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ミーシャは顔を覆ってしまっているライの手を取り「こっちだよ」と浴室に向かって歩き始める
思わず手を取ってしまったのは先程握り返された際に生じた歓喜の余韻が引かなかったからだ、仕方のないことだろう
ミーシャがライの節くれ立つ大きな手の感触に想いを馳せていれば小さな美声が溢れて聞こえた
「…掴まなくても逃げねぇよ」
「私が手を繋がないと案内できないの」
「どんな理屈だ」
ライはそう言って溜息を吐くがミーシャはこの素晴らしい吐息を聞くのももう何度目だろうとこの短時間での奇跡を振り返る
初めて会った時からずっと警戒をしているかのようにライは距離を取っていたが今ではいろんなことを諦めたようだ
実にいい傾向である
たとえ【諦め】だったとしてもミーシャが距離を縮めようとしていることをライが少しずつ許してくれているようでとても嬉しいのだ
(多少強引だったのは分かってるんだけどね…)
手を引かれて一歩後ろを歩く彼には申し訳ないがミーシャはもうライとのめくるめくイチャイチャ恋愛生活を諦めることができないのだ
色々観念してもらおう
ウンウンと一人納得している狩人は弱り切ってグッタリしている獣を手に鼻唄混じりで目的の部屋まで進んで行った
「ここが脱衣所で奥が浴場ね。使い方分かる?」
「…いや」
目当ての浴室を開けると既に準備がしてあり部屋の中は湯気が篭っていた
初めて使うというライをミーシャはそのまま衝立で仕切っている奥まで連れて行く
「この浴槽からこの桶でお湯を掬って使ってね。ここに穴が開いてるから浴槽の外で身体を清めてもらっても大丈夫。浴槽の中にゆっくり浸かってもらってもいいんだけど、傷が痛むかもしれないから今日はやめたほうがいいかもね」
長丸の浴槽を前にミーシャが指を指してそれぞれ説明していくとライは興味深そうにマジマジと色んな角度から覗いている
そんな姿をする彼が幼く見えてミーシャはクスクスと笑ってしまった
「…ンだよ」
どうやら笑っていたのがバレてしまったようだ
不貞腐れたようなバツが悪そうなそして恥ずかしそうな、そんな複雑な顔をしているライにミーシャの口元はますます緩んでしまう
ミーシャは零れ出てきた想いをソッとライに告げた
「好きだなぁって思って」
「なっ!?」
口元を緩ませながら笑みを浮かべるミーシャに対してライは口をパクパクしている
顔が真っ赤なのは浴場の熱に当てられただけではないだろう
子供のように興味を露わにする彼のことが
ミーシャの好意をわかってくれる彼のことが
ミーシャは堪らなく好きだと思った
「ねぇ、抱きついてもいい?」
「はぁっ!?ばっっっっっかじゃねーの⁉︎⁉︎⁉︎」
欲望のままに聞いてみたのだが思いっきり断られてしまった
とても残念だ
「~~~ッ、あんた!軽々しくンなこと言うな!」
「え、無理だよ。気持ちが溢れてポロっとでちゃうんだもん」
「はぁっ!?」
遂には全身を真っ赤に染め上げたライはミーシャに掴まれていた手を勢いよく振り払った
ミーシャとて困らせたい訳ではないのだが、一度彼に好きだと伝えてしまってからは箍が外れたように想いがポロポロとこぼれてしまうのだ
一緒に居て会話をしてその手に触れるだけで、その全てが心臓を壊しそうなほど胸を高鳴らせてくるのにそれ以上にとても幸せで、もっともっとと欲が出てしまう
しかし、既にグッタリしていた彼にこれ以上大声をあげさせるようなことは避けなければ
「じゃあ今日は頑張って抑えるようにするね」
「じゃあってなんだ、今日はってなんだ…」
またもや項垂れてしまったライの(手を掴みたいのを必死で堪え)腕をツンツンと指で押す
「さわんな…」
「そんなこと言わないで、泣いちゃうから。あのね、これ見て」
「…もう本当なんなんだおまえ」
思わず茶化してから視線を向けてほしいとお願いするとライは疲れ切った美声をこぼす
こんなやりとりもミーシャは楽しくて仕方がない
己の顔が緩んでいることを自覚しながら未だ嘆いてる彼に「コレコレ」と二つの小さなケースを指差した
ライは項垂れていた首を戻しそれを不思議そうに覗くと「なんだこれ?」と聞いてくれた
「この白い方の石鹸が身体を清めるときに使う物で横にブラシがあるでしょ?それに濡らした石鹸を何度か擦り付けて泡立てた後にブラシで身体を清めるの。
もう一つの茶色い石鹸は髪を清めるときに使う物でコレも濡らして泡立ててから髪、というより頭かな。頭を中心に清めるの。どちらも清め終わったらお湯でよく流してね。」
「へぇ、身体と頭で違うのか」
「なんか配合?かなんか色々違うみたい。一回お父さんが間違えて白い方の石鹸で髪を清めてバリバリになったの」
「そりゃたいへんだな…」
口ではそんなことを言っていてもどこか面白そうに金の瞳を細め口元を僅かにあげている
その表情はまるで悪戯を企む子供のようではないか
(可愛いッ!心臓痛い!だめ!抑えるのよミーシャ!!)
