鏡を割る
痛みからはじまる朝は
すこしさびしい
ひとびとがつめこまれた電車の
窓から叫びが聴えてくる
窓は叫びのためにあり
叫びは窓からしか聴えてこない
あるものは、
その車両の乗客は全員、表現されていた
というけれど、
見立てによると
あるものはふるえ、
あるものはぶらさがり、
(すべてのつり革に
僕の知らない男や女がぶら下がっている
と言い捨てても
表現されたことになるのであれば、
たしかにそのとおりであった)
秋葉原の駅では
僕等は数でしかなかった
ゆるふわな繭 を住処とするいくつかが
固有名詞で私を呼んで 、と
くちをぱくぱくとさせて、泣いているね
宮下公園では
ぼくらは文字 でしかなかった
通りぬけるためだけに生み出された文字たちが
私を読んで、と、いくつかころがっているけれど、
だれもがもう文字のことを忘れてしまった
通りぬけるためだけに設けられたものにすら鏡があって
どこもかしこにも鏡
そして鏡、
に続く
ナルシシズム
きみはといえば、
いつしか目を見て話してくれなくなったね(「この『ね』の行方は崩れている――」
鏡を割る
こうすることでしか
きみとの会話ができなくなってしまっていて
悲しい
http://www.japan-poets-association.com/contribute/%e7%ac%ac5%e6%9c%9f%e5%85%a5%e9%81%b8%e4%bd%9c/
注1: 田村隆一「幻を見る人 四篇」『田村隆一全集1』河出書房新社、二〇一〇年
注2: 田村隆一 同左
注3: 田村隆一 同左
注4: 小峰慎也「左」『いい影響』書肆梓、二〇一六年
注5: 路瀕存「ふるえている」二〇一六年
注6: 黒田三郎「死のなかに」『黒田三郎詩集』思潮社、一九六八年
注7: 黒田三郎 同左
注8: 黒田三郎 同左
注9: 紺野とも「マキア」『かわいくて』思潮社、二〇一四年
注10: 紺野とも「MAMIANA」『かわいくて』思潮社、二〇一四年
注11: 最果タヒ「夢やうつつ」『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、二〇一四年
注12: きっとタヒは
きみたちのきもちを知っているよ
注13: 山田亮太「みんなの宮下公園」『オバマ・グーグル』思潮社、二〇一六年
注14: 小池昌代「プール」『小池昌代詩集』思潮社、二〇〇三年
注15: 岸田将幸「クジラの背、事後の道」『現代詩手帖1月号』思潮社、二〇一三年
注16: 路瀕存「鏡を割る」二〇一七年