91 帰還と出迎えの毒の花。
せっせと食堂で働く女性が、一人いた。美女ではあるが、やや吊り目でキツイ雰囲気ながらも、笑顔で接客をこなしては、出来上がった料理を運んで置く。
すると、同僚の女性が、客の一人に、セクハラを受けて悲鳴を上げたため、ギロッと鋭い眼差しを向けた。
すぐさま駆け寄って、その手を掴み、捻り上げた。
「ここはそういう店じゃないんですよ。セクハラを罪に問えるならガリアンの牢にぶち込みますよ」
「いててて! なんだよ!! ちょっと触っただけだろ!?」
「わたしもちょっと触っているだけですが?」
女性は言い返してやってさらに捻り上げると、客の男は降参して、涙目で泣きながら謝った。
その隙に、食い逃げが発生。薄汚い男が逃げ出したのだ。
これにもすぐさま、反応して飛び出して追いかけたその女性は、持っていた空のトレイをぶん投げて、後頭部に見事ヒットさせた。無様に倒れた食い逃げ犯の元に駆け寄り、倒したまま、胸ぐらを掴み上げた。
「この豚野郎!! 食い逃げは、ガリアンの監獄行きだ! 支払ってから入れ!!」
「か、金、ねぇ」
「なら食うな!!」
ボコッと、グーで殴り飛ばした。
「ふざけんじゃないわよ! こっちは汗水垂らして働いて、食事をとるお金を稼いでいるのに! この豚野郎! 豚以下だ!!」
叫んだところで、ハッと我に返る。
通りの真ん中に、子どもが立っていた。見ていることに、あたふたと焦る。
「あの、違うのよ? この人が、お金を払わずに逃げたからっ」
決して、理不尽な暴力を振るっているわけじゃないと、言い訳した。
「お姉さん。豚野郎、殴るの好き?」
「へっ……?」
子ども――――ダークブラウンの短い髪と、ペリドットの瞳のルアンは、笑いかける。
「ガリアンの監獄で豚野郎を罰する仕事を設けたら、やりたい?」
首を傾げた。
ポカンとしたあと、女性はルアンが着ている黒のコートに、ハッと気付く。ガリアンの制服だと。
そばにも、同じくガリアンのコートを着た少年達がいることに気付く。ガリアンだ。
そして、目の前にいるのは。
「あ、あなた……ルアン・ダーレオク……?」
女性は、目を見開いた。
この辺では、最早有名だ。目と鼻の先の最果ての街、エンプレオスにある自警組織ガリアン。
そのボスである『最果ての支配者』とも呼ばれるレアンの娘。周辺を騒然とさせた連続殺人事件を止めた功労者は、ボス・レアンの実力と並ぶギアの腕前だと噂だ。また、功労を表彰されて、国王に招待までされたという噂で、盛り上がっていた。
「はい。お姉さんのお名前は?」
サッと手を振って、赤毛の少年に食い逃げ犯を取り押さえてもらう。
本物だ……! と両手で口元を押さえた女性。
「え? 勧誘? 罰する仕事って……?」と聞き返す。
「処罰を重くする許可を国王陛下からもらったんですよ。どうです? 結構な労働になってしまうだろうけれど、興味があったら、ガリアンを訪ねてきてくださいね」
ひらっと手を振った。
「あ。一応、お名前を聞かせて」
「あ……ニコール・セイヤー、です」
「ニコールさん。前向きに考えてくださいね。ゼアスチャンさん、サムに事情聴取を教えて」
「かしこまりました」
片眼鏡のゼアスチャンは頷いて、サムを引き連れて「セイヤーさん。食い逃げ場を教えていただけますか?」と尋ねる。「は、はいっ」と、ニコールの職場に戻る。
「ルアンが、すっかり有名人ねぇ……」
しみじみ、と思うクアロ。
「エンプレオスの街が近いからね。『最果ての王』と呼ばれているボスの娘となれば、常識範囲で知っているでしょう」
「そして、ルアーさんは『最果ての女王』と呼ばれるんですよ! きっとすぐです!」
スペンサーが横から会話に入って来た。それをクアロが、テキトーにあしらう。
「はいはい、未来男」と。
「未来男って、何?」
スペンサーから乗馬を教わっている最中のロウは、その言葉に首を傾げた。
「あ。オレ。未来から来たの」と、ケロッと自分を指を差して答えるスペンサーに、ロウは目を点にして呆ける。
「み、未来から、来た……?」当然の戸惑いだ。
「10年前に送られたんだよー。そういうギアの実験体で!」
「???」
過去に飛べるギアの存在に、余計混乱するロウ。スペンサーは、ただヘラヘラした。
「やめてやれよ、ロウが混乱してるじゃねーか。だいたい、ロウのこと知らなかったお前が、本当に未来から来たのかー?」
食い逃げ犯を縛り上げたシヤンは、ジト目を向ける。
仮メンバーとなった少年・ロウは、ここ数日で教育担当のシヤンと、コミュ力高めで手強い手合わせ相手のスペンサーに心を開いていて、もう懐いた。二人の方も、可愛がっている。
