《18》-《20》
《18》
「オイゴルァ゛ア゛ア゛、そこどけやクソアマァ!! そのクソ野郎、頭からぶッた斬ってやンだからよォオ!!」
自分は残ってセツの見舞いをするのだと淡々と粘るエイベルを無理に連れて魔王城に戻ると、すさまじいことになっていた。
絨毯は切り裂かれ、柱は抉れ、壁は初めからそういう模様であったかのように表面が切り刻まれている。破壊の中心にいるのは言うまでもなくテオドリクであり、それを魔法で時にいなし時に防いでいるのはマリーである。彼女の障壁の後ろには当然ルーシャンがいて、流石に硬い顔をしていた。
「いいえどきません! 貴方に彼を殺させはしません!!」
紛うことなき殺し合いの様相である。
無言でスノウが傍らのエイベルを見下ろすと、気配を察したエイベルが顔を上げる。
「勇者、犯人」
「犯人……?」
「性犯罪」
「性犯罪……!?」
「おやめなさい! テオドリク殿! 貴方のお気持ちはわかります!! ですが、殺しは認められません!!」
「うるッせェエ! そンなクソヘンタイの肩持つのかよ!! あンなちッちェえ子に手ェ出しやがって!! テメェ、ンなヤツの味方して、恥ずかしくねエのかよ! アァン!?」
ああ、なるほどと、スノウは自分の心の声とムルの声を同時に聞いた。
だぶだぶの服を必死におさえている姿は、乱れた服をおさえているに似ているだろう。それが泣きながら走っているのだ。想像の辿り着く先はおのずと限られる。
轟音の最中に交わされる会話は、自然とどちらも叫ぶようになる。激情にたぎっているならなおさらだ。剣戟と同時に叩きつけるテオドリクの声に、鋭い一閃で剣先を払うマリーの声もまた叫ぶようなそれだ。
「恥ずかしいわよ!!! 当たり前じゃない!!」
ルーシャンの命を守ってはいるが、別に心からの味方というわけでもないようだ。
「恥ずかしいけど! ドヘンタイだけど!! 人倫にもとる鬼畜だけど!! でも勇者なんだから殺させるわけにはいかないのよ!!! だから去勢で我慢してっていってるの!!!」
男性として殺すから、生物として殺すのは勘弁してやってくれと、そういうことらしい。
しかしテオドリクは納得しない。
「ンなモンで許されッかよ!! ンなやつァ、頭の天辺から細切れにしてやンなきゃ気がすまねェ!! セツの万分の一の苦しみでも味わえッてんだよオ!!」
「上は駄目よ! 下で我慢しなさい! なますに刻ませてあげるから!!!」
ルーシャンの表情はいよいよ硬い。マリーの手助けもできないのは二人の応酬が介入できないほど激しいこともあるだろうし、複雑な心の動きもあるのだろう。
二人を遠巻きにする群衆の中には、彼らの仲間であるシオドアとラモーナもいたが、おろおろと長いお下げ髪を揺らすラモーナをシオドアが静かに押しとどめていた。シオドアに至っては、僅かに視線を三人からそらしているようにも見える。とは言え、それはシオドアに限ったことではなく、群衆に含まれる内、特定の性別に属する者はみな一応に顔色悪くうつむきがちだ。
スノウは両目を、風景を映すだけのガラス玉にした。しかしそんなあからさまな逃避がいけなかったのだろうか。ふとした拍子にルーシャンがこちらを向き、目が合ったかと思うや否や、見る間に表情を変えた。
「スノウ殿――ッ!」
『ユキコ、なますはあまりに惨い……』
熟練の達人は、向こうが透けるほど薄く細かく切り刻めるそうである。
「魔としての恥を語るつもりはありません」
「しかし貴方達の騒動は的外れかつ、余計にあの子を貶めるものだわ」
「あの子を貶めるとは、すなわち、わたくしを貶めることに相違なくてよ」
それ以外の一切をスノウは語らなかった。ただ、テオドリクやマリー、あるいはその他の推測を全くの誤りだと断じ、それはかえって余計にセツを辱めることだがそれでもいいのかと冷たく迫った。
テオドリクの説得に時間がかかることは予想していたが、思いの外マリーもまた苛烈で頑固だった。最終的に「そもそも幼い女の子を泣かすこと自体が罪悪だと思いなさい!」とまで自分達の勇者相手に言い捨てたのだから、なかなかの烈女である。
「あの……」
「余計なことを言ってごらんなさい。わたくしも破滅だけれど、貴方もなますよ」
「……」
スノウはルーシャンの耳にだけ入るように囁いた。確信のない脅しだが、押し黙った青い顔の持ち主には十分な効果を発揮したらしい。
