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「…………あれ?」
突如、ダイニングから不審に響く鈴の音が漏れた。
大きな窓にかけられた薄布のカーテンが風で軽やかに流れ、時折夕焼けの弱光が室内に差し込む。リビング内のソファにゆったりと腰掛け、思い思いに休日の午後を楽しんでいたリタルとトラン、それにトランの頭に両腕を置き持たれかかる様な体勢で浮いているクレープが一斉にそちらを窺う。
「……何。またなんかやったの? グレープ」
用途不明の超小型機械を弄っていた手を休め、横目でダイニングの方向を凝視するリタル。二つに分けて上で束ねた黄緑色の髪、エメラルドに輝く大きな瞳を持つ彼女は今年で十一歳。愛らしい容姿に似付かわぬ数々の工具類が、まるで主を護る兵隊の様に彼女の周りを取り囲んでいる。傍らに展開された重厚な工具箱はさながら要塞か。
『つか、ダイニングなんかで何してんのよあのコ』
一方、我関せずといった表情を浮かべているのはクレープだ。長い艶やかな金の髪を頭の右上で一つに束ねたこの少女は、グレープと瓜二つの容姿をしていた。実体が無い為その肢体は半透明で背後が透けて見える。
『石化製品は使えないはずデショ? 石ならナンでもカンでも例外なく、お構い無しに暴走させちゃうんだから』
ようやくトランから離れると、クレープは宙で優雅に半回転。仰向けの体勢で細い白脚を組んだ。おかげで薄い腹が全開になっていたりするのだが、当の本人は勿論、周りの人間も見慣れてしまったのか、あまり気にしていないようだ。
「いや、そうでもないみたいだぜ?」
トランは読んでいた夕刊から視線を外し、そんなクレープを振り返った。
職業柄、普段は堅苦しい格好をしているが休日は草臥れたTシャツにジーンズ……といったラフな格好をしている事が多い。故にその童顔が益々際立ってしまっている。今年二十一歳なのだが、十七歳のグレープ達と同じ歳に見えなくもない。
『ナニ?』
「リタルがさ、今朝」
「造ってやったのよ。このあたしがね。家事が大好きなあの子に。一人でも家事が出来るようになる代物を」
リタルは胸を反り返らせつつ、小さな手で器用にドライバーをくるくると廻してみせた。
ちなみに、手にしているドライバーはリタルが特注したもので、頑丈でなめにくい造りの物だ。鮮やかな緑色をした持ち手には彼女のイニシャルが入っている。購入後しばらくの間、リタルは事ある毎にドライバーを握ってはニヤニヤと小さな顔面に笑みを張り付かせて周りを気味悪がらせていた。彼女は自他共に認める立派な工具オタクである。
『だからナニを』
「魔力遮断布」
『マリョクシャダンフ?』
トンチンカンな表情を浮かべたクレープの鸚鵡返しに、それでも満足そうにうんうん頷くリタル。
「そう。グレープの身体に直接石化製品が触れないよう、魔力の通りがめちゃくちゃ悪い布で手袋を作ったの」
『……つか、元々魔力の通りが悪い素材があった訳デショ? それで手袋作ったってだけ? それって「造った」って言わなくない?』
呆れた口調で喋りながら、くるっと横に半回転すると、うつ伏せの体勢で頬杖を付く。そんなクレープのジト目に、リタルは瞼を閉じると小さな人差し指を立て「ちっちっち」と振ってみせた。
「シャーラーップ。そのまま普通に手袋にしたんじゃあの天然破壊魔の攻撃を防ぐ事は出来ないわ。まず手始めに、バリアーの石類を溶解させて……」
「――まぁ、過程は俺等が聞いたってわからんからすっ飛ばさせてもらって結果だけ言うとさ。グレープちゃん、今朝初めて普通の掃除機使って、無事に掃除出来たんだよ」
リタルの高説を遮ってのトランの言葉に、目が点になるクレープ。
『……うっそ。マジ?』
「マジ。俺が見てた」
口元を押さえて素っとん狂な声をあげるクレープに、新聞を畳んで脇に置き苦笑するトラン。
驚きをよそに、あぁこの顔が好きだな……と視界を脳裏に焼きつけつつ、クレープは続ける。
『掃除機って……本当にフツーの? なんの細工もしてないただの掃除機? こないだリタルが造った、対グレープ用強化バージョンの最新型掃除機でさえ連戦に耐え切れずにあえなく破壊魔の手によって葬りさられちゃったっつうのに?』
うんうんと頷くリタルとトラン。
『ホントに、ただの一度も暴走しなかったっての? いきなり吸収率がアップして空気を吸い込みながら独りでに走り出して止まらなかったりだとか。タンクの中身を暴発させて大量のホコリを部屋中に撒き散らしたとか……』
「なかったよ」
『冗談じゃなくて?』
「ああ。その後ご機嫌で洗濯機まで使ってた」
『……ご、きげん…………!?』
もはや、絶句してしまったクレープ。見開いた赤い瞳が今にも零れ落ちてしまいそうだ。
その様子を横目に、ご満悦に鼻を鳴らすリタル。
「んっふっふ。ようやくゴ理解イタダケタかしら? 気分高揚時に出でる破壊魔最恐の能力『ゴキゲングレープチャン』をも封じたこの天才の天才たる所業! 優秀な頭脳と超絶器用な手先が生み出した世にも可愛い発明品ちゃんの素晴らしさを!」
『…………まさかあのコが……「天然破壊魔」なんて気楽な単語じゃ括れないあの暴走産出悪魔が。石化製品……もとい、石を使いこなす……こんな日が来るなんて……』
愕然とトランの足元に両手を着き、項垂れるクレープ。
「そこまで言うか」
トランがジト目でその背を見下ろす。
『……明日は大雪。いや、嵐。天変地異……いや、きっとそんな生易しいもんじゃないわ……いきなり世界が闇に包まれたり……』
「そこ。縁起でも無い事ぬかすな」
ドライバーの先をクレープに向け、ぴしゃりとリタルが言い放った……その時。
それを合図としたかの様に、唐突に、ソレは起こった。
ズン……と、地響きのような鈍い音が室内に響いたかと思えば次の瞬間、部屋中の石化製品が停止した。
煌々と点灯していたシャンデリアはぷつんと内の光を消失させ、まるで生気を失ってしまったかのよう。意味もなくつけていたテレビもぶぉんと切れ、クレープが煩いと嘆いていた空調の音もまた、すぅっと消失した。
それぞれが一秒のズレもなく同時に音を立て、直後一斉に眠りについてしまったのだ。
残されたのは、すっかり日の落ちた、薄暗い室内。……に、呆然と三人。
開きっぱなしの窓の外で、カァカァ……とカラスののどかな鳴き声が通り過ぎる――
――三人は、そこでようやく我に返ると顔を見合わせ、そして一斉に叫ぶのだった。
『~グレープ!?』




