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1.結婚初夜

週1か週2ぐらいで更新して行きます。

よろしくお願いします。

「『旦那様』ではない。『アーチボルト』だ」


 外はとっくの昔に陽が暮れて、星々が空を彩っていた。

 部屋の中には最低限の灯りが二人の影を壁に映し出している。

 ハンナ・アークスは初夜を前にして困り果てていた。

 こんなに困ったことなど人生初である。

 硬質に見える銀髪を後ろに撫でつけた男が、熱を瞳に乗せてハンナを見つめていた。

 何だか胸がざわめいて落ち着かなかった。

 男の見目は多分良い部類に入るのだろう。

 薄手の夜着に身を包んだ男の体は逞しい。

 今まで他人の美醜を気に掛けたことなどなかったのだが。


「そうはおっしゃいましても……貴方は旦那様ですし……」


 正直に胸の内を零してしまう。

 家族とは冷たいものだ。

 使用人にも腫れ物に触るかのように、監視されるかのように、屋敷から隔離されて別棟で育った。

 結婚してもそれは変わらないだろう。

 それ以外をハンナは知らない。


「ハンナ、頼む。()()()()()()()()()()()()()、そんな寂しい事を言わないでくれ」


 こんなことは想定外だ。だって、これは父の決めた政略結婚のはずで。

 半ば現実逃避のように、ハンナは結婚が決まった日の事を思い出した。


 ***


 ハンナによく似た栗毛の髪の男は、執務室に娘を呼びつけて告げた。

 彼女の人生の行き道を決定づける言葉を。


「お前の結婚相手が決まったぞ。エルナン伯爵家の次男だ」


 侯爵である父の言葉にハンナは無言で頷いた。

 普段は領地で仕事をして、滅多に王都の屋敷には寄り付かないというのに、来たと思えばこれである。

 否と唱える権利などハンナは生まれた時から持ち合わせていなかった。

 女として生まれ落ちた瞬間から、彼女にはほんの微かな祝福さえ与えられなかったのだ。

 ハンナを産んだ母は、我が子を一度も抱くことなく、そのままあの世に旅立った。

 跡継ぎたる男児を求めて父は何人も愛人を囲ったが、とうとう誰も身籠らず、ハンナの婿が次期侯爵となることとなった。

 つまり、父にとってのハンナは次代を産むためだけの道具なのだ。


「せいぜい励んで跡継ぎを作るといい。幸いにもエルナン伯爵家は子だくさんの家系だ」


 婿入りする相手の事も道具扱い。

 これが父の在り方だ。

 ハンナは道具のように扱われることに慣れていた。

 令嬢として最低限の教育と、作業のような日常。

 だから結婚に夢も希望も抱いてなどいなかった。

 人生という作業の中で、結婚をして子供を産んで朽ちていく。

 そのことに何の疑問も抱かない。


「かしこまりました、お父様」


 恭しくカーテシーを行い、ハンナはその場を辞去した。

 あの父の事だ。すぐにでも手続きを行い、最短で結婚させるだろう。

 それでもこの人生が変わるとは思っていなかった。


 ***


「夫婦として、君には歩み寄っていきたいんだ」


 熱心に迫る声にハンナは我に返った。

 いつの間にか吐息が掛かるほど、夫――アーチボルトの顔が近くに迫っていた。


「な、何のお話でしたか? 旦那様」


「その呼び方だよ。政略結婚とはいえ夫婦になったのだから他人行儀に『旦那様』と呼ばずに、名前を呼んでほしいんだが……」


 頬に彼の指が触れる。

 それが何だか熱いように感じてハンナは肩をびくりと震わせた。

 怖いわけではない。そうではないのに、何故。


「あ……」


 何かを答えようとして、その瞬間に扉の方からカタッと何か物音が響いた。


(ああ、お父様から監視を仰せつかったのね)