《19》
聖女が浄化の力に長けるように、勇者とは偽りを破る力に特化するものであると言う。それは単に“見”破るだけではなく偽りそのものを打ち破る力で、だからあんなことができたのだろうとムルは語った。
それならそうと先に言え、とは言えなかった。話を聞く前にムルの声を遮断したのは他ならぬスノウだ。
どうすればいいのか、今後についてさっぱり良い案はなかった。とりあえず今の所、スノウは徹底的にルーシャンを避け、徹底的に無視している。それをスノウの怒りの深さだと理解しているサディアス辺りは「大人げない」と顰め面だが、それもまとめて無視だ。
だが、勇者達が城に逗留するようになって以来、四軍団長全員が毎日の登城を義務づけられている。そんな状況下で問題から逃亡し続けるにも限度があった。
「スノウ殿」
問題そのものに待ち伏せされてしまえば、尚更だ。
「……。何のご用」
一度通り過ぎて、しかし結局スノウは足を止めて振り返った。あからさまな不愉快顔を作り、目を細める。
「お話があります」
「そうなの。ではここでどうぞ」
ルーシャンは少し困った顔をして、一瞬周囲に目を走らせた。
それはそうだ、幾ら今周囲に一見人目がないからと言って、大場で語るには言葉を注意して選ばなくてはならない話題しか二人の間にはない。ということは、言葉を選ぶ必要性をルーシャンが得ているということで、それが脅迫がなおも効果を残しているという証拠ならスノウにとっては助かる話ではある。
やがて言葉を探っているような空白の後、ルーシャンが口を開いた。
「貴方の姿と、関係あるのでしょうか」
安易な聞き返しもまた、不注意になる。言葉を呑み込んだスノウは暫し考え、ムルの助言にも助けられた上で、言葉を返した。
「だったら、何かわたくしによいことはあって?」
「……事情を、聞いても?」
結局ここで平行線になるのだろう。スノウはにっこりと笑う。
「『聞き逃げされたら、たまったものではないわ』」
はっとして眉間に皺を寄せただけで、ルーシャンは何も言い返してはこなかった。
お互いに信頼のない者同士の会話の限界だ。
それでも、スノウは険悪になりたいわけではない。彼の側がどう捉えているのかはわからないが、実際に首の皮一枚で繋がっているのはスノウの方だ。
「――でも、感謝はしていてよ。今のこの状況に」
では感謝の礼に聖獣の情報を差し出せと言われたらどうしよう、とは言い終わってから思った。
しかしそれは杞憂で、そんなことを言う代わりにルーシャンは脇に抱えていた紙袋をスノウに向けて差し出した。
「これを、よろしければ」
「……なぁに?」
割と大きな袋だったから目にはついていたが、それがこちらに差し出されるのは予想外だった。怪訝な顔で当然受け取らないスノウに、ルーシャンが照れるような苦いような笑みを浮かべた。
「マリーとテオドリク殿が」
初めての時以来顔を合わせれば一触即発に火花を散らしていた両者だったが、先日の一件が打ち解けるきっかけになったらしいことはスノウも知っている。
「セツ……さんに、謝罪の品を贈るべきだと。強面というわけでもない癖に、初見でこどもを泣かせるような心知らずの私のために、自分達が品を選んでやるから買いに行くぞと……今日」
「あら、まあ……」
随分仲良くなったものだとも、その二人に挟まれて買い物になんて行きたくないとも、スノウは思う。しかしそうであるならば、これは受け取らないわけにはいかない品だ。ここにいない二人のことを鑑みるに。
「じゃあわたくしがそれを受け取ってあげないと、貴方は怒られてしまうのね」
「自分達の選択に間違いはないのだから、私の渡し方に問題があったのだろう何をしたと締め上げられる未来が見えるようです」
これにはスノウもちょっと笑った。自分にも見えるようだと思ったからだ。
「ではお互いのために。……ん、見た目のわりに軽いのね。一体何を買わされたのかしら」
「花飾りと、焼き菓子と、ああ、その一番上のはぬいぐるみです」
「ぬいぐるみ。……あらあら、可愛らしい贈り物ね。マリーさんかしら」
紙袋の口をめくれば、すぐに小麦色のふわつきが見えた。大きさはムルと同じくらいだろうか。黒い目はつぶらで可愛らしいが、鼻筋はすっとしていて、三角耳の尖りもムルよりややシャープで凛々しい。とは言えぬいぐるみの話なので、総合的には可愛い。ただ少しムルよりイケメンなだけだ。とスノウは思う。
