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ショリ…
ショリ…
陽光が降りそそぐ空の下
ライは慣れない手つきで野菜の下処理をしていた
ミーシャと昼食を用意する時は室内の調理場で下処理を行うのだが店の営業中は調理に慣れた様子で動き回るカーターとニナの邪魔にならないよう厨房の裏口を出た辺りで処理をするようにしている
今も開店前に準備した材料のなかで足りなくなったものを補充するために辿々しく包丁を動かしていた
ショリ…
ショリ…
ブツブツと切れる皮の短かさに眉を顰めるも大事なのはどれだけ薄く綺麗に剥けるかだとカーターに教わったことを念頭に丁寧に剥いていく
ショリ…
ショリ…
チチチチチ…
ライが野菜を剥く拙い音と微かな鳥の囀りしか聞こえない場所はとても静かだった
その静謐さのなか真剣に野菜と向き合い手を動かすライの横で厨房のドアが勢いよく開かれた
ーバンッ
「ライッ!!!!!」
静謐が破られた瞬間である
「またか…」
ライは開かれたドアの方には視線を向けず慣れた様子で手を止めて前掛けに散らばった野菜の皮を叩き落とした
ライが手を止めて包丁を置いたことを確認した後、静謐さを破った犯人ことミーシャは狙いを定め空箱に座っているライの背中に勢いよく抱き付いた
「ライライライライライライーーーー!!」
「いてぇし、うるせぇ。毎度毎度突っ込んでくんな」
「だってだってだってー!!」
悲痛な叫びをあげるミーシャにライの態度はツレない
しかしそんな態度を取りながらもミーシャを避ける素振りは見せない、もうほんとになんなのだ口では素っ気なくても態度は受け入れてくれるってそんなだから毎回毎回突撃してしまうというのにソレをわかっているのだろうかこの大魔神は大好きです
ミーシャは荒ぶる胸の高鳴りに悶えながらライの腹に手を回し額をグリグリとその背中に押し付けた
「ダメ!ライを補給しなきゃ立ち向かえない!」
「アホか」
「アホじゃない〜」
グリグリと額を擦り付けるミーシャにライは溜息を吐く
そして中断していた作業を再開させながらぶっきらぼうに口を開いた
「ンで、今日は。また騒音野郎か?あいつも凝りねぇな」
「違うぅぅ」
「はぁ?」
店舗を再開してすぐに頻繁に訪れるようになった青髪騒音野郎ことテッドはミーシャ達の店のリフォームを請け負ってくれた業者の作業員の1人でありミーシャに熱い想いを送り続けている人物である
ミーシャに冷たくあしらわれてもめげないテッドに遂にミーシャは逃亡手段を取り始めた
そして逃亡先は言わずもがなライの元である
普段はエプロンのポケットに忍ばせたライからのお守りを握りしめてなんとか乗り越えようとするのだがすぐそばに大好きな人が居ると思うとやはり本物の力には抗えない
ライが初めて書いてくれたミーシャの名前の文字から伝わる幸福度もミーシャにとてつもない力を与えてくれるのだがソレはソレ、コレはコレである
決して隙あらばライに抱きつきたい故の口実ではない決して、そう決して
そのためミーシャは厄介な客から逃げたくなる度にライの背中に毎度毎度突撃するようになりライもまたかとおざなりに対応するようになった
そんな中でも青髪騒音野郎ことテッドの割合が多いため今回も奴だとライは思ったようだが違う
背中に張り付くミーシャをライが訝しげに見下ろすと店内から小さく「あの!ミーシャちゃんは!?」と問う声がした
厨房を隔てた外にいても聞こえているということはそれなりの声量で店内で問うているということだ
ライは小さく舌を打つ
「また変なのひっかけたのかおまえ」
「引っ掛けてないよ!普通に接客しただけだもん」
「けど初めて見た奴じゃねぇんだろ?」
