【8】
クリストフはあっさりと敵を殲滅していたが、攻撃を一切受けていないというわけではない。
弾丸もスコップも殴打も何発かは命中している。
打撲は放置し、切り傷や弾丸が貫通したものは傷を紙綴器で継ぎ合わせる。
悩ましいのは、弾丸が体内に残っているもの。筋肉や骨の動きを大きく阻害した。
「邪魔……だよな」
クリストフは支給されていた缶切りを取り出した。
キコキコとテコで開ける軍人必携の装備だが、吸血鬼の眷属となり人間としての食事をしないクリストフには必要ない、だからこそ使う。
缶切りのいちばん尖った部分を、をさするように左膝の弾痕に沿って当て、傷口に突き刺した。
缶詰のフタを開けるような、手首のスナップを利かせて、缶切りの先端を深々と突き刺し、傷口から弾丸を取るために傷を広げていく。
ただの人間ならば、できるわけがない。
痛みだけで呼吸困難になるような激痛のはずだが、
クリストフは脳の機能としては痛みを感じているが、その痛みに苦しむ心が残っていない。
膝関節から弾丸をほじくり出し、自分が殺した死体から上着を剥ぎ取り、傷口に巻きつけて血だけを止める。
人間の限界を超えた怪力や五感だけでなく。明らかに、確かに、明確に。クリストフの精神は戦うためだけの存在になっていた。
鉄星帝国を倒して戦争を終わらせる。
――人間だった頃に抱いた衝動と決意は、死後硬直のように脳に焼き付いている。
他人の思い出のような空虚な信念と、眷属となり従属しているリリへの忠誠。
それだけが死体となったクリストフにとっての現実だった。
クリストフに罪は無かっただろう。ただ国を守ろうとしただけだ。
ならば、さっきから量産しているこの死体たちには――鉄星帝国罪の兵士たちは、罪人だったのだろうか。
本国からの命令で戦い続けてきた兵隊たちの罪とはなんだったのか。
咎を問われることすらなく、冷たい眠りを強いられる彼らには、他に道が有ったというのだろうか。
戦争だから、戦争ならば。
どんな言葉遊びをすれば、自身や愛する者たちの死に対して寛容になることができるのだろうか。
ただ、アンデットとなったクリストフはそんなことを考えず、膝関節の稼働を黙々と確かめるだけだ。
呵責する心も、リリに血と一緒に吸われた。
動く死体が戦争で死体を作り戦争を終わらせようとしている。
滑稽なほどに滑稽でしかない。
熾烈な戦い、苛烈な戦い、人の死だけがある戦場で、優雅過ぎるその声はクリストフの耳に届いた。
「どうやら――人間でないもののようですね。総統がお喜びになるでしょう」
「……? お前……鉄星帝国の……どこかで見たことが……あっ?」
血の臭いの中でも、吸血鬼になったクリストフの頭は 冷静に機能していた。
現れたのは、折り目正しい軍服、磨かれた階級章。
磨かれた革靴が死んだ鉄星軍人たちの血で汚れていること以外は、ファッションモデルのような姿の男。
その姿を、クリストフの目には写真のフィルムのように覚えていた。
「……キサマ……確か、シュミット独佐……?」
「おや? どこかでお会いしましたか?」
「……そうか……お前にとっては……当たり前の一日だったのだろうな。
お前たちは……いつもそうだ。
踏みにじられたヤツは決して忘れんようなことを意識せずに虐げる。
あの日の、キサマの目は……決して……!」
運命の日。
リリやルルと初めて出会った列車の中、クリストフはこの男に会っている。
鉄星帝国の軍人たちに虐げられ、持病の発作に苦しんでいるときに助けたのがリリとルルであった。
――そのときの帝国軍人を率いていたのが、このシュミットだった。見間違うことなどあるはずがない。
あの日の出来事は、良いことも悪いことも、全てクリストフの人生を決定づけた一日だった。
このシュミットのような傲慢な鉄星帝国から人々を守るために、クリストフは人間を捨てた。
忘れ去っていた感情が、冷えきった吸血鬼としての血をわずかにだが、確かに、熱くした。
「吸血鬼になった私だが……神に感謝でもしなければならないな」
「そのこころは?」
「キサマをこの手で殺せる、この瞬間に、だ!」
クリストフの左膝の傷から血がにじんだ。全身を跳ね飛ばすほどのエネルギーが一点に集中して。
弾丸のように飛び出したクリストフを迎撃するのは、シュミットの帝国軍制式拳銃の打ち出した弾丸。
しゃくとり虫機構の仕込まれたルガーは、その名前の通り這う虫のような動きをし、一発撃つと自動で弾丸を装填する。
通常、拳銃は両手で構えて撃つ武器だが、シュミットは倒れ込むように後ろにスキップしながら軽やかに二丁拳銃をその細腕で操った。
「無駄だな、何百発当てても、私には効かないっ!」
「ええ、部下たちを殺していたのを見ていたので、それは分かります。あなはた痛みも感じず、大きな傷は再生する、ですが――」
ぶチン。
生ぬるい何かを奥歯でかみ砕いたような音がした。銃声に比べればはるかに小さいながら、耳障りな音。
クリストフには何が起きたのかは分かったが、なぜ起きたのかは分からなかった。
左膝からクリストフの左足がもげて、地面に叩きつけられていた。
「な……なん……?」
「あなたは不死身で、痛みを感じておらず、傷も再生する、それは確かでしたが……ですので弾丸は全てあなたの左膝に当てました。
傷が再生しようとしても、貫通せず弾丸が留まっている部分は繋がりませんよね。弾丸に弾丸を当て、膝を切断させていただきました」
しまった。クリストフが思ったときには遅い。
視線を向ければ、着弾の衝撃で変形した弾丸が、切断された左膝から文字通りキノコのようにボコボコと生えて廊下に落ちている。
しかし、有り得るのだろうか?
