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レイの星話-序章- 

作者: 赤津雅人

「これは、太陽系経由・天の川銀河系・宇宙営線三十三です。」


レイの目の前に立つのは、烏の様な真っ黒なマントを着る少女。小学生の様な体つき。それに反する様なしっかりとした口調である。


「間違って乗車してしまった事は仕方ありません。こちらへどうぞ。」


少女は向かい合わせの座席に案内する。列車は一昔前の木造。他に乗車している人はいない。そのため、少女が木造の床を踏むたびに床がギシギシと音を立てる。窓をのぞけばもう一面の星だった。星座は何が見えるだろうと探せる量ではなかった。そして暖房がついているのか、暖色系の照明のせいだろうか、ほんのり暖かい。真冬の丘にいたため、厚着をしていたレイは赤いマフラーを緩めた。


「どうしました?この列車は古いので揺れますよ。」


座席の間から少女は顔を出す。レイは小走りで席に座る。夜の森の様な深緑の座席。背もたれは感じたことのない柔らかさだった。このまま沈んでしまいそうだった。


目の前に座る少女はつま先を床に着け、座席の真ん中に背筋を伸ばして座る。大きな白いリボンを留める胸元にあるバッジは、凝縮された宇宙の様に輝いていた。前髪をすべて後ろに回し、はっきり見える瞳も同様だ。


「人間?」

「いえ、違います」


重ねて答えられる。レイは予想通りのことであったため、驚きはしなかった。


「自己紹介しましょうか。 僕はこの列車の車掌、アルリシャです」

「アルリシャ? うお座の星にあるやつだ」


アルリシャは意外な返事に一瞬、止まる。


「よくご存じですね。 僕の産まれです。 貴方のお名前は?」

「星野レイ」


アルリシャは軽くうなずき、レイに聞きたいことはないかと尋ねた。


「外を見る限り、地球から離れて行っているけど、俺は地球に戻れるのか?」

「大丈夫です。 次の停車駅である月で、逆方向の列車に乗り換えましょう。早くても地球時間の夜明けになってしまいますが、ご了承ください」


会話の間で沈黙になる。沈黙の間、アルリシャは星のような目でレイを見つめる。


「レイ、貴方はやけに落ち着いていますね。 この列車の存在を知った人間は他にもいましたが、パニックになったり、『さっさと下ろせ』と怒鳴る人もいました」

「こういう銀河を走る列車は色々な物語があるから。 未知なものは好きだ」


レイは窓に肘をかけて彼方に見える月を見つめる。古い列車。丁寧な車掌。アルリシャの見た目を除けばいたって普通な対応であった。


「この列車、宇宙を走っているのだろ? 窓も開いているし、空気や重力は?」

「宇宙営の列車はすべての星を回ります。 つまり環境の違う生物が乗るのです。 そのため、一両ごとにその生物に適した環境が用意されます。 窓が開いていても空気の変動が起きないのは、レイの体はこの列車に依存しているのです。 小指一本でも車内に残っていれば、胴体が宇宙空間に出ていも大丈夫です。 だから、車両変更は車掌の許可なしではできません」


アルリシャは外を見て話を続ける。


「何故、レイはあの人気のない暗い丘にいたのですか?」


列車に乗る前、レイは街はずれの丘で一人、星を見ていた。天体観測というほどでもない。望遠鏡を担いだわけでもない。ただぼうっと空を見ていたのだ。視界の下に見える街明かりが邪魔なほどに明るいと感じつつも、レイは空を見ていた。この列車が木々の間に停まっているのを見かけ、どこに行くのかという興味だけで乗ったのだ。何かに襲われる、怖いなどとは微塵も感じていない。レイの心にあったのは、いつもの場所から離れることだけだった。


「一人で出歩くのが好きでな。 何となく。 何となく」

「見た限り、まだ成人していませんよね? 親や学校は?」

「一三。 親は別に。 学校は…ちゃんと行っている」

「年の割には大人びていますね」


低い声、整った顔立ち、高い身長にしっかりとした体つき。レイは明らかに年齢とかけ離れている。未知の事に出会っても何も反応せず、静かに座っている。そんなレイにアルリシャが優しく微笑む。レイは自分の事を変に思わないアルリシャに少し戸惑う。


「よく言われる」


 レイはそれ以上答えなかった。アルリシャは察したのか共に外を見ていた。


 線路を走る音は聞こえない。錆びた車輪が回る音だけが聞こえる。それ以外は何も聞こえない。地球から遠く離れたというのにレイは寂しくなかった。むしろ解放された気分でいた。何も無い宇宙。自身に文句を言う人も、馬鹿にする人もいない。目の前にいるのは優しく微笑む少女。いや、少女なのだろうか。確かに体つきや見た目は少女でる。しかし声が明らかに少年だった。一人称も〈僕〉であり、先ほどから疑問になっていた。しかし聞く必要性はないとレイは無視していた。


