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午前の仕事も終わり店から家へと戻ってきた
店が再開してからも変わらず昼の用意はミーシャとライが行っており今日もいつものように2人並んで調理場に立っていた
毎日のように昼食作りを2人で行っているため、ライも仕事中の下準備を少しずつ任されるようになった
初めて包丁を握り野菜と格闘していた姿を思い出せばその成長速度に感心するばかりだ
ミーシャは初めて2人で調理場に立った時のことを思い出していた
ついでに皮剥きを教えるという体でライの腕の中に収まっていたことも思い出していた
(あれ、もういっかいやりたいなぁ…)
欲に忠実な娘は調理場にライと立つたびにあの時の幸せの再来チャンスを伺っているのだが中々機会もライの隙もない
料理中に隙を伺うなどまるでどこかの刺客のようだがその源にある想いは恋慕う想いなのだ
問題ないだろうとミーシャは勝手に思っている
そうして今日も変わらず後光が差しているかのようなライの全身を余すことなく堪能していたのだがなんだかライの様子がいつもと違うように見えた
話しかければ返事は返してくれるし下準備をしている手元はいつも通り工程を丁寧になぞっている
けれどライを愛してやまないミーシャにとっては彼の表情がどこか暗いように見えた
その暗さがミーシャから見た美貌と相まって少し危なげな魅力と色気を醸し出しているようにも見える
これでは心配をしていいのか悶えていいのかわからない
悩みに悩んだミーシャは当の本人に聞くことにした
「ライー」
「ンだよ」
「どうしたの?」
「は?」
ミーシャの問いにライは作業していた手を止め訝しげにミーシャを見下ろす
「今おまえから話しかけてきたんだろうが」
「そうなんだけど」
「何言ってんだ?おまえ」
不可思議そうに眉根を寄せたライはもう興味が薄れたかのように手元に視線を戻し作業を再開しようとした
ミーシャはその様子からライの違和感の正体に気付く
「なんか、元気ない?」
「………ンなこたねぇよ」
「それに!私のことあまり見てくれない!!」
「はぁ?」
またも金色の瞳の視線が戻ってきたことに気を良くしたミーシャは火にかけていた鍋を火元から遠ざけるとライに詰め寄った
「いつもなんだかんだ私の顔見ながらお話ししてくれるのに!今日なんだかライと視線が合わない!」
「…ッンなわけあるか。いつもと変わんねえよ」
「違うよー!私がどれだけライの眼が好きか知らないの!?目が合う度にドキドキして嬉しくなってるんだから!!」
「……っ」
詰め寄るミーシャを避けるように身体を仰け反らせたライは一瞬息を詰めたように動きを止めた
そしてしばし口元を固く引き締めると突然ガクンと肩を落として深い溜め息を吐いた
あまりの深さに肺の中の空気が無くなりそうだ
「ライ?」
「なんか、アホらしくなってきた」
「え?」
ボソリと呟いたライの言葉にミーシャは瞳を瞬かせた
何を思ってライがそう言ったのかはわからないが例えアホらしいとライが思っていたとしてもミーシャにとってはただの魅力にしかならないので全く問題ない、思う存分アホらしくなってくれて大丈夫だ
いや、そういうことでもないのか?
