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ミーシャは死にそうだった
死因は急性高脈動もしくは悶え死
原因はもちろん目の前の男である
まずライの着替えを持って浴室に入ったときにまるで夫婦みたいだなと淡く胸をときめかせた
調子にのって少しふざけてみれば怒らせてしまい今度は不安で鼓動が早くなった
かと思えば不貞腐れたような声でお湯が熱いと言う
しかも素直に頷かれてしまった
落としてから上げるという高度技術を披露されたことで(なんなの甘えてくれるのかわいすぎじゃないッ⁉︎)と脈拍が急上昇してしまい庇護欲が全力疾走した
心臓の危険を察知し慌てて浴室を出た後は母の手伝いをしていたが父が医者を連れて戻って来たため浴室の前でライを待つことにした
しばらく待っても出てこなければ声をかけようと思っていたのだ、が、
浴室から最大級に色気を携えたとんでもなくかっこいい人が出て来た
黒ずんでいた肌も綺麗になり
日に焼けた肌は火照ったのか僅かに染まっている
クセがついていた髪はやはり真っ直ぐだったようだ
清めたことでくすんでいた色が濃い焦茶色へと変わり男の色気を纏っている
濡れたその髪から垂れる滴が彼の首筋や鎖骨を濡らし長い髪は首元に張り付いていて目のやり場に困ってしまう
そして彼から自分と同じ石鹸の香りがする
もう心臓が止まりそうだ
いや、むしろ跳ね上がりすぎてどこかに飛んでいってしまうかもしれない
心臓が飛び出さないように胸を押さえ視界から彼を外すしかない
なんせ視界を塞いでも香りの暴力が襲ってくるのだ
逃げ場がない
更に頭ポンからの至近距離笑顔である
ミーシャからお願いした訳でもないのにライが初めて自発的に接触してくれただけでも思考が停止するのに眩しそうに眼を細めその金の瞳がトロンとしてるのだ
トドメは美声に優しさをのせた「ばーか」である
ー な に そ れ
ミーシャは天に召されるかと思った
慌てて話題をふることで九死に一生を得たが今までのツレない態度はこのための布石だったのかなんて手腕なのだ危ないところだった
ライが絶賛ポンコツ中であることを当然知らないミーシャは本日2度目の混乱の渦中にいた
「で?」
「へ?」
目までグルグル回ってきたところで美声を落とされ言葉を放ってきた相手を見る
うわっ、かっこいい
「なんでここにいんだ?」
「ぁ、ああ!お医者さんが来たからライを待ってたの」
「あー…つか、俺の着てた襤褸は?」
「洗い場に持って行ったよ。穴が開いてたりしたけど洗ってからライにどうするか聞こうかなと思って」
もう着るのも難しそうな状態だったがライの意見も聞かずに処分するのも気が引けたのでミーシャはとりあえず洗ってから聞こうと思っていた
ライが履いていた履物も今は例の商会の彼が贈ってきた“とんでもなく汚れが落ちる石鹸”を溶かした水に浸けている
明日の朝にでもそれを“一瞬で何でも乾かす箱”にいれれば明日ライが履くものにも困らないだろう
全く、便利な道具があったものだ
「腹に巻いてたタオルとかどーすりゃいい?」
「あ、服を入れてた籠に入れといて」
「わかった」
この「わかった」というのも破壊力抜群だ
ライが素直に頷いてくれたのはさっきが初めてなのだから慣れるはずもない
浴室にもう一度戻ろうとしたライは入る瞬間片目を瞑り「〜っくあ…」と欠伸をこぼした
(…………)
これ以上心臓を射抜くような行動はやめてほしい
ミーシャが痛む胸を押さえながらライの大盤振る舞いに耐えていれば無意識に射抜いて行った張本人はすぐに戻ってきた
「さっき通った場所か?」
「あ、うん、そう」
そのまま通ってきた方へ歩き出すライにミーシャは慌てて声をかける
「ライ。まだ髪が濡れてるよ」
「あ?だから?」
「ちゃんと乾かさなきゃ。身体冷えちゃうよ」
「あちぃから丁度いいじゃねぇか。大体、髪なんざ放っとけば勝手に乾くだろ」
「え、」
まるで今まで乾かしたことがないようなライの反応にミーシャは薄緑色の瞳を瞬かせる
暫し啞然としてしまったが今までソレで問題なく過ごしてきたというのなら態々乾かすという行為はライにとって煩わしいことなのかもしれない
しかし今はソレは聞けない
その濡れた髪がもたらす溢れる色気は大いに魅力的だが目に毒なのだ
心臓が慣れるまでこういったことは待ってほしい
慣れるかは別として
「ちょ、ちょっと待ってて」
「あ?」
振り返ったライの返事を待たずにミーシャは浴室の隣りの部屋に入る
その部屋は外の洗い場に直接出れるようになっていて洗濯したものを干す場所とも近い場所にあたる
そのため未洗濯のモノも洗濯済みの衣類以外のモノも全てその部屋に置いていた
余談だが洗濯物を乾かすにあたって例の便利な速乾箱も利用できるがミーシャも母であるニナも陽の光に当てたほうが好きなため雨が続く時以外は箱を使用していない
ミーシャは部屋から大きめのタオルを手に取るとライのもとへと戻った
するとライは口を大きくあけて欠伸をしているではないか
「はぅッッ」
不意打ちはやめてほしい
「…もういいか?」
抱えていたタオルを抱きしめて悶えているミーシャを横目にライは歩みを再開させる
ミーシャの奇行にも既に慣れたものだ
「ま、待って待って」
「ンだよ…」
慌てて追いかけるミーシャの静止にライは酷くめんどくさそうに振り返った
ミーシャはライの目の前に立つと持っていたタオルをライの頭にかぶせる
「は?」
「自然乾燥するって言ってもその色気は、大変危険です」
「はぁ?」
思わず敬語になってしまったミーシャにライは眠そうだった顔を怪訝な表情へと変える
「よし、行こう」
満足した奇行少女は当たり前のようにライの手を掴み両親が居る部屋へと向かった
既に心動が許容量を越えている中でライの手を掴むことは更なる負荷をかけることになるがソレはソレ、コレはコレである
なんせミーシャはライの手を握らなければ案内はできないのだ
自然に手を掴まれてしまったライも溜息をひとつ零すだけで大人しく着いていく
だが部屋が近づきカーターやニナ達の声が聞こえてくるとライはその手をパッと離した
手を離されたことも残念だったが何よりライに拒絶されたのかと思うとミーシャの心臓に鋭い痛みが走った
けれど、もし嫌だったのなら謝らなければとライの方へ振り向けばライは頬を赤く染めて横を向いている
「…ごめん、嫌だった?」
「………や、あー……、目が、覚めた」
「?」
「………いいから、行くぞ」
そう言うとライは頭にかかっていたタオルの上からガシガシと頭を掻くも自分から前に出ようとはしない
(もしかして、まだ緊張してるのかな)
ライにとってはまだ会ったことのない医者も部屋にいる
そんな時にミーシャと手を繋いでいる余裕などないのかもしれない
嫌だと言われなかったことを嬉しく思うと同時にライの気持ちに配慮できず浮かれていた自分を反省した
せめてライが入りやすいようにと返事だけを返してライより先に両親たちが待つ部屋の扉を開けてミーシャは父達が居る部屋へと入った




