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4.ハンナの勉強と侯爵

1000ブクマ到達ありがとうございます。

今日は別人物視点の挿話も続けて更新します。

 結婚の日より気がつけば五日も経過していた。

 三日目からはアーチボルトは侯爵に世話された仕事に出かけていくようになった。

 別棟に残されたハンナはというと、妙に忙しい毎日を送っていた。


「奥様、そこのステップは足をもう少し上げてくださいませ」


 ジェシカが同じ拍子で掌を打ち、リズムを作る。

 ハンナは言われるままにステップを踏む。

 そう、ダンスの練習であった。

 何故こんなことを始めたのかというと、ハンナのデビュタントの為だった。

 この国では女性の婚姻可能年齢は十六だが、社交界へのデビュタントは十七だと決まっていた。

 だからハンナは結婚した以上、社交に出る事もなくアーチボルトと跡継ぎを設けて別棟にずっと引きこもっているつもりだったので、その話を聞いた時にハンナはとても驚いたものだ。

 その世界に自分が入ることなんて考えてもみなかった。

 だから学園に通っていた時もダンスは基本を習っただけで。

 会話も相手に相槌を返すだけだった。


「奥様、軸が右にずれておりますよ」


 タイタリアの腕がハンナの体を左に寄せる。

 ダンスの練習相手は何故かタイタリアだった。

 なんでもタイタリアがまだ幼い頃に夫を亡くしたジェシカはそのまま実家に身を寄せたのだという。

 それからアーチボルトやその兄弟とよく遊んで育ったのだという。

 伯爵家は末っ子の妹が生まれるまでは男の子しかおらず、タイタリアは男性のステップを遊び代わりに覚えたらしい。


「今日のレッスンはここまでです。旦那様がお帰りになりましたら、今日の成果のおさらいをいたしましょう」


 当然だがタイタリアとアーチボルトでは体格が違う。

 そのため実際に踊るとなればアーチボルト相手だと勝手が違うのだ。

 それを修正する為に、レッスンの後にアーチボルトと踊ることになっていた。

 ハンナにはこの生活が不思議でならない。

 こんなはずではなかったのに。

 思考がぐるぐるとする。

 ではどういう生活を想定していたのかというと、結婚前と変わり映えのない日々だ。

 そこに子作りという義務が加わるというだけで。


「さて、お召替えをしてお茶といたしましょう」


 教師役のジェシカの言葉に、ハンナは一礼してタイタリアと退出する。

 ジェシカの目の届かない場所に行けば、タイタリアはしおらしくしていたのが嘘のようにパッと表情を変えた。


「じゃあ、ハンナちゃん。着替えどうしようか?」


 この近い距離にはハンナはまだ慣れない。


「淡い系のドレスは今のうちに着た方がいいのよねぇ」


 自室に戻るまでタイタリアはハンナの姿を見ながらうんうんと唸っていた。

 そして自室に戻ったハンナは姿見の前で色々なドレスを着せられる。

 ハンナはなんだか自分が着せ替え人形にされた気分だった。

 両手から少し余る程度だった衣装の数は、気がついたら増えていた。

 それも、結婚するまで着ていたような濃い色の布地ではなく、淡い色合いの華やかな布。


「よし、これでいこう! 可愛いよ、ハンナちゃん」


 選ばれたのは淡い黄色を基本に、花や鳥が目立たぬように刺しゅうされたドレスだ。

 タイタリアがようやく衣装を決めた時、ハンナは疲れてしまっていた。

 これからお茶の時間だというのに。

 お茶の時間と言ってもただお茶を飲むだけではない。

 社交界にデビューした後には、次期侯爵夫人としてお茶会を主宰することも、参加することもあるだろうということで始まった勉強なのだ。

 何よりもハンナが不得手な事――つまり社交のお勉強。


「……」


「大丈夫よ、ハンナちゃん。まずは慣れだから。今は相槌を打つだけでいいから」


 着替えの俯いて無言のままのハンナにタイタリアが言う。

 そう、社交の勉強であるならば会話の相手が必要だ。

 当然、この別棟ではタイタリアしか務まらない。

 ジェシカは相変わらず教師役だ。

 このお茶の時間もまだ数日だが、ダンスのレッスンよりもハンナは苦手意識を抱いていた。


「ほら、いきましょ。母さんがばっちり準備を整えていると思うし」


 促されるとハンナは頷くしかない。

 拒絶するという事を知らないから。

 ハンナとタイタリアが先ほどまでダンスのレッスンに使っていた部屋に戻ると、部屋の中央のテーブルとティーポットとカップがセッティングされていた。

 そしてお茶請けにはクッキーが小皿に盛られている。


「タイタリア、一分ほど遅刻です。もう湯を注ぎました」


 ジェシカは手元の時計に視線を落とし、娘に宣告する。


「あちゃー……ちょっと着替えに夢中になりすぎました」


 タイタリアが素直に頭を下げる。