「そろそろ着きますよ」


 レイはうつらうつらとしていたが、ハッとして列車の進行方向を見る。月はもう目の前だった。白く、とても白く輝いている。アルリシャも外を覗く。レイはすぐ目をそらした。眩しくて目が痛かった。地球から眺めていた月も眩しかった。レイはいつも月から目をそらしていた。綺麗かと問てくるアルリシャにうなずくも、結局は見ていなかった。


「さて、降車準備しましょう」


 アルリシャは小さくジャンプをして椅子から降りた。ポケットからとても複雑な形をした鍵を取り出す。その鍵は金色で、それ一つが美術作品の様に美しかった。持ち手には王道十二星座であるうお座のアストロロジカルシンボルが描かれている。


アルリシャとレイは降り口前で待つ。アナウンスも無く、列車は荒々しく停まった。レイは体がよろけるが、傍にあった手すりに掴る。アルリシャは普通に立っていた。

 完全に停まったことを確認し、アルリシャはドアにカギを通す。ガゴンと鈍い音がした。とても重いドアをアルリシャは全体重をかけて開ける。


大きな段差を小さい体はふわりと飛び降りていった。レイは慎重に降りようとした。するとアルリシャが手を差し伸べる。小さな手である。爪は宝石のように輝き、肌は雪のように白い。レイの冷え切った手で握ると、春のように温かかった。そしては引っ張られるようにホームに降りた。


ホームは屋根に付いている白熱灯が足元のコンクリートを照らしていた。重力も存在している。周りを見渡すも改札も何もなく、ただ月の地面が広がっていた。宇宙営と言うからレイは想像しない駅だと思ったが、普通に地球にある駅の様だった。むしろ少し古い時代の、壊れかけの駅だ。狭いホームの向いに乗ってきた列車と、同じ系統の列車が向かい側の遠くに見える。ホームは白く、足元から光。地球と同じく寒い。レイは緩めていたマフラーを締めた。


「他に乗客はいないの?」



 列車から降りたのはレイとアルリシャだけだった。後ろにも前にも生物がいる影は見えなかった。生物がいる雰囲気は全くしない。地球には草木があり、空気もある。そのため何かしら生命を感じるが月は全く感じさせないのだ。風景の遠近感もない。ただ広がる白い地面、雑音も全くせず、アルリシャとレイの声だけが響かず聞こえる。


「殆どの生物はさきほどの地球で降りますから。 加えて各駅停車ですし、乗っている方は少ないです」


ベルが柱の拡声器から流れる。その音はノイズまみれで壊れかけのラジオみたいであった。発車ベルと言うよりは何か焦りを感じる音だ。


「さて、乗り換えましょう」


 再び同じ景色になる。車輪の音だけが響き、柔らかい椅子に座る。

 今度は地球に向かって行く。写真で見る青い地球。レイにとってはとても心躍らないことであった。いつもの場所に帰るのと同じ感覚であった。


「アルリシャ、俺は無断乗車になるのか?」


 間違って乗り、今までに乗車料を払っていないとレイは不安になった。この一言を言うだけでもレイの喉元は熱かった。しかし、アルリシャは優しく答えてくれた。

「ふふっ。 まじめですね。 大丈夫です。この宇宙営線は乗車料がありません。無償です。人間でいう税金で動いているようなものです」


 レイはほっと胸を下ろし、外を見る。地球ではなく、遠くの星々を見ながらレイは転寝をした。何も圧をかける者はなく、宇宙空間と言う無に近い場所で目を閉じる。怖くも寂しくもなかった。初めて、ここにずっといたいと感じていた。居心地の悪い椅子なんて気にはならなかった。錆びれた車輪の音、軋む床、冷えることない体、温かい声、何もかも泣きたくなるくらい心地いいものだった。橙色に照らす白熱電球は眠を誘う。ここでなら死んでもいいと思えるくらいに。