猛スピードで迫る怪物に対し、弾着がブレる二丁拳銃での連射で、高速で可動する左膝だけを正確に打ち抜く。
技量だけでも胆力だけでも成立しない。
恐怖を克服できる精神力とそれに裏打ちされた正確な射撃能力。そのふたつを併せ持つシュミットは、人知を超えた怪物になったはずのクリストフを打倒していた。
再生しようにも弾痕に残った弾丸がフタになってしまう。
「さて……あなたは本物の鉄星軍人である私には及びませんでしたが……その力は、どこで手に入れたのですか?」
「云うと思うか?」
「教えて下さらないのですか?」
「鉄星軍人は、劣等人種に教えを乞うのか」
「……もしかして、勘違いしていますね」
シュミットのルガーが火を噴くと、先ほどよりも簡単に右足を切断していた。
打ち終わったカートリッジを交換し、トグルアクションで初弾を装填するのも忘れず、平然と、毅然としていた。
吸血鬼になったクリストフと同じように、他人を傷付けてもなんとも思わない殺人鬼、それがシュミットだった。
「私はお願いしているのではありません。徴発です
我々鉄星帝国・アーリア人は、アトランティス人の末裔。優生学的に世界で最も優れた人種です。
生まれながらに秀逸秀才である我ら鉄星帝国が不死の戦闘力を手に入れれば、劣等人類を駆逐できます。それこそが世界全体のため! 人類の果て無い進化のため!
これは我らが鉄星帝国のためであると同時に、人類全体のための戦いなのですよ」
「本気で云っているのか……? 本気で……そんな理屈のために、この戦争を始めたのか!?」
「? 当たり前でしょう? 先の世界大戦では首脳部の愚かさで敗戦しましたが……今、我々には総統がいらっしゃいます!
先の大戦での不当な賠償金! 不当な扱い! 我が民族は栄光を取り戻す、それは当たり前の権利なのです!
万歳! 万歳総統ッ!」
説得や交渉の余地が無いのは分かっていたつもりだったが、クリストフはそれを頭ではなく感覚で理解していた。
狂信。
人が人を虐げる、正しいはずのない教えを疑うこともない、疑うことを許さない独裁への心酔者。その破滅的な男の牙が世界へ……リリやルル、家族のいる村、紅い教教に向かってしまう。
「キサマは……キサマだけは……ここで、私が……殺すっ……! 殺さなければならん……っ! キサマは……っ!」
銃声がまたも連なり、クリストフの左腕が飛んだ。
無言に無表情に無感動に、シュミットのルガーが切断した。
「下等な人種だと思っていましたが、会話にもならないのですか? 答えなさい、あなたはどうやってその身体になったのですか?」
「キサマは……殺す……」
「で・す・か・ら! はい! 右腕も頂きます!」
「……死ね……殺す……」
「弾丸が有るうちに答えて下さいねー」
「殺……」
「うーるーさーいーでーすー、劣等人種は死んでくーださーい」
「……」
「おや? 死にました?
ああ……吸血鬼さんも……。
両手足を切断して頭を撃ち抜いて血を抜きすぎると死ぬのですね。それだけは勉強になりました」
しゃくとり虫の銃に全身を撃ち抜かれ、血溜まりの中、国を守ろうとしたクリストフは手足のない毛虫のような死体となった。
自分が殺した鉄星軍人たちと同じく、物言わぬ青白い死体。
リリからもたらされた魔力ある血液を全て流し、息絶えた。戦う死体から死体らしい死体となった。
「困りましたねぇ……実に困りました……おや?」
平然と勝利を得たシュミットは、次の光景には警戒を強めていた。
クリストフの死体が消えようとしていた。煙のようにではない。氷のように融けるわけでもない。見たことも無い現象によって、クリストフの死体が消えようとしていた。
切断された手足を残して、胴体が無くなっていく。
シュミットは視線を切らなかった。不死身に思えるバケモノ相手に油断するわけがない。
見ている間にクリストフの死体は紙のようにクシャクシャと丸まり、次の血を絞るように一点に纏まり、四角く小さく、厚みが出て来ていた。。
「……なんですかね、これは……ゼガ記?」
クリストフの死体は、一冊の本に姿を変えていた。
人肌を貼り合わせたような、異様な温もりのある魔導書、ゼガ記。
――そう、村でクリストフが発見していたあの本と全く同じだった。クリストフが読んだときにはシャボン玉の作り方やリリ・ルル姉妹の正体が記されていた謎の書物。
それが、今、なぜか、クリストフの死骸から、新たなる集積物として顕現した。
――そして。
クリストフの死はその主であるリリの元にも届いた。
真祖であるリリにとって、血によって結ばれた下僕の死は、自分の血の疼きと同時に認識することができる。
眷属であるクリストフの死を通し、シュミットと鉄星軍の異常性、そしてゼガ記の秘密を同時に知った。
「……なんで、じゃあ……ゼガ記って……この本は……まさか……!」
リリとルル、吸血鬼の姉妹が戦火へと向かう秒読みが始まっていた。