 恐らく扉の外にいるのは父の侍女。

 上手くハンナたちが初夜を迎えるのかを確かめに来たのだろう。

 こういった監視に慣れているハンナは無視を決め込んだが、アーチボルトの方はそうではなかった。


「はあ……」


 大げさにため息をついて、アーチボルトは扉に向かう。

 ハンナは呼び止めようとは思わなかった。

 自分の意思で何かをしたことはない。多分これからもそんなことはないだろう。

 ぼんやりと扉に向かったアーチボルトの背中を見ていると、扉が開く音が静かな寝室に響いた。

 その向こうでは侍女が息を呑む気配があった。


「見張りのつもりか。侯爵には義務を果たすから見張りは不要だと伝えてくれ」


 先ほどとは全く違う冷たい声が侍女に向けられた。

 この声の落差はどこから来ているのだろう。

 よくよく考えると初めての顔合わせの時もアーチボルトはこんな感じだった気がする。

 ならば、彼の態度が変わったのはいつからだったか。

 結婚式の時には、もう既にその瞳にはハンナへの熱が籠っていたような気がした。


「いえ、私はそのようなつもりでは……」


「……義務は果たす。君は下がっていてくれ」


 何故こんな問答が繰り広げられてるのかハンナにはわからない。

 見張りがいるのは普通ではなかったのか。

 ハンナが何も望まぬように。ハンナの生き方を固定するように。

 しばらくすると侍女が下がった気配がして、扉が静かに締められる。

 これで正真正銘の二人きりだ。


「えっと……」


 落ち着かなくてハンナは視線をうろうろと彷徨わせてしまう。

 二人で並んで寝ても余りある大きなベッドと、ゆっくりハンナの方へ戻ってくるアーチボルトと。

 大人しく夫のすることに身を任せる。

 閨の心得としてそう教わった。

 だからそのようにしようと思ったが、いざその時が近づくと体が固まって動かない。

 アーチボルトがハンナの手を取る。

 ハンナの小さな手を包み込んだ手は温かくて、とても大きい。

 何だか鮮烈な何かが胸の内を穿ったような気がした。


「ハンナ、そろそろベッドに行こう」


「えっと……はい……」


 アーチボルトの手に引かれ、進もうとした足は動かない。


「……あら?」


 一歩を踏み出そうとしても震えた足は動かなかった。


「緊張しているようだな。大丈夫か?」


 ぐいっとアーチボルトはハンナの手を手繰り寄せる。

 するとハンナの体はバランスを崩し、アーチボルトの体にもたれかかるように倒れ込んでしまった。

 薄手の夜着同士、密着すると熱が布越しに伝わってしまう。


「……細いな」


 ため息を吐くようにアーチボルトはそんな事を呟いて、ハンナの背を撫でた。


「細い女は、お気に召しませんか……? 旦那様」


 くすぐったさに反射的に身をよじらせると、アーチボルトはハンナの耳元に囁くような吐息を吹きかける。


「アーチボルトだ。これからはそう呼んでほしい」


 これで何度目のやり取りだろう。

 ハンナが反論しようと口を開くと、合わせるようにアーチボルトに口づけられた。

 逃げられないように腰と首に彼の両手が巻き付いていた。


「んっ……んーっ!」


 呼吸が一瞬止まった。

 結婚式の時の触れるような一瞬の口づけとはまるで違う。

 苦しくて、苦しくて。逃れようとアーチボルトの胸板を叩くが、逞しい彼の体はびくともしない。


 ――初夜は旦那様に全て身を任せますように。


 そんな侍女からの言いつけが頭をよぎることもなく。

 深く口づけられ、舌を絡められて、呼吸なんてできるわけもなく。

 思考が真っ白になった後、気がつけばアーチボルトの腕の中で荒く呼吸を繰り返していた。


「すまん。つい夢中になった」


「あ、あの……いま、のは……」


 激しく上下する肩を宥めるように、ハンナの背をアーチボルトが撫でていた。

 呼吸が整うまでしばらくぼんやりとアーチボルトに身を任せていたハンナはふと我に返る。


「す、すみません……だ――」


 旦那様と呼びかけようとしたハンナの言葉に被せるように、アーチボルトが素早く口を挟んだ。


「それ以上言うとまた君の唇を塞ぐ」


「え……ええっ!?」


 どうしてそうなるのかわからない。

 夫となる人は旦那様だ。そう呼ぶのが正しいのに。

 ハンナが狼狽えてアーチボルトから離れようとするが、背に添えられた彼の手がそれを許さない。


「そろそろベッドに行こう。もう我慢が出来ないんだ」


「え? ええ……そう……ですね……」


 とはいっても、もう足が震えて一歩も動かない。

 それに気づいたのかアーチボルトは口元に微笑みを浮かべて、ハンナの腰を支えて器用に横抱きにする。


「あの……ちょっ……」


「君は何も考えなくていい。ただ、私に身を任せてくれないか?」


 ベッドに優しくハンナを横たえて、アーチボルトはベッドに乗り上げた。

 ハンナは彼から目を離すことができなかった。

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