「レイ、着きますよ」


 アルリシャはレイの肩を叩き、鍵を取り出す。


「なぁ」


 わがままかもしれないと、尋ねるのを一旦躊躇したが我慢できず、レイはアルリシャに声をかける。


「この列車にまた、乗りたい」


 アルリシャは初めて声をかけられたのかと言うくらい笑顔で答える。


「そうですか! 僕はこの列車の車掌なので、また同じ時間に丘にいらしてください。 お声掛けいたします。 一人だと寂しくて」


 先ほどの月より眩しい笑顔である。質問した方が恥ずかしくなるくらいに嬉しそうであった。レイは見る気もなかった見慣れた朝焼けの街に目をそらした。



*******


 昼であるのに寒い。赤いマフラーに厚めのPコート、心の芯まで冷える。レイは痛んだ手を擦りながら帰宅していた。平日の住宅街のせいか、誰一人すれ違わない。遠くにある学校のチャイムが微かに聞こえる。白くなる息が視界を曇らせる。見上げる空は今にも雪が降りそうだった。早く帰って、温かい部屋に籠りたいと小走りになる。しかしうまく走れなかった。靴は汚れ、傷だらけである「嘘つき」「偽善者」などと重ねられた言葉で黒くなっている。破れたところからい空気が絶えず入り、温かくしてもレイは冷えてしまっていた。


 レイは悴んだ手で氷のように冷たい鍵をバッグから取り出す。家のドアも心地よく触れるようなものではなかった。大きく立派な和風の古い家が余計にレイを圧迫している。勢いよくドアを開けてもトンネルのように木霊した。

平日の昼間、もちろん誰もいない。玄関に入るといつも目に付くのが家族写真。偉大な父母、優秀な兄妹、そしてレイ。レイはこの写真が好きだ。自分の事を気にかけてくれる家族。自分もそれに答えるために家族を愛している。しかし、レイは自分の靴を見て我に返る。黒ずんだ靴を置かずに鞄にしまう。代わりの靴を棚から出して置いた。


きれいなリビングにある食事をする机にはいつものように置手紙と冷めた料理が置いてあった。副菜もちゃんと考えられたバランスのあるご飯。レイはこれが楽しみだった。あえて冷えたままで食べていた。いつもと同じ文章の手紙も一字一句きちんと読んだ。


「ごちそうさまです」


食器を洗い、棚に戻す。ギシギシと鳴る廊下を冷えた足で踏む。リビングのすぐ近くに、レイの部屋はある。一人にしては大きい。部屋には座布団と机が窓際に一つ。その隣に高い本棚。それ以外は何もなかった。しかし一つだけ大きく普通と違うのが、壁一面に広がる鏡。レイは汚れているバッグから、大切に包んだ扇子を取り出した。濁りのある金色の扇面。一部は今日も衰えることなく窓からの光を反射する。電気もつけず、薄暗い部屋の中で唯一輝くものであった。レイは靴下を脱ぐ。豆だらけの足は硬い畳のざらつきでこすれる。痛いと感じつつも、それがレイの在り方だった。鏡の前に立ち、自分を見つめる。短い髪の毛に、大人びてしまった目つき。子供の可愛らしさは微塵も感じず、いるのは豆まみれの手足をするレイだった。


「始めます」


習った通りの舞をする。尊敬する父が唯一教えてくれた舞。”美“を追求する父が基礎として教えてくれた。しかしレイは上手くできなかった。と言うよりも兄が優秀すぎた。そして妹は幼くしてこの舞を物にした。レイは教えてもらった通りにしかできなかった。いつもそうだ。言われたとおりに物事をこなし、言われたとおりに動く。これがレイの“美”だった。誰にでも優しくありたい。だからレイは例外が出来なかった。父の言う“美”を見つけるために、レイはひたすら優しくあり続けた。それが、舞を続ける理由でもあった。父を安心させるために。


誰も邪魔しないこの空間がレイには堪らなく好きであった。無心になれる唯一の時間。来る日も来る日も同じ動き。それはレイを裏切らなかった。答えてくれていた。レイの思いを聞いてくれた。

気づかぬうちに外が淡い藍色の闇になっていた。息が上がり、痛みなどとっくに忘れていた。レイはいつもの赤いマフラーをして外に出る準備をする。綺麗な靴を履き、扇子もズボンに挟み、温まった手でドアの鍵を閉める。いつも以上に火照った体で丘のほうに走っていった。


 丘を登るころには星がちらちらと光り始めている。先日の時間より早く。いつものように意味をなさないロープを超え、レイは草の生い茂る地面に腰を下ろした。た目の前には何度も人が昇った形跡の有る金網。その先は輝く街が見える崖。カラフルに輝く街。今日も人々は誰かと共に、又は誰かを思いながら過ごしていることだろう。金網には「貴方を思っている人が必ずいます」という張り紙がある。日焼けでもうほとんど見えない。レイは自分の荒れた手を横目に、背中も地面につける。レイは夜まで時間があるなと思い、少し目をつむった道から外れたこの場所に明かりなどなく、人気は尚更いない。