 スッと目を細めたジェシカは、タイタリアをそれ以上叱ることなく席へ促す。


「そうそう、先ほど侯爵様の先触れがありました。私たちが奥様に何をしているのか気になるのでしょう」


 二人が着席してからジェシカは告げた。

 ハンナは父の事を聞くと反射的に肩を震わせてしまう。

 きっと勝手な事をしていると言うだろう。

 それに、服のことだって。


「侯爵様との会話は私が行いますので、奥様もタイタリアも何も答えませんように。よろしいですね?」


 タイタリアは不満げだったがジェシカの強い視線に圧されて、すぐに取り繕ったすまし顔になった。


「それから、奥様は侯爵様へ私が述べることはでたらめですので、何も信じませんように」


 ジェシカは父侯爵へ一体何を言うつもりなのだろう。

 ハンナにはそれがわからない。

 混乱しているハンナの前に十分に蒸らされた茶葉から抽出された紅茶を注がれたカップが置かれる。

 タイタリアの会話も右から左に抜けていくようで、心はここにはない。

 機械的に相槌を打って、カップを傾ける。

 カップの中身とクッキーがいつの間にか半分に減っていた。

 ただひたすら不安しかなく、やがで侯爵の訪れが告げられて、反射的にハンナは立ち上がっていた。


「侯爵様。本来は玄関でお出迎えせねばならぬところを、こちらまでおいでいただき恐縮の限りでございます」


 ジェシカの謝罪のような一礼には一瞥もせずに、侯爵はカーテシーをしたハンナを見ていた。

 いつもの冷たい目が、品定めをするかのように。

 侯爵が連れてきた侍従たちはそっと扉の脇に控えているだけ。

 緊張感がはちきれんばかりに、部屋を覆い尽くした。


「お前は一体何を下らんことをしている?」


 詰るような声にハンナは視線を伏せる。

 いつもそうだ。ハンナは父の目を直接見れた試しはない。

 ハンナは答えない。ジェシカの言いつけもあったが、父の前では何を言っても無駄だ。

 沈黙がその場を支配する中、ジェシカがそっと口を開いた。


「侯爵様。恐れながら、私に発言する許可をいただけないでしょうか?」


 ジェシカの言葉に、侯爵の意識が控えていたジェシカにようやく向いた。


「お前は確か婿殿が伯爵家から呼び寄せた侍女だったな。――発言を許可しよう」


「ありがたき幸せにございます。私は伯爵家にてアーチボルト坊ちゃまのお世話をしておりました、ジェシカと申します」


「なるほど、婿殿の乳母といったところか」


 確かにジェシカは先ほどハンナに告げた通りにでたらめしか言っていない。

 それを聞いた侯爵はなにやら都合の良いように解釈しているようだ。


「私は坊ちゃまより奥様を坊ちゃま好みに教育するように仰せつかっております。ただいま奥様には紅茶の味を覚えていただいております」


「……ふむ。婿殿の趣味か」


「左様でございます。伯爵家の領地は茶葉の産地でもあります故、坊ちゃまは幼少の頃より紅茶を嗜んでおります」


 ジェシカは侯爵の問いに粛々と返答する。

 ハンナはこれまで己の父と長く会話する人間を見たことがなかった。

 自分に向けられる言葉も一方的で、ハンナが返す言葉も肯定の意しかなかったのだから。


「その服もか」


「はい。全て坊ちゃまの意向を聞いて揃えさせていただいた衣装でございます。坊ちゃまと奥様の婚姻には跡継ぎは不可欠でありましょう? 坊ちゃま好みに奥様がお育ちになれば、恐らくすぐに跡継ぎを授かりましょう」


 ジェシカの長い言葉に、侯爵は何も言わなかった。

 ハンナが伏せた視線をちらりと侯爵へ向けると、顎を手で撫ぜながら口元を歪めて笑っている。

 これは何か満足する返答だったのだろうとハンナは悟って再び目を伏せた。

 その後少しジェシカと言葉を交わした後、侯爵はハンナに言葉を掛ける。


「早く婿殿好みの女になるように、な」


 そして侍従と共に部屋を去った。

 これ以上用はないと明確に告げるかのように。

 侯爵が去った後、部屋内の緊張感も解けてハンナは脱力した。

 今まで経験した中で一番疲れた面会であった。


「何あれー……何となく聞いてたけど最悪じゃない」


 タイタリアのぼやきを、厳しいジェシカも今回ばかりは咎めようとせずため息を吐いた。


「これは旦那様がなるべく早く侯爵家から離れたくなるのも納得です。奥様にとって害しかありません」


 ジェシカが低い声で呻いた後、冷めてしまったテーカップとポットをいったん下げてすぐに新しい紅茶を淹れだした。


「さて、奥様は先ほどの侯爵様の発言を忘れてくださいませ。全て、紅茶で流してしまいましょう」


 新しく紅茶が出され、お茶の時間は再開された。

 しかし、侯爵が来る前の社交的な会話は再開されぬまま、ただ時間だけが過ぎていった。

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