統一後の年表 2011年7月15日まで
一部ネタバレしていますがご了承ください
なお、この前書きは、完結後に書き換えられます
2003年5月7日
統一日本政府発足
府県が廃止され、州区が新設される
大規模な省庁再編がなされた
7月1日
統一日本海軍 航空母艦の観艦式が開かれた
2004年
4月1日
ウクライナでEU加盟を問う運動が開かれる
8月13日
アメリカ極東軍の
大型ヘリが沖縄区の国際大学に墜落
沖縄では統一戦争前にも飲酒によるひき逃げや暴行で問題が起きていたため
普天間や嘉手納から米軍が撤退しないと沖縄区民が暴動を起こしかねないと
日本政府首脳は24日に
辺野古崎や伊江島、旧鹿児島県内の馬毛島への移転を要請
アメリカ政府も、これ以上騒動が発展して沖縄が独立して米軍追放運動に転じられるのは危険だとして
馬毛島と辺野古崎への移転を承認
無論、馬毛島の地元住民と辺野古の自然を守ろうとする人たちは反発したが
2007年に辺野古の建設が強行された
馬毛島は2005年に国が強制買い取りした(地価の30倍で)
11月30日
北海道美唄市に収容されていた柊昇一元道北管区長が脱獄
20人近くの武装集団に護衛されて、逃走
看守4人が死亡する最悪の事件
12月8日
柊昇一が朝鮮人民共和国に亡命、第3師団長に就任
この騒動で、法務大臣が23日に辞任
2006年
2007年
6月24日
第二次朝鮮戦争勃発 朝鮮人民共和国単独での猛攻により、高麗民国は釜山円陣まで後退させられた
日米両国は参戦せず
8月6日
朝鮮人民共和国軍、釜山円陣を突破 日米両国もやむなく参戦
8月9日
朝鮮人民共和国、日本に向け、ミサイルを発射するも全機迎撃成功
柊昇一氏が中華人民解放軍瀋陽軍区の将校に接触
12月8日
中華人民解放軍瀋陽軍区の兵士が一斉に朝鮮人民共和国に侵攻
瀋陽軍区は、中華人民共和国との決別を宣言
チベット、ウイグルで暴動発生
9日
朝鮮半島の全土が瀋陽軍区の占領下に陥る
10日
瀋陽軍区声明が発表され
満州共和国の建国を宣言、武装にロシア兵器が配備され始めており
初代大統領に、柊昇一氏が就任し、多くの国がすべてを悟った
20日
済州島亡命政府が、陸軍クーデターで消滅
海軍は、日本に亡命するが翌日、日本は高麗民国との国交封鎖を宣言
封鎖までの猶予を28日とした
2008年
1月7日
在日朝鮮人の中で犯歴があったりや公安対象になっているものが強制送還された
21日
中華民国と満州共和国が国交を樹立
3月10日未明
中華人民共和国から日本各地にミサイルが発射され、九州と新潟に着弾300人近くの死傷者を出した
国際世論は、中華人民共和国を糾弾
3月24日に国連決議で、対中制裁行動が全会一致で認められる
4月24日
国連軍の編成が整いつつあり
防戦から攻勢に転じる時期を5月1日とした
常任理事国からは、米印が参戦を表明
満州共和国も、国際世論に同調し、参戦を決めた
5月1日
連合軍の中華人民共和国への大規模侵攻が開始
4日
中華人民共和国、首都を北京から西安に移転
5日
満州共和国軍、北京占領
12日
中華人民共和国 人民解放軍が事実上滅亡
港がすべて連合軍に占領されたため
連合軍に講話
連立独裁政権の解散を絶対とし
講話が成立
2008年
7月16日
新潟州で大規模地震が発生
戦災からの復興に続いておきた自然災害であり
イギリスの国営メディアが、バラエティー番組で、笑い話にした結果
日本を中心に国際社会から批判された
8月15日
満州共和国 国連加盟
27日
中華人民共和国が崩壊
チベットで暴動革命が起き
同日、中国共産党から連立脱退した政党による
中華連邦が設立
中華民国と満州共和国に合流しろと命令するが
満州共和国は大統領自ら、合流はしない、満州と朝鮮の国民のための国だ、漢人のためのものではないと発言
この発言で、中華民国でも台湾が独立選挙実施を決意
10月5日
中泉内閣が辞職
石生内閣が発足
7日
台湾での独立投票が賛成多数の結果になる
11月18日
中華連邦 海軍増強宣言
EATOと満州が批判
20日
米政府、日本のbig3政策を了承
12月8日
米国政府
アメリカ中央軍(中東派遣軍)とイギリス連邦、日本以外の全在外米軍の引き上げ編成を宣言
9日
アメリカ合衆国の国債デフォルトだと判断した資産家の混乱により、大不況が勃発
2009年
7月20日
ロシア政府 ウクライナに宣戦布告
翌月6日には、首都キエフが、15日には、エストニア、ベルラーシも戦争によりロシアに併合された
12月8日
中華連邦
台湾とベトナムに空襲を実施
これにより、ベトナム政府は国家主席が行方不明になるも総理が無事で首都を移転することで対処
翌日国連決議をしようとしたが、欧露の対立に米国不干渉で、混乱していた
2010年
6月10日
イギリスから中華連邦に、用途不明金が送金される
15日
中華連邦軍、モンゴルに侵攻
ロシア軍は、東欧戦線から兵を切り崩し、翌月7日にモンゴルに派遣
中露戦争に発展しかけた
7月10日
中露講話
10月15日
大型軍艦3隻が就役
22日
中華連邦海軍崩壊
24日
一度は奪還したウクライナ西部がロシアの占領下に戻る
25日
西沙群島に、EATO連合会軍が集結
29日
ロシア ポーランドに侵攻
11月1日
中華連邦 降伏
3日
ポーランド ワルシャワ陥落
5日
ロシアがフランス、イタリアと講話
7日
ポーランド全土が陥落
12月4日
ロシア 満州に対日貿易規制に関わる文書締結を要求
柊大統領、5日後に議会に提出
反対多数で否決
2011年
3月9日
満州とロシアの不可侵条約が、翌年6月末で打ち切りが決まる
11日
宮城州沖と南海道沖を震源とする巨大地震が発生
伊予原発で炉心融解危機が起きるという話が出回ったが
幸いにもメルトダウンは乗り切った
6月11日
日米満露平和条約が締結
ドイツ全土がロシアに併合される
イギリス政府、ヨーロッパ大陸との国交をすべて断行
7月15日
世界中にあるドイツ大使館が閉鎖
本編はここで終わる