「レイですか?」


はっと振り向けば、あの青色の目バッチが木陰で一等星のように輝いていた。


「まだ昨日の時間じゃ」


アルリシャは木陰から離れず、優しい顔で答えた。


「この時間も地球で停まります。 周回してまた夜に来るのです。 どうします?早いですけど乗りますか」


金色に輝く鍵を取り出し、手まねく。アルリシャは変わらず笑顔で迎えてくれた。レイは木陰に走る。少し木をよけて進めば列車の扉が待ち構えていた。白熱灯で光る車内が見える。アルリシャに手を引かれて乗車する。昨日と同じように柔らかい椅子に向かい合って座る。


「今日は時間がある上、急行電車ですから金星くらいまでなら一晩で行けます」

「じゃあ、そうする」


赤いマフラーを緩めてレイは背もたれに体を預ける。アルリシャは変わらず星のような瞳でレイを見つめる。


「アルリシャ、あの鍵見てもいいか」


レイは曇りの外を眺めながら問うた。アルリシャは体を張り、息を吸った。レイはその表情を見ていなかった。地球から遠ざかり、星一面になる。時計も日も、草木の自然もないこの場所で時間の感覚は掴めなかった。瞬き程度の時間にしか感じられない。レイはアルリシャの言葉の飲み込みすら気づかない時の感覚だった。


「いいですよ。丁重に扱ってくださいね」


金色の鍵を一つ、アルリシャは大切そうに見つめレイに差し出す。レイは鍵に見惚れていた。誰が見ても地球上の物とは思えない美しさ。傷汚れが一つもない鍵は、二人の顔を綺麗に反射させた。天井の白熱灯を取り込み目に染みるほど輝いていた。レイは綺麗と思いつつも少し目をそらす。微かに見えた鍵の頭にはアストロロジカルシンボルはうお座ではなく、おとめ座になっていた。


「今日の車両はそのマークです。また乗るときには別のマークでしょう」


アルリシャは前触れもなく答えた。違和感を覚えたレイはすぐに鍵を返した。一言礼を添えて。

 アルリシャは何も気にしなかったが、レイは鍵に触れたことを心苦しく思っていた。本当に触っていいものだったのだろうかと。


「他にレイは僕に対して何か聞きたい事はありますか」


アルリシャは深く座り、足をゆらゆらと揺らす。


「どうして俺をまた乗せてくれたんだ」

「ずうっと同じ風景。変わらない車内。 たまに誰かが来てもまともに話せる相手なんて来ませんね。無料だから変なのが多いですから…」


悲しそうな笑みを見せてアルリシャは下を向いてしまう。レイは再び申し訳ない気分になってしまった。


 そんなレイをアルリシャはわかっていた。悲しそうな顔をすれば悲しそうに、嬉しそう顔をすれば嬉しそうにする。レイはどうしようもなく年に合わない素直さを持っていると。そして会話をすればするほどこの仕事をしてよかったと思う。心の中で初めての安心と、優しさを感じていた。それに甘えて一緒にいる。


「なので、まともに会話できる人と出会うのは初めてなのです。 聞きたい事も沢山あるのです」


 嬉しそうに足をパタパタさせる。レイが見たアルリシャの子供らしさはこれが最初だった。

「では始めに、何か大切にしているものってありますか?」


こんな突拍子な事を言ってもレイは答えた。コートの内側に入れていた扇子を袋ごと丁寧に渡した。アルリシャは受け取ると見せかけ、静かに声を出して笑った。


「駄目ですよ。 そんなあっさりと他人に大切なものを渡さないでください。もっと小さい子でもそんな事はしませんよ」


レイはそれでも扇子を仕舞わない。むしろ何が可笑しいのかわかっていない様だった。


「アルリシャは鍵を見せてくれたじゃないか。 車掌にとっては大切なものだろ。 なら俺だって大切なものを見せないと釣り合わないだろ」


アルリシャは目を丸くした。あぁなんて人だろうと。鍵を渡したのはレイから悪を感じなかったためである。レイはアルリシャのことを全く疑わない。信頼しきっていた。アルリシャはこんなに信頼されることが初めてであり、答えに戸惑う。


「いえ、その、貴方は人を疑わなさすぎです。 僕がもし車掌じゃなく、盗人だったらどうするつもりですか」

「疑うのはいけないことだろ。 アルリシャは自分が盗人だと言っていない」


迷いのない声と目であった。星野レイという人物がどうであるかは聞くまでもなかった。アルリシャは唇をかむ。自分が記憶した生物に疑わない物などいなかった。誰しも自己に危機が迫れば疑いを持つ。あって間もない相手に大切なものを見せてくれと言われたのならば疑わないはずない。レイはためらわない。「レイ」と名前を呼ぶがアルリシャは続きが出てこない。レイは静かに待っている。嫌な顔もしぐさもしない。

