挿話・タイタリア
今回はタイタリア視点。
結婚前~結婚後です。
タイタリアにとって、従兄弟の自己犠牲的精神は心の底から嫌いだった。
エルマン伯爵家で親族会議が行われていた。
当主は病の為欠席しており、出席者は成人済みの伯爵家の人間だけだった。
議題は、当主の病による財政ひっ迫をどうしのぐか、ということ。
十数年前の不作の際は、蓄えを切り崩したことと、使用人の数を減らしたこと、当主があちこちと取引をしたことでどうにかしのぐことができた。
今回は肝心の当主が動けない。
当主の長男であるエミールが当主代行を引き受けるとしても、当主の病の治療のためには高価な薬が必要である。
そして当主の治療には長時間に渡ってその薬が必要だった。
「蓄えはギリギリなのよねぇ。一番手っ取り早く状況を改善するのは結婚ですが……私がどこぞに後妻に入るには条件が厳しいでしょう」
けろりとした顔でタイタリアの母ジェシカが言うと、伯爵家直系の二人は表情を暗くした。
この場にはジェシカとタイタリア、エミールとアーチボルトしかいない。
伯爵夫人は夫の看病に必死で参加する余裕がなかったのだ。
「タイタリア。貴女、どこかにいい人はいないの?」
「いるわけないでしょ。こっちはご奉公で必死なんだから。でも、必要なんだったら伝手を頼って結婚相手を捕まえて来ても――」
まあ、それは相手が好みであった場合のみだが。
そんな本音を隠したまま発言すると、男二人は猛反対する。
「駄目だ!」
「特にタイタリアは他家で奉公してるんだから、こっちの問題には巻き込めない!」
そっくりな双子の兄弟が身を乗り出してでも反対するから、タイタリアはその時一旦引き下がったのだ。
だが、その後すぐにタイタリアは深く後悔する事となった。
伯爵家次男のアーチボルトが莫大な援助金と引き換えにアークス侯爵家の一人娘の婿になると言い出したのだ。
「何でアーチボルト兄さんが家の為にそんな結婚しないといけないの!?」
聞いてすぐに休暇を取って伯爵家に乗り込むと、アーチボルトは悲壮な覚悟をした表情で告げたのだ。
「シエルのデビュタントは来年だ。学園には後二年通わなければ官僚への道さえも閉ざされる。イリスは学園に入学したばかりだ。父上の治療費の他に、弟たちの学費……賄うにはもうこれしかない」
「……そう。わかった。私はこれ以上何も言わないわ」
アーチボルトは自分の弟や妹の名を出して、必要性を説く。
何を言っても無駄だろう。
タイタリアは物わかりのいい振りをして引き下がった。
アーチボルトのこういう自己犠牲的精神がタイタリアは心の底から嫌いだった。
だから結婚式には仕事を理由に出ず、顔ももう見ないつもりだった。
ああ見えてアーチボルトは情に厚い。
どれだけ愛のない結婚でもいずれは相手に絆されるだろう。
しかし、人生は数奇なものだ。
アーチボルトが結婚式を挙げたその日に、奉公先の子爵家から解雇された。
事業に失敗して、王都の屋敷でさえ手放すことになり、仕方のない事だった。
雀の涙ほどの退職金を手に、タイタリアは翌日伯爵家に戻ることにした。
「タイタリア? どうしたのかしら、仕事は?」
ジェシカの元へ顔を出すと、難しい顔で何やら手紙を読んでいたタイタリアは不審げになる。
「あ、そうなの聞いて母さん! 私の奉公先の子爵家から放り出されちゃってさぁ」
タイタリアが己の事情を話すと、ジェシカは深くため息を吐いた。
「つまり、今貴女はフリーで動けるのですね?」
「え? もしかして職の当てがあるの?」
「アーチボルト坊ちゃまが、奥様のお世話をする相手をお探しよ」
ジェシカはそう言うと、読んでいた手紙を差し出した。
一体何を言い出すんだあの従兄妹はと思いながら、タイタリアは手紙を読むとくらりと目眩がした。
曰く、七日後に居を別邸に移す事とその理由、別邸の準備を整える人手と求人募集についてである。
理由はというと、侯爵家の一人娘であるところのハンナ・アークスは父侯爵に虐げられて育ったようだと。
つまり結婚してすぐに同情か何かで絆されてしまったのだろう。
しかし、これは式の翌朝すぐに色々と手配して届けられた手紙なのだ。
「絆されるって言っても早すぎない!?」
「七日で屋敷の体裁を整える人員と、求人をどうしようか迷ってましたが、タイタリア。奉公先の元同僚と連絡は取れる?」
「昨日の今日だし、取れるわよ」
タイタリアは頷いた。
子爵家で家令を務めていた男も職を追われたが、タイタリアは連絡先はばっちり手に入れていた。
無論将来勤め先に困った時にお互いにつてを頼るためある。
昨日職を失ったばかりの元同僚にとってはタイタリアの知らせは朗報になるだろう。
「それで母さんは手紙の通りにアーチボルト兄さんの所に行くの?」
「ええ。タイタリアも来るでしょう?」
便乗してアーチボルトに仕事を貰おうと思っていたタイタリアは笑った。
考えていたことはジェシカと同じだったのだ。
そして向かった侯爵家で出会ったアーチボルトの妻となった少女の姿はタイタリアにとって衝撃的だった。
年配の女性が着るような濃い色、しかも型遅れの社交に出る事を想定していないような衣服。
表情に乏しい顔は、情操教育など全く考えずに放置されて育ったのだと一目瞭然だった。
アーチボルトはそんな彼女に甲斐甲斐しく、同情とかではなく完全に陥落している感じだった。
恐らく彼女の環境はアーチボルトの心の琴線に触れてしまったのだ。
「アーチボルト兄さんったらハンナちゃんにべた惚れじゃないの!」
はじめて二人きりになった時に、ハンナにそう告げると彼女は不思議そうに首を傾げた。
まだ恋も知らない少女を、従兄弟はこれから口説き落とすのだ。
その苦労を思うと、アーチボルトが自己犠牲的精神で彼女と婚姻を結んだのを怒っていたこともどうでもよくなってしまった。
(これから楽しくなりそうね)
別邸へ移る日を翌日に控えて、タイタリアは荷物の準備をしながらこっそり笑っていた。
人員の手配は完璧だ。
元家令に連絡を取って、屋敷を一つ丸々世話する人手が必要だと募ったら元同僚が集ったのだ。
皆、すぐに職を得たことでタイタリアに感謝をしていた。
別邸に移ると、身分を隠して奉公していた手前、ハンナやアーチボルトとは気軽に話せなくはなるが構わない。
ハンナとアーチボルトのこの先を見たいのだから。
次回より舞台は侯爵家を離れた別邸に移ります。