供と言ってもいいのではないかと思えてきた
つい慈しみをもってライの前にある食べかけのお皿を眺めてしまえばその上からフォークが突き刺さる
「あぁッ‼︎」
「ッ、ビビった…ンだよ」
「あ、ううん、なんでもない…」
既に己の子供として認識してしまった目の前のパンの刺殺につい声をあげてしまったがさすがにこの思考を口に出すことがまずいことは辛うじてミーシャも認識していた
咄嗟に視線を自分の皿に落とし(不甲斐ない母でごめんね…!)と己の懺悔を告げていれば視界に黄色いものが映る
え?と口に出す間も無くソレはミーシャの視線の先に置かれた
「ッたく、食いたいならそう言えよ」
「え?」
「あ?違えの?」
「う、ううん!あ、ありがとう!」
「別に食い意地はってんの悪かねぇんだから堂々としてろ」
「う、うん」
実に不本意極まりない誤解を受けているがミーシャはそれどころではない
目の前にパンがいるのだ
そう、ライが、食べかけた、パンが
つまりはライの食べかけであり…
天国か地獄か
ミーシャは己の思考が招いた究極の選択に暫し悩むことになった