 電車のブレーキ音が間を埋める。アルリシャは何も言わずに出口の方へ歩いて行った。レイも同じようについて行く。駅は月の時と変わらず、屋根と足場だけであった。金星は気温が高いはず。しかし、月と同じく冷たい。駅だからだろうか。


「少し、散歩しますか?」


アルリシャが手を差し伸べる。しかし、機械的であった。今までの笑顔ではない、作りの笑顔だった。


「僕に振れていれば大丈夫です」


その言葉と表情を疑いもせずにレイは手を握る。小さな手。それでもレイはしっかりと握った。

 駅から離れる。アルリシャの手を握っているお陰か、息も吸える。触れる気温も大気も地球と変わらなく感じる。


「レイ、怖くありませんか?」


 周りは何もない岩と砂。黄土色の世界と厚い雲に覆われた空。微かに太陽が光っている。


「アルリシャがいるから大丈夫」

「僕のこと信用しすぎではありませんか? 今、手を放して死んでしまうのは貴方ですよ」


アルリシャとレイは顔を合わせない。握った手だけが互いの気持ちを感じさせる。


「手を離したなら、俺はそこまでの話だ」

「座りましょう」 


足を止め、アルリシャは強引に座る。腕が触れるか触れない位置に二人は並ぶ。岩が伝わる。レイは口を開かなかった。たった今、死んでもいいと思える言葉をアルリシャに伝えたが、レイは何も言えなかった。


「何か、悩みがあるのですか?」

「・・・“美“とは何だろうか。 “美”は父の口癖だった。俺は父を尊敬している。 だから父が探す”美”を俺も探したい。 しかし、わからない。 何が”美”なのか」

「では、“美”という概念について、僕なりの意見を述べましょうか?」


レイはこちらを見ていたアルリシャの目を見る。アルリシャは握っていない手をゆっくりと動かす。そのまま優しく人差し指でレイの左胸に振れる。


「奪う事です」


レイは瞼一つ動かさない。真剣にアルリシャの言葉を飲み込む。


「物であろうが、土地であろうが、星であろうが、命であろうが」

「あの列車もか?」

「もちろん。 当然です。 その所有者が怒りを僕に向けるまで奪い続けます。 あの列車は乗客に最高の心地よさが提供されます。 それは奪うという悪に対して、善からの転落が得られる最高の場です。  命は良いです。 誰もが怒る。 とても美しい。 僕が生きるために必要なものはすべて美しいのです。 僕はそれで生を感じているのです」


アルリシャはいつもの笑顔に戻る。生き生きとしている。本質なのだ。これがアルリシャという命の在り方。


「殺すことが美しいのか?」

「殺すと言う行為ではありません。 怒り、悲しみ、憎しみ。 その感情の変化が美しいのです。 だから僕は奪うことが”美“なのです」


アルリシャはレイの返答を待った。ここまで話して何も反発しない命はいない。何故なら命あるものとして、宇宙の命を喰らっているのだから。自分が大好きだから自分のためにしか生きない。それは誰かと生きるこの宇宙では許されないことなのである。それがまたアルリシャに生きる心地を与えていた。罪を背負い、誰かが自分を罰しようとする。自身がこの宇宙に存在していると実感できるからだ。


 いくら待ってもレイから返答が来ない。絶句しているわけではない。ただ話を続けても良い、そのような姿勢で待っている。


「・・・なにも言わないのですか?」

「何を」

「僕は盗み、奪い、生命を殺しているんですよ?」

「それがアルリシャの“美”だろ。 俺が何か言う必要はない」

「僕が、レイの命を奪いと思ったらどうするのですか?」

「欲しいなら構わない。 俺ができることは何でもするから」


アルリシャは握る手に力を入れる。触れていた手を放し、気持ちの無くしたこの星の様な表情をする。


「ぐっ・・・つ」


レイが苦しみだす。息が吸えない。いや、無い。首を押さえ、前ののめりに倒れこむ。


「これでも、命が惜しいとは思わないのですか?」


アルリシャがきっと操っているのだとレイは思う。なら構わない。なんせアルリシャが欲しがるならそれでいい。欲しがる相手にはあげる。それが“やさしさ”だ。レイは小さくうなずく。


「やめてください。 僕に優しくしないでください」


レイは首を振る。できない。優しくしないでなど、そんな願いは聞けなかった、レイにとって“美”とは“やさしさ”だからだ。できない。“やさしく”しない事がわからない。どうすれば“やさしく”できなくなる?レイには欠けていた。誰かを怒ると言うことを。