「うん。何度か来てくれるからよっぽどウチのパンを気に入ってくれたんだって思って嬉しかったのにぃ」
初めて来店してくれたのがいつなのかは覚えていないが来るたびに嬉しそうにパンを受け取る姿にミーシャも嬉しく思っていた
しかし徐々に話す内容がパンのことからミーシャに関しての話になりパン目当てで訪れてくれていたわけではないのかとガッカリしたのだ
涙声でそう訴えるミーシャにライは呆れたように溜息を吐くと再び包丁を手に取り下処理の続きを始めた
「そいつの目的がおまえだろうと客には変わりねぇだろ」
「そうだけど…」
「だったらそこまで落ち込むことねぇだろ」
「え?」
ライの言葉にミーシャは背につけていた額を離してライの後ろ姿を見つめる
てっきり客なのだから逃げずに接客をしてこいと言われるのかと思ったのだがライの言葉は違った
「それともココのパンは不味いとでも言いやがったのか?そいつ」
「そんなこと言われてないよ!」
「だろうな。ンな事言う奴は舌が狂ってるだけだ」
「へ?」
突然のライの言葉に何を言いたいのかがわからなくてミーシャがライを覗き込めばライはなぜ分からないのだと言いたげに眉を顰めた
「師匠と奥さんのパンが不味いわけねぇだろ」
「うん」
「だからそいつの目的がお前だろうとココのパン食えばお前とは別に買いにくるのは当然じゃねぇか」
「うん?」
疑問符を浮かべるミーシャにライは溜息を吐くと剥き終わった野菜を笊に置いた
そして一度エプロンで手を拭うとミーシャの薄茶色の髪をグシャリとかき混ぜる
「だから、師匠達のパン食った奴がまた食いたいと思うなんて当然だろ。そいつがおまえにどんだけ鼻の下伸ばしてようがそこんとこは変わんねぇんだから、おまえがそんなに落ち込む必要ねぇだろっつってんだよ」
そう言い終えるとライはミーシャの額を指で弾いた
「痛い!」
「わかったらその情けねぇツラやめろ」
そう言ってもう一度ミーシャの髪をかき混ぜると未だ剥いていない野菜を手に取り皮剥きを再開させた
ミーシャはボサボサになった頭に手を当てると呆けた様子でもう一度「いたい…」と呟いた
つまりライはどんな客でも客なのだから逃げずに接客しろと言いたい訳ではなく1度でもカーター達のパンを食べたら虜になるのは当然なのだから例え客がミーシャ目当てでもその前提が覆ることはないと言ってくれたのか
そんなにも両親のパンを評価してくれていることも落ち込んだミーシャを励ましてくれたことも何気なく2度も頭を撫でてくれたことも
怒涛の如く押し寄せてきた現実を受け止めるのにミーシャは多少の時間を要した
そして
「……っいたいぃぃぃ〜〜〜」
「ぁあ?ンな強く弾いてねぇだろうが」
「そうじゃない!ライがかっこよすぎて!胸がいたぃぃぃ〜〜〜〜っっっ」
「はぁ?」
極太の矢を受けた心臓が痛い
ライはそこに居るだけで魅力に溢れているというのにその整った口元から紡がれる言葉も何気ない仕草もミーシャを翻弄してやまない、もう一体どうしてくれるのだこんなことされたら到底仕事になんて戻れないではないかもうもうもうもうもう
「大好きッッッッッッッ!!!!!!」
気持ちが溢れた
抱えきれない想いを伝えるように再度ライの背中に強く抱き付くと一瞬力が入ったかのように硬くなった背中から「いてえっつうの」というぶっきらぼうな言葉が返ってきた
「ライったら!なんでそんなにかっこいいの!?」
「トチ狂ってねぇで仕事しろ」
「無理!!」
「ぁあ?さっきの客が嫌なら他の仕事してりゃいーだろ」
「ライにくっついてないと頑張れない!」
「阿保が。さっさと戻れ」
冷たく遇らうライだが決してミーシャを無理やり引き剥がすことはない
そんなライにミーシャは更に胸を高鳴らせ自分を包むこの想いが少しでも伝わるようにと更にギュウギュウと抱きつく腕に力を込めた