「確かに未来で、オレはロウくんとは知り合ってませんけど……話には聞いたことあるんですよね。シヤンさんと肩並べて切り込み隊長していたメンバーの名前が、ロウだった気がします……ホント、顔を見てないんですけどね」
「お前は都合がいいように話すの、上手いな」
「嘘だと思ってます!? 心外です! そんな嘘をつきません!」
「クアロがいないって嘘ついたくせに、よく言うよ」
「うぐー!!」
未来の話で、真っ先に嘘をついたのは、クアロがいないってことだった。
ルアンに冷たく言い放たれて、胸を押さえて呻くしかないスペンサー。10年後、自分がいない説を突き付けられて心底焦ったことがあるクアロも、恨みがましい眼差しを向けた。
「ほ、本当の話? じゃない……?」とオロオロとどう捉えるべきかわからないとロウが、一番正しいことを言ってくれるであろうルアンに問いかける。
「スペンサーは、そう信じ込んでいるだけだから、話にはテキトーに頷いてやるだけでいいよ」
慈愛に満ちた優しい笑みで言い退けるルアン。
つまり、信じなくていいということ。
「ルアンさん! 酷いです!!」と、泣きべそ状態のスペンサー。
「ロウの方が、年上のはずなのに……弟に向ける顔しちゃって」
ルアンも、大概、ロウを可愛がっていると思うクアロは、乾いた笑いを零す。
盗賊の少年が、すんなり入り込んでしまった。
彼自身、悪人ではないから、まぁいいと言えばいいのだが。
「ああ、弟さんがいらっしゃるんでしたね。ルアン様には」
アレンが思い出したように言う。
「二卵性双生児のね。でも、瓜二つの容姿。髪が短くなって、パッと見、区別が出来ないくらい」
「え? そんな双子もいるんですね」
「普通の兄弟が似るように、似すぎているだけのことだよ」
ルアンが答えてやった。なんてことないように。
「サムとアレンとデクが住めるアパートの手配は、先に帰った連中に頼んだってゼアスチャンさんが言ったから、お前達は住処の確保のためにガリアンに向かいなさい」
「「「御意」」」
「私達は先にロウを連れて、家に顔を出すから」
グーッと背伸びをするルアンは、思い出してシヤンを振り返る。
「シヤン。あの美人さんのところに寄っておく? ストーカー被害者の」
「? なんで? なんか心配? ヤバいのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「ん?」
行きの際に、ストーカー被害者を助けたが、その美人がシヤンに惚れた様子だった。直接助けてくれたシヤンに惚れたし、ルアンもオススメしておいたのだが。
当の本人は、全く気付かず、キョトンとした顔。
「ルアン様……シヤンにはまだ早いです」と、メイドウは遠い目で言った。
「早いも何も……経験しないと、一生このままじゃない?」キョトリ顔のシヤンの顔を指差すルアン。
「それな」と、クアロは激しく同感だと頷いた。
「王都にいる間、童貞どもに高級娼館へ行く許可でも出してやればよかった」
「「「「「ブフッ!!!」」」」」
大半が噴き出して「ルアン様ー!!」と、メイドウは悲鳴を上げた。
「丁寧に筆おろししてもらうチャンスだったのに」
「? なんの話をしているのですか?」
薬を買いに行っていたピアースが、キョロキョロと見渡して、内容をルアンに尋ねた。
「シヤンとピアースの筆」
「なぁああんでもないわ!!!」
クアロは、ルアンの口を塞いで、全力で阻止。
「ルアン! 恥じらいを持ちなさい!! そして余計なお世話だからね!?」
「いや、いくぶんかは免疫持ってないと、ハニトラとかに引っかかりそうじゃん。それは上司として困るんだが」
「そ、それはっ…………熟考しましょう!!」
確かに、二人は免疫がなさそうである。特に、ピアースは純情すぎるところがあった。心配は当然だ。なんならこの話をすれば、真っ赤になって卒倒しかねない。
「誰ですかー!! ルアン様に、そんな知識を与えたのはー!!」
「私じゃない!! 私のわけがなーいッ!!」
メイドウに肩を掴まれて、ブンブン揺さぶられるクアロは、潔白を訴えた。
そんなこんなで、ついに一ヶ月以上空けていたエンプレオスの街に帰還。
ルアンとしては、自分のテリトリーである監獄を確認したいところだが、特に知らせも届いていない。
レアンが先に帰ってもいるし、問題があっても対処はされているはずだと考えて、先ずは崖の上の豪邸に帰ることにした。
ロウの紹介がてら、弟のロアンに顔を見せに行く。
一緒にいるはずの兄のラアンには、想い人ロニエルの返事の手紙も渡さないと。
馬車に揺られて、組んだ足も、大きく揺れるルアンは、見慣れた景色を眺めながら、機嫌をよくした。それを横目に見て、フッと口元を緩ませるクアロ。