ミーシャが内なる悶えを必死で抑えていると「なぁこれは?」と浴槽の中に入っているミーシャの握り拳大の丸い物体を指差しながら聞いてくれる
興味津々なの可愛いっと脳内で叫びながらミーシャは努めて冷静に答えた
「それはお湯にする道具みたい」
「なんだそれ」
「元々お湯は別の場所で沸かせたのを浴槽に運んでたんだけど、なんかこの道具を入れておけば水を適温のお湯に沸かしてくれるみたいなの」
「……なんだそれ」
眉を顰めて見下ろしてくるライにミーシャも首を傾げて返す
「私も詳しくはわかんない。けどまぁ便利だからいいかなって。あ、お店の方の浴場もここより狭いけど道具は同じのを用意してあるよ」
「…よく分かんねぇけど、こーゆーのクソたけぇんじゃねぇの?おまえんとこの店そんなに儲かってんのか?」
「確かにお店は繁盛してるけど、流石にコレはいくつも買えないよ。この石鹸も全部貰い物」
「…ンなもん渡す奴がすげぇのかお前んちがすげぇのかわかんねぇな」
呆れたような顔をするライにミーシャも全くもって同感だと内心頷いた
初めの頃は高価な物をポンポン贈ってくる彼に何も返せないからと遠慮していたのだが、代わりに新商品のパンが出たら誰よりも早く教えてほしい定期的にパンを取り置いておいてほしいと言われて渋々家族揃って納得した
流石に嗜好品といった明らかに下心がありそうな諸々の物は今でも断っているが生活に便利な物はくれるなら貰っておこう精神にまで開き直っている
彼がくれた“日が出ていない時でも火を使わずに部屋を明るくする道具”は夜明け前から仕込みをするミーシャの家では大変重宝している
「常連さんに有名な商会の人がいるの」
彼との取引きめいたことも話そうとしたミーシャをライはジッと見つめ「あぁ…」と納得したような顔をする
その反応を不思議に思ったミーシャも思わず見つめ返してしまう、やっぱり綺麗な瞳だ
「例の言い寄ってる男の内の1人か」
「うっ…」
思わず漏れてしまった声は図星であると言っているようなものだ
気まずくて思わず視線を逸らしたミーシャにライはククッと喉の奥で笑った
素晴らしく聴き心地は良いが言い寄られていると知っても平然としているのがミーシャとしては悔しいし切ない
落ち込む気持ちを切り替えるように「それより!」と大きめの声を出した
「お腹濡らさないように頭洗うの大変じゃない?」
「別に濡れてもかまわねぇよ」
「……手伝おうか?」
「トチ狂ったこと言ってんな」
ミーシャが下心満載で胸を高鳴らせながら提案してみたのだかバッサリ断られてしまった
つい口を尖らせて不満を露わにしてしまう
そんなミーシャにライは呆れの溜息を吐くと片手を顔の横にくる位置まで上げた
「やり方もわかったからもういい。医者も来ちまうらしいしお前ももう行けよ」
「…はーい」
片手を振りながら言うライが素晴らしく様になっていたのでそれで我慢しようと渋々ミーシャは浴場から出て行く
パタンと閉じた扉に背を預けて両手を口に当てる
「フフッ」
彼が自分の家にいる
今扉の向こうにいるのだ
ミーシャは湧き上がる喜びに歩みを弾ませながらライの着替えとタオルを取りに向かった




