【2】
この村で一番目を引く建物は、教会だった。
白い外壁に蔦が這っているのが目を引くが、牧師は居ない。信者もいない。鼠や虫すら居ない。
廃墟の教会。いつ頃から廃墟になったのか、その記録そのものが忘れ去られて久しい。
割れた窓から風が吹き込み、天井の亀裂からは雨が滴たり、荒れ果てた部屋も多かったのだが、しかしながら。
鉄細工の扉や樫の壁が、まるで封印の呪文のように包み、書庫が穢れるのを塞き止めていた。
禁断の書物は眠り続けていた。動乱を待って。
クリストフは成長してもなお、完治する見込みのない喘息と向き合っていた。
父が営む証券・為替の帳簿や雑用を家族として経済的にも、社会的にも役立っていたが、それは彼にとって極めて不本意だった。
彼の求めるのは、人間という枠に収まらないような規格外の力だった。
村には親しまれ馴染んでいたが、それが彼を繰り返し苛む。この平和を崩されるかもしれないという予知めいた予測による強迫によって。
その教会は、いつから朽ち始めたのか、いつ朽ち果てるのか。
元の作りが良かったのか、基礎な部分ほど壊れておらず、根幹的な修繕は必要なかった。
とにかく、苦労と云うには足りない日数の修繕における最後の段階は、壊すことだった。扉に根付くように錆付いた錠前は、失われた鍵があろうとも開けることはできなくなっていた。
薪割りのための鉞で開いた扉から入った書庫は、湿気った過去そのものであり、香ばしいほどに後を引いた。
書架には最も聖書や宗教の本が多かったが、地図、語学、科学などに紛れ、真逆とも正中とも云える書物が目を引いた。
奇妙な本だった。
他の本は湿気を吸って多少なりとも茶褐色になっていたが、手に取ったこの本だけは陶器を思わせる均一な白を保っていた。
明らかに紙ではない材質なのだが羊皮紙に似ているようにも思う、だが、濡れているような指に吸い付くような独特の感触にクリストフは覚えが有り、そのこと自体に困惑した。
人の皮膚。
干からびてすらおらず、血が巡っているような温もりを錯覚させ、パラパラとめくると精巧な魔法陣や数式めいた呪文が幾何学模様を描いている。
文字は跳ねが強調されたラテン語アルファベットで読み難いが、その中に、見覚えがある顔が緻密なスケッチで描かれていた。
「リリと……ルル……?」
どれほど太古に記されたかすらわからない書籍でありながら、ふたりの美女。
そのふたりは彼の恩人であり、彼の憧れであり、彼の思い人であり、彼の絶望であり、彼の全てでもあった。