冷めきった家族関係にあったダメな少女で、ダメロリだと言い切った頃が懐かしい。
「ルアーさん! オレ、花屋に寄ってから、そちらに行きますね!」
馬車の外からロウと乗馬しているスペンサーが報告しておく。
スン、と無表情で冷めた目で見つめたルアンは「今度はいくつの薔薇の花束?」と、花屋に行く理由を見抜いて尋ねた。
「七本と八本と九本と十本です!!」
ドンと言い退けるスペンサー。
「また小分け? 飾るところ足りないし、花屋にも迷惑でしょ。やめなさい」
「なんでですか!? 儲けられて嬉しいのでは!? ルアーさんだって、受け取ってくれるって言ったじゃないですか!」
「お前の懐事情はどうなのよ」
恋を重ねた分だけの増える薔薇の花束。
ルアンは確かに、スペンサーに贈ってもいいかと尋ねられて、別にいいと断りはしなかったが、その頻度が多くては飾る場所も足りないし、量も増えれば、スペンサーの懐事情が心配にもなる。
「大丈夫です! 一目惚れ花束貯金してますんで!」
「一目惚れ花束貯金……? 命名が……」
聞いているクアロも、呆れ目。
「いいよ。勝手にすれば」とため息交じりに許可を出すルアン。
ぱぁっと、笑顔を明るくしたスペンサーは、馬から降りた。
「ありがとうございます! じゃあ、ロウくん。落ち着いて、ダーレオク家まで一人乗り練習!」
「は、はい」
心細そうな顔を一瞬したが、ルアンが手を伸ばして馬の頭を撫でてやる姿を見て、しっかり手綱を握って気を引き締めるロウ。そうして、スペンサーが先に抜けて、ダーレオク家行きとガリアンの屋敷行きの二手に、一行は分かれた。
ダーレオク家に、到着。
「ルアンー! おかえり!!」
飼い猫のネラを抱えたルアンと瓜二つの少年が、笑顔で駆け寄る。
「ただいま、ロアン」
柔らかい笑みで、ルアンは黒猫ごと抱き締めた。
黒猫も上機嫌で喉を鳴らして、抱き締めて、とねだるように前足でルアンの気を引く。
「会いたかった!! おうじさまいた? おしろ、でっかい?」
ネラをしっかり抱えたルアンに、ロアンは質問責め。ネラは、ゴロゴロと頬擦り。
「……そっくりで……違う……?」
瓜二つでも中身が違いすぎる双子を見て、ロウはポカンとした。
ルアンと違って、ロアンは年相応に無邪気だ。遠出していた片割れが帰ってきて、大はしゃぎ。頬まで、真っ赤に紅潮させていた。
「ああ、見た目だけそっくりなんだけど、ルアンがすごすぎるんだよ」
ケロッと、シヤンはそう教えてやった。
「おかえり、ルアン。よかった、無事に帰ってきて。熱を出したと聞いたから、もっと遅くなるかと」
ホッとした笑みで出迎える兄のラアン。
「あれがルアンの歳の離れた兄のラアンだ」
「……似て、る?」
シヤンはつまらなそうに紹介して、ロウは首を傾げて、しげしげと見比べている。
「……本当に、連れ帰ったのか」
ラアンは、げんなり顔。
ルアンに、”出掛ける度に連れて帰るな”と釘をさしたのに、見事に人を連れて帰ってきた。
それでも、ルアンが無事に帰ってきたのだからいいか、と自分に言い聞かせて、頭を撫でる。
「あと、元兵士三人だけだよ? 途中、勧誘もしたけど」
「だけってなんだ? 城で兵士を引き抜くって、なんだ?」
「引き抜いたのは、一人だけだよ。二人は自分の意思で来ただけ」
「自分の意思で!? 本当かよ! 近衛騎士団長の差し金じゃないのか!?」
「団長ではないね」
「!?」
ギョッとしたラアンが詳しく問い詰める前に。
「ルアン! ルアンがいなくてもさみしくないように、おへやをお花いっぱいにしたんだよ!! 見て見て!!」
「……そうなんだ」
ルアンは、笑顔を何とか崩さないように応えた。
メイドウは必死に、スペンサーが買って持ってくるであろう薔薇の花の配置を屋敷内で考え込み、クアロは部屋にどれほど花がいっぱいになっているかどうかを想像して遠い目をして、ピアースは苦笑。
ロアンがグイグイと引っ張るため、ルアンはネラを抱えたまま、屋敷内に入った。
真っ直ぐルアンの部屋に向かうのだが、その途中でネラがもがいて、飛び出してしまう。
「?」
珍しい。尻尾を揺らして廊下を去るネラを気にしつつも、ルアンは手を引くロアンに続いた。
「……」
妙な胸騒ぎを覚えて、足取りを遅くしたルアン。
「かえってくるって聞いて、はなやさんがトクベツな花をくれたんだよ!」
ロアンは先に扉を開けるために手を放して開いた。
中に入って、満面の笑みで示したロアンの手の先にあったのは――――紫色の毒の花、ベニクロリジン。
部屋中に飾られている毒の花。
毒の香り。
殺されかけたあの日が、フラッシュバックした。
2023/08/14