『断然我』
「いえ、……その、それは、私です」
『明らかに我』
「貴方?」
『紛うことなく我』
「似たようなものを、お持ちでしたよね」
『揺るぎなく我』
「もし気に入らなければ、処分してください」
『確固としてわ』
遮断した。
「まあまあ、ご機嫌取りにしては可愛らしいことをなさいますのねえ。贈り物を捨てるなど、無粋なことはしなくってよ」
気持ちとしては、少しだけおかしさが勝っていた。こんな歳になってまさか大真面目にぬいぐるみを贈られることがあるとは思わなかったし、それをマリーやテオバルトにやいのやいの言われながらこの男が選んでいるという想像も愉快だった。
「けれど、魔族は人間よりもずっと長生きでしてよ? セツだって貴方の何十倍生きているとも知れないとは思われない?」
ルーシャンは苦笑した。
「生まれてから体が育ちきるまでは、およそ魔族も人間も同じほどの年月を要するそうですね」
確かに、だからセツは疑いもなく皆にこども扱いされているのである。エイベルや、そしてイヴェットが例外なのだ。
スノウはつまらなさそうに、ふんと鼻を鳴らす。そして半身を返して、話を終える意思を示した。
「それではわたくしはこれで。うちの子にどうもありがとう」
「スノウ殿」
片目だけでスノウはルーシャンを捉える。
的確な言葉を探しあぐねているような戸惑いの挙動がそこにはあって、今度はスノウが苦笑した。
たぶん、結局は彼もマリーやテオバルトのように優しいのだ。
「無益な説教などごめんだわ。お互いに有益なお話ができるようになったら、またお喋りしましょうね」
それで話は終わった。
貰ったぬいぐるみは捨てなかった。ただしムルが拗ねに拗ねた。
《20》
「いけませんです。一度戻るべきです」
顔を青くしてラモーナは言った。
「それはできない。一度戻るべきもなにも、一度しかないんだ。私達が手ぶらで戻ったら意味がない。君にもわかってるだろ」
ルーシャンは首を横に振る。
ラモーナは一瞬言葉につまり、しかし「でもっ」と言葉を返す。
「私にできるのは、単なる一時凌ぎでしかないです。すぐに、私がかけ直すより浸食される方が早くなるです」
水を掬うような形に両手を合わせたラモーナの掌の上には、ペンダントがひとつあった。中央の飾りは、銀の留め具で上部を覆った、親指の爪ほどの大きさの桃色がかった真珠のような丸い石がひとつだけ。
ただしその石の一角が、僅かにだが鋭く欠けていた。断面は、じんわりとそこだけくすんだ灰色をしている。
「流石、魔王軍の長の一人だな。第一軍というのは有事の際には真っ先に先頭に立つ突撃部隊なんだそうだが。風撃だけでこの有様なんだから」
「感心してる場合ではないです!」
ラモーナはキッとルーシャンを睨み上げる。
ルーシャンは彼女を宥めるような手動きと共に「声を抑えて」と囁いた。
はっとラモーナは瞬いて、それでもルーシャンを非難するような眼差しは変わらない。
ここはラモーナとマリーの部屋だ。しかしマリーと、それからシオドアは聖獣の探索のために今頃サディアスと話し合っているはずだ。聞かれたくない二人はいない。だがそれでも声を潜めるような話を彼らはしていた。
「ということで、隠している様子はないから大丈夫だろうけど、マリーのこれもそれとなく確認しておいてくれるか」
「……わかりましたです」
ラモーナの返答はほとんど溜息だ。
「でも賛成できないです。一時凌ぎの『一時』が一体いつまでなのか、まるで見当がついてないんですよ」
「いや見当は……、ある」
ラモーナは「えぇっ」と声を上げた。
「だから、一時でいいんだ」
「そ、そんな、え、じゃあ、マリー様とシオドアさんは知ってるんですっ?」
自分だけが仲間外れを受けているのかと目を見張るラモーナに、ルーシャンは首を横に振る。
「いや。頼む、ラモーナ。これも二人には黙っておいてくれ」
「えええ、どうしてです?」
ルーシャンは少し考える素振りをした。
やがて「そうだな」と一度言葉を置いた後。
「勢いに満ち、繊細さに欠けるからだろうか」
ラモーナはいつも困ったような形をしている眉の尻を更に下げて、しかし何も言わなかった。
ラモーナは心優しい神官である。否定も肯定もできない彼女の沈黙は、慎み深く雄弁だ。