第三話 日常が変わる一日(Ⅱ)。
俺は、慣れた手つきで冷蔵庫から卵を二つ取り出し、テレビで見てからひそかに練習を続け、最近身につけた伝説級技術である【片手割り】を発動して、パカパカッと卵を割り、ボールの中に入れる。
あ、満を持して美咲にドヤ顔しようと横を見たら、下の扉から油を取り出そうとしてしゃがんでいた。 ぐぬぬ。
明日見せればいいかと思いなおした俺は、横に置いてあった醤油瓶から大匙いっぱい分の醤油を目分量でボールへ投入し、カカカカカッ……と菜箸で混ぜ始める。
しばらくして、横からジュウワァァ……という小気味よい音が聞こえてきた。
美咲が熱の通したフライパンに油を投入したのだろう。
「お兄ちゃん、こっちにももう油入れとくー?」
「おう、おねがい」
美咲の言う“こっち”とは卵焼き専用のフライパンの事だ。
そろそろいい具合の混ぜ加減だろうと思った俺は、菜箸を持ちあげ、先端に付いた卵を味見するために舐めとる。
うん、いい具合だ。
「私にもちょーだい」
「……ん」
そう言ってきたので、菜箸を再びボールに突っ込み、それから美咲の前に差しだしてやる。
直後、美咲がパクッと菜箸をくわえ、
「……ちょうどいいよっ」
そうサムズアップし、俺は卵投入許可を頂く。
俺は卵の入った少し重いボールを持ちあげ、フライパンへ溶いた卵を投入して――。
――そうやって、兄妹二人での弁当作りが進んでいく。
普通の家庭では朝、親に弁当を作ってもらい昼食にはその弁当を食べるとか、一日分の昼ごはん代をもらい、学食や購買などで済ますのが一般的だろう。
しかし、神谷家は少々特殊な家庭であり、常に家には両親が不在なのである。
……ああ、勘違いしないでもらいたいのだが、別に亡き人であるから家にいないだとか、そんな暗い話ではないので安心してくれ。
ただ、――父親が『外交官』という、少々海外に飛びまわらなければならないような仕事についているだけのことだ。
全く家にいないといっても、年を通して二、三回は帰ってくる。
まあ、俺が中学三年生の頃まではそれでも良かった。
父親はいなかったけど、母親は家にいてくれていたから。
しかし、俺が雷下学園に入学して一ヶ月くらいの時が経ち、高校生活に徐々に慣れてきたくらいのある日。
なにをとち狂ったのか突然、母親が荷物をまとめ出し――
『私はダーリンと一緒に世界を飛び回る!』
などと言い出して、地球の裏側――ブラジルまで父親に会いに行ったのだ。
当然、取り残された俺と美咲は唖然としたのだが、何の準備もなしにいなくなるほど母親は薄情者ではなかったようだ。
母親が家から飛び出して約半日後、俺の貯金からお金をはたいて、美咲と一緒にファミリーレストランで食事をしていた時。
突然ビデオ電話がかかってきたのだ。
そこには――
『はっはっはー! 久しぶりだなー、優斗、美咲ー!』
『ふふふっ。 しばらくぶりね、二人とも!』
お揃いで、ブラジルの某チームのユニフォームを着た、妙にやつれた父親と、――やけにツヤツヤとした母親の姿が映っていた。
……お熱いことで。 ……その時の俺は、そう思った。
それから数十分の会話を俺と美咲、そして両親とがかわし、以下の方針が決定された――。
一つ、月に二十万の仕送りを送るから、一人暮らし(まあ、美咲と一緒なので二人暮らしなのだが……)をしていると思ってがんばってやりくりして、これから三年間を過ごしなさい、ということ。
(電気代や通信料などは別でもらえる)
一つ、なるべく自炊をし、過度な外食は控えるようにしなさい、ということ。
一つ、両親の寝室の机に、必要なことを全部書いた紙を置いておいたので、分からないことや困ったことがあったなら読むこと、ということ。
一つ、その間、両親は一切家に帰らないのだということ。(正月は例外である)
まあ、最後の方針は、確実に母が父と一緒におりたいがためのものだろうが、残り三つは今後の俺達の生活に、非常に助かるものであった。
特に上から三つ目。
俺達二人は、料理ならまだしも、家事の手伝いというものをそれまで一度もした事がなかったのだ。
なので、寝室の机にドサッと置いてあった辞書並みに分厚い『家事・さまざまなトラブルの対処法』というガイドブックがあったからこそ、俺達は今日まで生き抜けたといってもいい。
(こんなに分厚い完璧なガイドブックを作り上げるくらい母は、父に会いたかったのか……と、俺は少し呆れたが……)
――話を戻すと、そんな四つの決まりごとの内の、上から二つ目を律儀に守り、現在、俺達兄妹は弁当作りにいそしんでいたのであった。
「タコさんウインナ焼けたよー」
「ああ、俺も卵焼きがもうすぐ完成だ」
そう言い終えた直後、背後でピピピピッと言う音が聞こえた。
ジャストタイミング。
ご飯が炊けた音である。
俺は二段弁当箱の、下の段を三つ、食洗機から取り出し、ご飯を詰めていく。
その横で美咲が上の段に、出来あがったおかずを詰めていく――。
半年もこの習慣を続けたら、慣れもするだろう。
ほんの数分で弁当が詰め終わった。
「残ったおかずからはー……」
そしてすぐに、朝ご飯を作り始める。
これも毎日のパターンである。
「卵焼きが少し余ったし、トーストに挟んでサンドイッチでいいんじゃないか?」
「賛成!」
それから俺と美咲は、慣れた手つきでものの数分で卵サンドイッチを作り、おいしく朝ごはんを頂いたのであった――。(今日も欠かさず俺は、牛乳を二杯飲んだ)
「――いってきまーす!」
玄関から、そう元気一杯な声が聞こえてきた。
美咲の声だ。
俺は通っている学校は雷下学園で、美咲はとある県外の女子中学校。
登校時間も、方向も違うため、いつも美咲の方が二十分くらい早く家を出るのである。
さて、家を出る時間になるまでに、洗濯物を干してしまおうか……。
俺はソファーから、重たい腰をゆっくりと上げた――。
「いってきます……」
今誰もいない家に、ぼそっとそう呟きながら俺は扉を開け、外に出た。
肌を刺す空気に身を震わせ、俺は無意識に裾を引っ張って少しでも寒さを和らげようと試みる。
……が、あんまり効果もなかったので、腕をさすりながらそのまま外に付いている玄関の門を開けた。
俺は普段、一人で学校に登校をしている。
近所に仲のいい友人もいないし、あいつは普段、遅刻ギリギリになるまで起きないから一緒に登校する気も失せるし、仮に一緒に登校しようとしても、あいつの遅刻回避のための走りに付いていける気もしない。
だから一人で、いつも通りのゆっくりとしたペースで歩き始める。
「――おはよ、優斗」
……が、数歩歩いたところで、ずいぶんと聞きなれた声が聞こえてきたので立ち止まり、振り返った。
「……ああ、おはよう。 今日は珍しく朝が早いな、琴音」
振り返った先にいたのは、あいつこと、俺の幼馴染である柊 琴音であった。
結局、登校するまでいかずに、出会うだけで終わってしまった……。
次話では、ようやく”メインヒロイン”がちょこっとだけ出てくると思います。
(ばっちゃんが言ってたとおりやった! もう一回書いておこう……)
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(……え? やっぱり迷信? あ、そうですか)