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【4】

 仮に、村の名前も(ロー)(ト・)(キル)(フェ)、としておこう。

 列車と馬車か車を乗り継げばどこへでも行けるが、乗り継がねばどこにも行けない北欧の片田舎。

 生きていく上で必要なものは有るが、それ以外は何もない。

 だが人が棲んでいる。ならば病気も有る。魔女の仕事は、必ずあるのだ。

 村外れの山のふもとの小さな診療所には、今日も入りきらないだけの病人が並んでいた。

 村人だけではない、早馬を飛ばして近隣の村々からやってきた病人や、薬を貰いに来た病人、教えを乞いに来た医師たち。

 早朝から続いていた対応は、既に太陽が頂点を過ぎても続いていた。

 開け放たれたカーテンと磨かれたガラスから太陽光が差し込み、整頓された医療器具を照らしている。

 整えた白衣には、飛び跳ねた薬品や自身の汗で今日も崩れていたが、彼女の診察の手が緩んだり歪むことはない。


「これで良いと思いますよ。ジェイムズさん。あとは色の付いたお野菜を食べて、お酒を控えて下さい」

「え、薬を買うとか、そういうのは?」

クスリはリスクの裏返しです。薬で治すのは最後の手段にした方が良いですよ。

 疲れが背中に溜まって、血が薄くなっているだけですから続けられれば、それが一番良いですよ。

 一週間くらい続けて、それで変わらなければ、また来てください」


 ジェイムズは軽くなった首回りに、今まで意識をしていなかった部分も病魔に侵されていたことに気が付いた。

 彼女……ルル・ヴェイル・ジヌスは、患者に対して魔女の笑顔というには、いささか威迫に欠けた笑顔で応え、使った注射針を自作の塩素水に着けた。

 この時代、注射器は他の医療器具と同じく、その精密さから使い捨てるには高価だったが、一度ごとに消毒するという発想すら浸透していない。

 そういう意味で、一度使うと妙な薬液の中に注射器を着けるというルルの薬学は、魔術としか言い表せない行動だった。


「ありがとうございます……御代は?」

「さっきいただいたので、大丈夫です」

「……え?」

「検査用に血液を頂きましたよね? 検査に使わなかった分をそのまま頂きます。ダメですか?」

「いや、構いませんが……それだけで良いんですか?」

「血液サンプルを集めていまして。新しい輸血方法のテストをしていまして」


 注射器で薬剤を投与してから採血した血液を眺める。

 現代でも電車や車を乗り継いだ方が良い治療を受けられることが多いが、この時代では地域の医療格差が大きく、顕著だった。

 その対価が、身体の中で勝手に出来る血液だけ。

 売血制度で血液を売るシステムも有るが、それを考えても破格の安さだった。

 口を閉じることも忘れて、なんとかジェイムズは聞かなければいけないことを思い出していた。


「親父が俺と同じような病気なのだが、同じく野菜を増やして寝れば良いのか?」

「でしたら、先ほどの注射と同じものを呑み薬で出しますね。

 何日か旅がお出来になるなら、お父様も呼んで来てくださるのが一番なのですが」


 疲れの匂いも裏表すらなくルルに対して、ジェイムズは目を泳がせた。二の句をいくら選んでも決めかねている、そんな様子だった。

 ルルは、やはり表情を曲げることなく察した。患者の心情を探るのも魔女としての技能なのだろう。


「お父様は、魔女の治療は受けたくない、とかですか?」

「……スマン……親父はプロテスタントでな。俺があんたに見て貰うってだけでも反対されたくらいで……」

「良いお父さんじゃありませんか」

「は?」

「息子さんが魔女の所に行くのを止めようとされたんでしょう? 心配なさってるんですよ」


 更に深く頭を下げたジェイムズに、ルルは慣れていますからと応じ、お大事に、と付け加えた。

 ジェイムズは、次の患者とすれ違うとき、驚いた。

 先ほどまで自分に対して親身に瞳を見据えていたルルが、その患者には不意に視線を逸らした。

 会いたくない男が居るのかと思ったが、それはジェイムズの考えとは逆だった。

 目を合わせれば、魔女ではなく、ひとりの女性として微笑んでしまう、そんな相手。

 ああ、彼女も人間なのだな、と、ジェイムズは軽くなった身体と心で感謝を残しつつ、病室を後にした。

 後に残ったルルと患者……クリストフは、この日も喘息の検診に来ていた。

 列車の中で出会ってから数年が経ち、少年は美しい青年へと成長していた。本人の意思に反して。


「なあ、ルル。俺はマトモな身体になってるんじゃないか? 発作もお陰で大分減っているし……」

「減っている、だけで、無くなった、わけではないでしょう?」

「そうだが、お前の薬を飲んでいれば収まるし、もう……」

「ダメ」

「俺は戦いたいんだ」

「戦いになんて、ならないよ」

「そんなわけにもいかないだろ」

「でも、ダメ」


 クリストフは戦いたいが、ルルは戦いに行って欲しくない。


「ルルは良いさ。人を治していて、俺はちっぽけな村の手伝いだけだ」

「お父様の金融業にもお手伝いしているのでしょ? 最近は教会の蔵書も整理しているってミットンリッチさんに聞いたわよ?」

「やめてくれよ! そんなのは男の仕事じゃない! 男の仕事ってのは国や愛する人を守ることだ!

 それなのに俺と来たら銃を担げば五分と持たずに息切れ起す! 忌々しい発作だ!」


 先ほどまでは治ったのではないかと云っていたはずのクリストフは、撞着どうちゃくそのものの興奮を吐きだしている。

 ルルとしては、深くしっかりと座り直させただけだった。


「――立派でない仕事は無いわ。あなたはあなたにできる、あなたにしかできないことをしているのよ?」

「それでも、俺がなりたい俺の仕事じゃない」

「でも、私は、あなたが――」


 遮るように壁と空気が揺れた。

 一拍遅れ、伝播するパニックから急患ですとか、落ちてしまったとか、混乱の渦を感じ取った。


「……急患、だってさ。手伝うよ」

「お願い」


 大掛かりな外科手術が必要な、それこそ、魔法のような処置が必要な患者が現れたことで、ルルとクリストフの私情の溢れた問診が終わった。

 これが最後だった。人間としてのクリストフと、魔女としてのルルが、会話をしたのは。



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