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「本当に闇に包まれただなんて……一体何事よ」
暗い廊下をブツブツと呟きながら歩を進めるリタルを先頭に、キッチンに足を踏み入れた三人は、コンロの前ですっかり困り果てていたグレープの姿を発見する。
「グレープ! あんた、今度は一体何、を…………」
不機嫌満開だったリタルの表情が、みるみる困惑の色に染まってゆく。
そこに立っていたのは、紛れも無くグレープ・コンセプト、その人であった。くっきりとした目鼻立ち。抱けば折れてしまいそうな程か弱い細背に華奢な手足。肩まで伸びた蒼糸を後ろで一つに纏めている。その姿はいつもの彼女のままで、特に何の変化も見られない。が。
彼女が両手に装着している薄いグリーンのグローブの方に問題があった。
「……グローブ……光ってる」
『どゆコト』
マジマジと、グレープの手元に注目する女二人。
「コンロに火を点けようと思ったらいきなり、こんなになっちゃいまして……」
光る両手をパタパタと振りつつ、火が点かないんですーと弱々しい声を上げるグレープ。
「いや、火なんてもうこの際どうでもいいんだけどね、グレープちゃん」
苦笑しつつ、とりあえず落ち着かせようとその背に手を置くと、
「……熱い?」
眉を顰めてトランが呟いた。
「ほへ?」
間の抜けた声を上げたグレープの前髪を手で掻き上げる。そのまま、露になった白い額に掌を当て続けて、数秒……。
「……熱があるよ」
僅かに汗の滲んでいた額から手を離すと、トランは神妙な面持ちでグレープの顔を覗き込んだ。
真っ直ぐな黒瞳に、困惑した少女の顔が映っている。
「何。風邪でもひいたのグレープ」
「…………いえ、別にこれといって異常は感じないのですが……」
キョトンと見開いたルビーアイは、トラン、次いでリタルに戸惑いの視線を向けた。
と、玄関から扉の開閉音が響く。
「おいリタル、グレープ。おまえらまた何かやらかしたのか? 街中真っ暗だぜ?」
問いかけながらも、男の端整な顔立ちは確信に満ちていた。長い銀髪、真っ直ぐに通った鼻筋。切れ長の青い瞳を持つ長身の男――リチウムが後頭部を掻きつつ廊下をズカズカと歩いてくる。
「なんだって?」
「街中!?」
即座に反応を示したのは、リタルだった。その場をトランに任せ、小さな身体が駆け出す。半透明のしなやかな肢体の脇を流れる、黄緑色の毛束……
『……待ちなさいよチビガキ!』
クレープも飛んでその後に続いた。
「あ、おい……!?」
廊下に居たリチウムの目前を通り過ぎ、十畳程の広さのあるリビングを駆け抜け、二人はベランダに出る。一寸後。
「……………………」
『…………マジ?』
リタルの背後で、クレープの声が漏れた。
無言で街を映すエメラルドグリーンの双眼が大きく見開かれている。
一フロアにつき三部屋。立地条件が良い割りには空き部屋の多い十一階建てのオンボロマンションの最上階。所持している三部屋の境を総て取り外してできた、やけに細長くて……だが、見晴らしだけは自慢できるベランダ。そこから見下ろす街並みの――その異様さと言ったらどうだろう。
外灯は一つ残らず消え落ち。
どの家の窓だって、例外なく真っ黒。
総てが、闇に敷かれていたのだ。
『…………』
唖然とした表情のまま、その場に立ち尽くすリタルとクレープ。
夜でも明るい街の様子は今や一転していた。
まるで生気を失ったかの様。闇のベールに包まれた大小の建物がただ静かにそこに存在している。
「~グレープちゃん!?」
突如、何か大きな物が落下したような音と、トランの叫び声が耳を劈いた。
いち早くキッチンに駆けつけたリチウムの視線の先には、床に膝を付けたトランの腕の中、ぐったりと横たわったグレープの赤い顔があった。