「俺は、できない」


「しないでください。 優しいのはとても怖いです。 僕のしていることは全宇宙から否定されるべきことです。優しくすると僕は・・・」


レイは意識が遠のく。苦しくても、これが相手の望んだことなら、自分にとっても嬉しいことだからと、心に言い聞かせた



******


 灰色の空。冷え切った気温。レイは体が震えて目が覚めた。布団から起き上がり、周りを見渡す。自分の部屋だ。時計を見れば朝の六時。昨日の事は鮮明に覚えている。夢だったのか。しかし、夢とは思えない。扇子は布団の横に置かれている。それを包み、学校のカバンに入れる。そして、学校にレイは行く準備をする。朝早くに行く理由がある。みんなが真面目にしない掃除や、片づけ、先生のお手伝い。誰かに言われたわけでもないのに日課になっていた。それで先生やみんなが喜ぶから。みんなの手伝いも率先して行った。荷物運び、宿題。とことん“やさしく”した。誰かを傷つけないために嘘をついた。しかしそれが宜しくなかった。嘘はばれると罰が待っている。


 それでもレイは学校に行っていた。廊下に出ると、その理由である両親が隣の部屋にいた。開いていた襖から目が合う。


「あら、レイ。 大丈夫? 玄関前に倒れていてびっくりしたわ」


母は論文を、父は台本を読んでいる。


「相当疲れているようだな。 今日は学校休んだらどうだ? それか、遅くいくかした方がいいだろう」

「私たちも早く帰ってこないといけないんだけどね。 ごめんね」


レイは胸が締まる。しかし、二人は自分の事を気にかけている。複雑に、感情が絡まる。


「では、お言葉に甘えまえさせていただきます。 すみません」

「レイ、お父さんの真似で硬い言葉使わないの。 貴方らしくないわ」

「父さん、母さん、私の事は気にしなくて構いません。 父さんは、妹や兄の仕事管理も大変でしょう。 母さんも天文の論文でお忙しいですから」

「もう、そんなこと言わないの」


父が何か言おうとしていたが、レイは逃げるように自分の部屋に帰る。みんな忙しい。だから忙しくない自分が迷惑をかけてはいけない。手間をかけさせてはいけない。父の美学や母が話す星の話も沢山ききたい。しかしできなかった。してはいけないのだ。“やさしく”あるために。レイは倒れる様に布団に伏せた。


 外はいつの間にか雨で覆われていた。激しく打つ雨音が家中に響く。一層暗くなった家をレイは一人、歩く。そしていつものように冷えた夕飯が置かれている。『いつもごめんね。 今週末はみんな休みだから、みんなでゆっくりしましょう!兄さんも妹も、レイの事、心配しているよ。何かあったら電話ちょうだいね』と、置手紙がある。レイは咽が苦しくなる。目頭が熱い。結局、意味がなかったのだ。自分の“やさしさ”なんて無意味だった。感じてはいけないと自制しても、床に涙が滴る。


 傷ついた靴、いつもの赤いマフラーでレイは豪雨の中何も見ずに走っていた。住宅から明かりはもれず、外灯だけが丘へと導いていた。泥でぬかるむ地面を気にせずに走る。風で木々が荒れ狂う。ここに来るなと訴えかけているようだ。しかしレイはいつもの場所へとたどり着く。勢いを保ったまま金網を掴む。しかしそれ以上が出来なかった。冷え切った手は徐々に力が抜けていく。崖へ続く道が出来ている。何人がここを乗り越えたのだろう。その先でどうしたのだろう。考えてもレイにはできなかった。しかし、自身の命を欲しがる人がいた。なら、欲しい人にあげたい。この錆びた壁を越えなくていい。もっと誰かが喜ぶ命の在り方になれる。レイは金網に寄りかかって座り込む。ふやけた地面に何もかも沈んでしまいそうだ。今が何時かわからない。時間の感覚も、手の感覚も、足も、無くなりかけている。レイは身を寄せて、うずくまってしまった。このまま宇宙のどこかに放り投げられてしまえばいいなと思いながら、目をつむる。


「レイ」


目を開けば、全く濡れていないアルリシャがすぐ前に立っている。レイはすぐに顔を伏せる。


「死は怖いですか?」


「・・・俺が怖いと思うのは皆が思う俺と言う人間についてだ」


雨はひどく、声が聞こえているのかも怪しい。口を開けば雨が入ってくる。


「“やさしく”すればするほど、嘘が溜まり、気を使われ、こうして独り歩きしてしまう」

「レイ」


アルリシャが無の感情で呼びかけるもレイは聞きもしない。


「だが俺は独りでいたくない。 誰かに“やさしく”していたい」

「レイ」

「それを考える自分が嫌だ! そんな呪いみたいな事思いたくなくとも心が嫌がる! 誰かと話してしまえば、傷つけないための嘘が出る! でも嘘がなければ誰かが傷つく! そして俺は」

