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自らに向けて『死球』を放ってもらい、辺りに漂う『魔力の流れを止める石』の魔力を利用して、リタルが成し遂げた事。
それは、魔族の使う、とある魔力を場に留めおく事だった。
黒獣はリタル同様、空間を操る属性を持つ。その魔力を使って犬頭達はこれまで、魔力の流れが止まっている地帯に位置しながらも数種の魔力をグレープの下へ――正確には彼女が嵌めていたグローブへ送り込んでみせたり、自分達に向けて放ったりしていた。
犬胴体に至っては、何度も転位してみせ……挙句の果てには、発動させた状態の『死球』や『炎帝』を消し去ってみせたのだ。
一度発動した魔力が消失する、こんな現象は本来在り得ない事だ。
よってリタルは、『死球』と『炎帝』が消え去る瞬間、その周辺の空間になんらかの異常が発生していたのではないかと推測した。『死球』や『炎帝』に直接手を加えて消滅させた訳ではなく、その魔力をもって空間を弄る事で『死球』、『炎帝』を無力化させたのではないか――そう彼女は睨んだのだ。
それも『死球』、『炎帝』が己に触れるか触れないかの瀬戸際。まさに一瞬の内に、空間操作の魔力を発動させ、二つの巨大な魔力の無力化を成し遂げてみせた。
しかし一体、犬胴体はどういう能力をもって『死球』と『炎帝』を消失させたのだろうか。
空間の変化を解析するには『魔眼』が必要不可欠だった。
事が起こってからリタルはすぐに『魔眼』を発動させ、その魔力を展開させた。
間も無く、繰り広げられる攻防の際、トランが犬胴体に向けて『炎帝』を放つ。その直後。リタルの目はその視野で、『炎帝』の進行方向上の空間に突如歪みが発生したのを捉えた。
歪みの面積は、『炎帝』の大きさに等しい。
『炎帝』は宙に生じた空間の歪みに一直線に飛び込み、その姿を消す。刹那、空間の歪みは何事もなかったかのように元に戻ってしまった。
そう。『炎帝』は決して消滅した訳ではなかった。そのように見せられていただけなのだ。
能力が判明した。
ただし、それは断じて犬胴体――犬魔族が発動させた魔力などではなかった。
空間に歪みを施した魔力は、犬魔族からではなく、歪みの奥から迸っていた。歪みの向こうに居る未だ姿も見せぬ何物かが発動させていたのだ。
リタルの頭の中で、総てのパズルのピースが揃う。
今回の犬魔族の非常に判りやすい登場。判りやす過ぎる配置。無論、リタルは最初から違和感を感じていた。恐らくリチウムもそうだろう。
だが、手がかりの一つもなければ推測ばかりが幾つも突っ立って拉致が明かない。リタルはあえて魔族の誘いに乗る形で犬魔族に接触する事を決断する。
一体魔族はどういうつもりなのか。
それが判明した直後、リタルはトランをグレープの元へ送り込んだのだ。
「……ま、陽動作戦っつーのはなんとなく判ってたけどな」
ボヤきつつ、リチウムはその場に胡坐をかいて座り込んだ。その言葉に、彼の傍らに両膝を着けたリタルはコクっと頷く。
リタルは持ってきていたプラスチック素材の小さな容器のフタを取ると、露になった先端のスポンジ面を、リチウムの身体に刻まれた無数の傷口の一つに押し当て、擦りこんでゆく。
リチウムが絶叫した。
「……っ!! ~おま……っ、~もうちょい、こう、ソフトに……っ」
「イマイチ、何が狙いなのかが判んなかったのよね。……とは言え、まさか奴等の狙いがグレープ達だったなんて予想もしてなかったけど」
身悶えるリチウムの抗議に構わず、リタルは手際よく作業を進める。
「ぬ……っ ……しっ ~しみ、~しみっ ……!」
「グレープのグローブ――『魔力の流れを止める石』の魔力が尽きる前に、カラクリが判明して良かったわ……本当。あの魔力が無ければ、魔族が作った『空間の歪み』を留め置く事なんて出来なかっただろうし。『こっち』に来る事も出来なかった。……トランが時間を稼いでくれた事も大きいわね。グレープ達を捕らえたら魔族達、人界に長居する気はなかっただろうし。身の丈サイズの『死球』を完成させる前にさっさと『こっち』に引き上げてたかもしれないもの。そうなってたらもう地団駄踏む位しかする事なかったわよ」