ミーシャの思考が斜め上を突き進んでいることに気付かないままライは下を向いたままバンダナの上から髪をグシャグシャと掻きむしった
「おれぁ、聖人じゃねぇんだよ」
「ん?」
そうだろうか
ライの美麗さは後光がさしてるし神がかっているしライの優しさは天元突破しているから聖人だと言われてもやっぱりね!としか思わないのだけど多分今それを言うのは違うんだろうなとミーシャはコンマ1秒で思考を切り替えて大人しく口を紡ぎライの言葉の続きを待った
「そうだな、俺のせいじゃねぇ」
そう言って顔を上げたライは金の鋭い瞳でミーシャを射抜いた
「おまえのせいだ」
その強い瞳に魅入られてミーシャは一瞬息が詰まった
喉の震えを誤魔化すように「…ごめんね?」と首を傾げて謝ってみるもその声は頼りなく聞こえた
そんなミーシャの絶対わかっていない様子にライは瞳を緩めると息を吐くように笑う
「困るのはおまえだから謝ることじゃねぇんじゃねえの」
「知らねえけど」そう言って何か吹っ切れたように見えるライは何事もなかったかのように作業を再開させた
先ほどのアンニュイさを感じるライもそれはそれで魅力的だったがどこかスッキリしたような表情のライの横顔も素敵だ
ライを悩ませることが無くなったなら嬉しいことこの上ないがその悩みを理解しきれなかったのは悔しい
ライはミーシャが困ると言っていたがライにとっての事柄ならどんなことでも受け入れてみせる気持ちでいるので自分に何かあることでライが気に病まなくなるならこれほど喜ばしいことはない
ない、が、その内容を知りたいのも事実
好きな人のことは頭のてっぺんから爪の先まで知りたい貪欲な恋する乙女はさり気なさを装ってライが悩んでたことを聞き出そうとしてみた
「…もう、元気?」
「あ?」
「何か悩んでたの?」
全然装えなかった
知りたい気持ちが隠しきれずにストレートに告げてしまったが言ってしまったものは仕方ない
せめて態度だけでも何気なさを装うと火元から離していた鍋を再度火にあてた
そんなミーシャの陰ながらの努力を知ってか知らずかライは少しだけ黙っていたがいつもミーシャを魅了してやまない声で普段どおりに答えてくれた
「すげぇ気分悪かったんだよ」
「え!?」
「自分が胸糞悪過ぎて吐きそうだった」
ライの言葉にミーシャは体調がそんなに悪いのかと心配になりかけたところで続いた言葉に今度はライは胸糞悪いとこなんてない!と反射で憤った
その気持ちのままライの方へ振り向くとライはそんなミーシャに気付かないまま「けど」と言葉を続けた
「アホらしくなった」
「んぇ?」
「胸糞悪くなったところでおまえは変わらずとち狂いっぱなしだからな」
「私?狂ってないよ?」
ライが何を言いたいのかいまいちわからないが大事なとこはちゃんと否定しておいた
そんなミーシャを横目で見たライは鼻で笑う
「そんな奴が隣に居れば俺もおかしくなんだよ」
そう言って包丁を動かしていたライはどこか自嘲気味に笑った
ライの言いたいことはやはりミーシャにはよくわからなくて首を傾げることしかできない
それでも話の中で気になったところだけはミーシャの想いを告げておく
「ライに気分悪くなるほど酷いところなんてないよ?」
「ほらな」
ミーシャが反射で憤った気持ちを伝えればライは作業を続けながら可笑しそうに肩をすくめた
「おまえ俺のこと肯定し過ぎ」
「だって本当のことだもん」
「だからおまえのせい」
「んんん?」
よくわからないが自分のせいでライが気持ち悪いと思っていたことがどうでもよくなったなら良いことなのではないだろうか
好きな人にはできるだけ負の感情とは無縁でいてもらいたいものである
そんなよくわからないながらも「ならまぁいっか」と納得したミーシャは火にかけた鍋の中身をかき混ぜた
「なぁミィ」
ドキンと胸が高鳴る
ライに名前を呼ばれるたびにいつだってミーシャの胸は音を立てて恋心を示してくる
そんな乙女心が頬の赤みにも表れながらミーシャは「なぁに?」と返した
知らず甘えたような声が出てしまって少し気恥ずかしい
「俺が気持ちわりぃこと考えてたらどうする?」
「ん〜?どうもしないかな?そうなんだ〜って思う」
「ハッそうかよ」
お互い作業しながら何気なく交わす言葉
ライが可笑しそうに笑っているのが声音からも伝わってきてミーシャはつい隣に立つライに視線を向けた
そんなミーシャの視線に気付いたのか
ライは包丁と下処理していた野菜を台に置き手を洗うと腰に巻いたエプロンで手を拭き身体ごとミーシャの方に振り向いた
そして袖から覗く引き締まった両腕を前で組むと作業台に少し体重をかけながら
「なぁ…、クソくだんねぇこと言うぞ…」
と、金の鋭い瞳でミーシャを見つめた