「レイ!」


雨の音がかき消される。レイは雨に当たっていないが濡れた顔を上げる。


「僕は死について、怖いかどうかと聞いたのです。 それを答えろとは言っていません」


アルリシャは眉をひそめるわけでもなく、口角を上げるわけでもない。ただ、淡々と言葉を述べる。


「ごめん」

アルリシャは解っている。金星の出来事からしてこやつは死に対して鈍感すぎる。それ以上に優先する事が存在している。なら、方法を変えるまで。アルリシャにとってレイの嘆きなどどうでもよかった。ただひたすら命を欲する生命だからだ。


「レイ、来てください」


揺れる木々にアルリシャは堂々と入っていく。レイは弱弱しく立ち上がる。雨は相変わらず酷い。肌に当たる雨が痛く突き刺さる。雨が強くて自分から声も発せない。ついて行かなくてもいいのだ。深く闇に包まれた木々はレイの歩みを止めていた。だが、アルリシャが先にいる。自分の事を生きるために欲してくれたアルリシャ。きっとこの呪いは解けないとレイは悟った。ぬかるんだ地面も、痛く振りつける雨風も、闇の深い木々も、レイは無視した。ただ、アルリシャだけを見て、アルリシャの傍に行った。




******



 外は無数の星。故郷は見えない。ただひたすら同じような景色が続く。白熱灯の光、温かい列車、濡れた服は徐々に乾いくだろう。二つの命は目を合わさず、互いの言葉を待つように座っていた。時間の感覚もないこの空間。何処に向かっているのかは解らない。解らなくていい。二つの命は互いに互いの事を必要としていた。奪いたいものと奪われたいもの。しかし、二つの命は座って動かなかった。何故奪えるはずなのに奪えない?何故奪われたいのに奪わない?どうして?と何度も頭の中に響いている。


 時はいつか、どこかの星につく。耳が痛くなるようなブレーキ音がする前に、アルリシャは立ち上がって降り口に向かう。レイもついて行く。車内と違い、星の明かりだけが射す降り口。一段降り、鍵を取り出す。アルリシャはその鍵を穴に通さずに、レイに見せる。


「この鍵は列車の車掌しかもてません。 太陽系経由・天の川銀河系・宇宙営線三十三の中でも重役しか持てないのです。 それを僕は十二個持っています」


鍵を穴に通す。ガコンと鈍い音がする。重い扉を開け、アルリシャはホームに降り立つ。レイの方を向くも、手は差し伸べずにそのまま先に行こうとする。レイは走ってアルリシャの手を握る。相も変わらず、ホームには誰もいない。


「何故、僕についてくるのですか。 死にますよ」


「構わない。 アルリシャが望むなら」


自然と出た台詞だった。何も悩むものはない。自身が生きた世界よりも、アルリシャの事が好きでたまらなかった。過去も、本当の性格もわからないアルリシャ。レイが唯一解るのは自身の命を欲していることだけ。

それがレイにとって死に直面してまで感じ取ったアルリシャの本性。あぁ、狂っていると解る。しかし、レイ自身は全く狂っているとは思わなかった。これは“やさしさ”であり、自身が求めていた“美”が起こした。因果なのである。誰かから嘘つきと言われようが、気を使わせてしまったのも、自分がいけなかった。


つまり、“やさしさ”の究極は死だった。存在さえなくなれば誰も自身を気にしない。一つ意識がなくなる。楽になれる。しかし、死には行けなかった。レイは“やさしく”ありたいが故に、出来なかった。


「どうしてですか。 僕の、僕の存在は奪うためだけに産まれました。 この宇宙で否定されるべき存在として産まれたのです。 それが、僕が生きる意味であり、生きるための証なのです。 貴方は、否定で生きる僕の生き方を否定するのですか?」


 アルリシャは奪う事を否定されつつ奪う事で生きている。しかし、レイは奪うことを肯定して、奪うことで生きてほしいとアルリシャに願った。レイは大きな矛盾をしていることに気が付いても、撤回しなかった。


「誰かが俺の命を欲するのは君が初めてだから。 死ぬと言う行為は誰にも歓迎されない。 でも、君はこの命を奪うことで生きることを実感できる。 だから俺はあげたい。 あげたいんだ。 好きになった君のために」


アルリシャの頬に一筋の光がつたう。見開いた宇宙の様な瞳は、どの星よりも美しかった。握られていない手がレイを叩く。しかし、力のないその拳はそのままレイの服を握る。顔をレイにうずめる。