「~お~ま~え~なぁ……人の話をき……! ……ぬぉ……っ」
「てか。もし、あの時……『死球』をぶっ放す直前で胴体魔族が死んでたら、最悪あたし、リチウムに殺されてたのかもしんなかったのよねぇ……あー。危ないところだった」
「~だか、おま、しみ、しみるっつって……っ ~って、人聞きの悪い事をぬかすな……俺様だってそうならねぇように最善の努力をだなぁっ!! ~ぬ……っ」
「だって、そうじゃない。大体、あんだけ間近であんなバカデカい『死球』見といて未だ生きてるだなんて。世界広しと言えどそんな生物、あたし位よ。……勿論、『この世界』も含めての話ね」
そこまで言い終えると、リタルは目の前にあった広い背中を叩いた。
辺りに小気味良い音が響く。
「~ってぇ……」
「終わったわよ。これで少しはマシになるでしょ」
容器のフタを締めながら、リタルがその場に立ち上がった。
ちなみに、この容器。ぐるりと巻かれたビニールに『キズナオ~ル』と言う文字が印字されている。
掌サイズの容器の内部には、細かく砕かれた『治癒』の魔石と液体が入っており、容器のフタを取ると『治癒』の石が発動。魔力が流動し満ちる事で出来た治癒液が先端のスポンジ部分から滲み出て傷口の深部まで染み渡る……という、どこのご家庭にも必ず一つは置いてある最もポピュラーな傷薬である。
ちなみにこの『キズナオ~ル』。リタルが特許をとっており、今リタルが手にしている容器はその改良版の『キズナオ~ルEX』だ。
彼女曰く、『キズナオ~ル』の数十倍効きが速く効果も高い。より多くの症状にもこれ一本で対応出来るのだと言う。
ぶつくさと呟きながら自分もその場に立ち上がろうとして、生じた痛みに僅かに顔を顰めたリチウムだが、それでも、塗布前、塗布後では痛覚の鋭さがまるで違う事をその身で実感し、目を丸くした。
「……自慢するだけの事はあるな」
「当~然」
両腕両足を振り回して己の状態を確認しつつ、リチウムが感心したように呟くと、隣で満足そうにその様子を見ていたリタルがふふんと鼻を鳴らした。
「さて。リチウム。一応確認しとくけど。状況解ってんわよね?」
「当~然」
声を真似されてリタルはリチウムを軽く睨むが、しかし彼は既にあさっての方向を視ていた。
今二人が立っているのは、ゴツゴツした岩肌で構成された、殺風景な世界だった。
周りを切り立つ崖に覆われた広い空間。大気は乾燥し、大地は完全に干からび、ひび割れている。
風が無い。
空気の質が明らかに違う。希薄だ。
上空には薄暗い青が広がっていた。太陽も、雲も、月も無い。だが、今は昼の時間帯なのか、辺りは先程まで居た夜の街よりも明るい。(そもそもこの空間に、朝昼夜に該当するものが在るのかどうかすら謎だったが)
遠くに聳え立つ岩壁に、大穴や、地を走る太い焦痕が幾つか確認できる。恐らく『死球』や『炎帝』の痕跡だろう。
そう。魔族は『死球』、『炎帝』をただ、空間操作――『空間接続』させて、己の居る空間とは別の空間――この地に、送り込んでいただけなのだ。
「とりあえず、どうやらここが、奴等の本拠地らしいっつう事と……」
リチウムに遅れる事、数秒。気配を察知したリタルが鋭く視線を巡らせる。
漂う違和感。どこかねっとりとして、重たい。
否。これは、強大な魔力だ。
「……アレが諸悪の根源だっつう事が解ってりゃ、合格点か?」
リチウムが細い顎をクイっと正面に向けると、
「まぁ、及第点ってとこかしらね」
同じ箇所を睨んでいたリタルが、軽く溜息をついて向き直る。
リチウムとリタルが見据える方向――遠くの崖の上に、巨大な影が一つ存在した。
「どうやらアレが、総ての犬を支配して偉そうにくっちゃべってた奴みたいだけど」
右手に輝く濃いエメラルドの光。リタルの視界に映る大きな影の纏っている魔力は、しかし、空間を接続させていたソレではない。
「実はアレの後ろに、もう一匹居たりするのよね……『空間接続』の能力で散々邪魔してくれた、あたしと同属だって言うイケスカナイ奴が」