「こんな僕に、優しくしないでください」


震えた声は宇宙に消えていく。アルリシャの肩は小刻みに揺れる。レイはどうするべきかの答えを見つけられなかった。もし、命を奪わせないと否定したらどうだったか。確かに否定はできる。しかし、怒ったり、悲しんだりと、感情が変化することはできないと思っていた。きっと奪わせないとしても、最後には奪わせてしまうだろう。


「できない。 きっと何をやっても俺は、アルリシャに“やさしく”してしまうから」


 不快なベル音がする。アルリシャは目元を拭い、レイの両手を優しく握る。


「列車の所有者が僕を追いに来ます。 地球に戻りますよ」


アルリシャの胸元にあるバッヂが光る。眩しさに目を閉じたレイはすぐに足元が消えたと感じる。浮いている。握っている手だけの感覚を頼りに、光が収まるまでレイは目を閉じていた。風が新緑を揺らすような音がする。瞼を開けば星屑が二人を取り巻いていたように、晴れていった。レイの背後は青く光る地球。そこへ落ちていくようにアルリシャと共に宇宙に浮いている。握っている手を引き、アルリシャの顔がすぐそばに来る。笑顔で、柔らかく潤んだ瞳でレイを見つめる。


「ねぇ、レイ。 僕は命を奪います。 そう、死に導きます。 それを貴方は肯定した。 僕を好きでいることは嬉しくても、その行為は嬉しくありません。 僕が求めるのは貴方の命ですが、捧げろとは言っていません。 だから、今の貴方と僕は一緒にいることが出来ません。 僕の存在が揺らいでしまいます」


 アルリシャはレイの首に巻きつかれたマフラーを少し下げる。そしてその首筋に唇をつける。


「いけないことを否定して。 そして僕を愛してください。 そう貴方が思えた時に、また僕は貴方の前に現れます。 その時の貴方の命は輝いていることでしょう。 それを僕は奪いに来ます」



 繋がれていた手が離れる。引力に逆らうように。再び星屑が視界を埋める。



******


 視界には青々と広がる空と、薄く光る虹が見える。風に揺れる地面の葉。昨夜の豪雨は夢のように、丘は晴れている。金網の先に見える街はいつものように存在している。レイは起き上がる。まだほのかに温かい手を握り、丘を下りた。


 汚い靴を履いて、学校に行く。下駄箱にはもちろん上履きは無い。靴は鞄に入れて、教室に行く。今日は朝早くない。そのため、自分の机は倒れ、黒ずんでいる。みんなは今の時間に来ることに驚くも、直ぐにレイの周りにたかった。


「なぁ、朝早く来ないから掃除終わってないんけど」

「そうそう、宿題もやってきた?」


いつもなら否定せず掃除もして、宿題も見せていた。レイは皆を退けて、自分の席を正しい位置に戻そうとする。


「おい、そっちよりこっちが先だろ」

「今度からしない」


はっきりとした口調ではないものの、クラス中の人々がレイに目を向ける。レイは元から皆を怖いとは思っていなかった。嫌いでもなかった。これらの行為も何も違和感を持っていなかった。皆に当たり障り欲“やさしく”接していた結果だからだ。しかし、レイは“やさしく”する事は皆のためになっているかと、今、思うようになった。


「俺はしない。 皆に“やさしく”していたいから。 だから、俺は今後一切、やってはいけない事はしない」


相手の目を見て主張をした。もちろんクラスの人々は初めて見るレイだった。しかし、否定された取り巻きはレイの胸ぐらをつかむ。レイは殴られるのも承知だった。それでもレイはいけないことを否定する命を作らなきゃいけない。また、会うために。


「こら! なにしている!」

たまたま通りかかった先生がとりまきを止める。騒ぎを横目に、レイは担任の先生に連れられて廊下に出る。


「レイくん、ごめんなさい気づけなくて。 あいつらにいじめられていたの?」

「いえ、いじめられてはいません」


先生は「え」と声を漏らす。それもそのはず、否定していない事ではなく、レイの表情に驚いていた。レイは何もおびえず真剣に先生と向き合っていた。


「俺はいけないことをした皆を否定しただけです。 俺は“やさしく”ありたいから。 いけいないことを否定したんです」


レイは微笑んでこう言った。


「俺は、皆を愛したいから」



(了)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 生きることに対してまっすぐですが歪んでもいる二人のやりとりが印象的な作品でした。 あらすじの頭がおかしいという表現も納得出来るほど他人に対して極端に優しく出来るレイに共感は出来ませんが、ア…
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