89 無言の逆襲。
「る、ルアン、さっ」
頭から血を流して、眼鏡も粉々に踏み壊されたピアースも、伸ばした手を湿った土を握ることしか出来ない。
ゲホッと血が混じった唾液を吐いては、崖に這い寄ろうとするスペンサー。そのスペンサーの背中を、山賊は踏み潰す。
「まだ動くのか、こいつら」
「ははっ! さっき落ちたガキを気にしてんだろ。自分の心配しろってんだ!」
山賊達は嘲て笑いつつ、金品を奪っていく。
「ざけんなっ、貴様ら!!」
財産を持ってきたアレンも、当然のように奪われる。
山賊達は、下品に笑い、そして金貨を数え始めた。
そんなアレンも、蹴られる。一緒に縛られたクアロまでも、衝撃を受けて痛みを感じた。
「ちょっと! こっちまで痛いじゃない!!」
「それどころじゃないだろうが!! オレの全財産が!」
「そんな大金持ってくる普通?! 私だって独り立ちした時は半分もなかったというのに! !」
「知るかよ!! こちらとエリートなんだよ!!」
「くそが!!!」
こんな状況にも関わらず、クアロとアレンは互いの発言に頭にきては、口喧嘩をしてしまう。
背中がぴったりと合わさってしまった体勢でいることすら、虫唾が走った。
犬猿の仲というやつだろう。
ドンッとクアロは自分の背中を曲げて、打ち付けた。
アレンも仕返しに、ドンッと背中を叩きつける。
「ルアンを落としたくせに!!」
「オレじゃねーし!! デクだってわざとじゃねーよ!!」
「こいつら、バカなのか?」
仲間割れをするクアロとアレンを、山賊の一人が冷めた目で見下す。
「いいカモだぜ、こりゃあ! もっと探せ!」
「おうよ!」
少年だけは、立ち尽くしていた。
ただ軽蔑した眼差しを向けていたのだ。仲間である盗賊達へ。
そんな少年の背後に、立ったのはーーーー。
「!? っ!」
ずぶ濡れのルアンだった。
少年はルアンの回し蹴りを受けて、地面に突っ伏する。
その場にいる全員が、注目をした。
「ルアン!?」
濡れた短い栗色の髪を掻き上げて、ルアンは翡翠の瞳でスッと一瞬で周囲を見回した。
ぽたん。
顎を伝う雫が、地面に落ちた。
「なんだ、このガキ! 崖に落ちたはずじゃあ!?」
「……」
奪った金品を落として、山賊達は武器を持ち直す。
「る、ルアーさっ……!」
「ルアンさん!?」
スペンサーの声に、ピアースも反応して名前を呼ぶが、もうボロボロにされた二人は起き上がれない。
ルアンはそれに応えることなく、右手に持ったナイフをちらつかせる。
そして、左手を上げた。
「……」
口を開くことなく、左手の人差し指が、くいっと折り曲げられる。
ルアンは、無言で招いた。
ーーーーかかってこい。
ただそれだけの挑発だということは、山賊達もわかる。
「なめんなよっ! クソガキが!!」
「とっ捕まえろ!!」
ルアンに向かっていくのは、十数人の山賊。
「ルアン! ナイフを投げっ」
ルアンの投げたナイフでロープを外してもらおうと思ったが、クアロにもルアンは応えようとしない。
よろっ。ルアンの身体が、揺れる。
ふらついたような動きに、クアロ達は倒れると心配した。
「ルっ!」
しかし、単に振り下ろされた鉄の棒を、避けるための動作だ。
後ろに下がった身体を捻り上げて、ルアンは側転するように回る。
その拍子に、鉄棒を振り下ろした男の顔を蹴り飛ばした。
一人、また一人と蹴り倒していく。
体調を崩しているとは、思えない動きをする。
「この、ガキっ!! ぐあぁあ!!」
ルアンは、まだ無言のまま。
振り上げられた足に、ルアンはナイフを突き刺す。容赦なく、深々と刺した。
反射的にナイフを抜こうとした男の手を掴み、ルアンは真逆の方へとへし折る。その動作にも容赦がない。
どんどん仲間がやられていく。
ルアンという小さな存在一人に。
山賊達は、慄いた。
「おいっ!! ロウ! いつまで寝てやがる!? ガキ同士だ、やっちまえ!!」
山賊の一人が、少年をロウと呼んで、叫んだ。
ルアンよりも、少し背の大きな少年は、立ち上がった。
灰色の髪をした少年も無言のまま、顔についた土を拭うとルアンへ立ち向かう。
素早い動きで距離を詰めて、上から右足を振り下ろす。
ルアンはしゃがんで、避けると、少年の軸足の左足を掴んだ。
引っ張れば、少年は倒れた。
「っ!」
「……」
「うがっ!」
少年は、ルアンの肩を掴んだ。
殴ろうと手を上げたが、ルアンはその前に頭突きを与える。
ひっくり返った少年。
ルアンも、少しよろめく。
額を押さえて俯くルアンを、山賊の男が掴み、ねじ伏せた。
「ルアン! 何やってっ!」
ギアを使えば、一網打尽に出来るというのに、何故ギアを使わないのだ。
なんとかロープをほどこうと、クアロは足掻いた。
バァン!
銃声が響いて、クアロ達は驚愕を浮かべた。
「ぐあああっ!」
ルアンをねじ伏せていた男が、肩を押さえては、地面をのたまう。
ルアンは、銃を持っていたのだ。発砲したのは、ルアン。
「銃だと!?」
動揺する山賊達は、逃げ出す。
バン。バン。バァン。
起き上がったルアンは容赦なく、足を撃ち抜いて、転倒させた。
相変わらず、見事な射撃で、急所は外している。
そんなルアンの銃を蹴り上げた者がいた。
少年のロウだ。殴ろうとした手を、ルアンは掌で受け止めた。
ロウが振り上げた足を、ルアンは踏み潰す。
その足で、ロウの腹部に食い込ませた。
「うっ、あ……!」
大ダメージを受けたロウは、腹部を押さえてよろける。
ずるっと足を滑らせたロウが目にしたのは、底が見えない崖。
落ちる。とっさに、崖の壁を掴んだ。
しかし、ぬかるんだ土がついた手では、また滑るだけだった。
ーーーー今度こそ、落ちる。
ロウは、死を覚悟した。
ぱしっ!
そんなロウの手を掴んだのはーーーールアンだった。
冷めたままの翡翠の瞳をしたルアンは、ただ無表情だ。
「かあ……さ、ん……」
「……」
ルアンを驚いて見上げたまま、ロウは母のことを口にした。
それを聞いて、ルアンは首を傾げたが、口を開こうとはしない。
「ルアン! 後ろ!」
クアロの声を聞き、ルアンが振り返れば、突き飛ばそうとする山賊の男がいた。
◆◇◆
少年は、ロウという名前を持つ。
それは、母にもらったものだ。
命とともにもらった名前。
ロウには、それらしかない。
ロウに父親はいなかった。母親しかいなかったのだ。
しかし、家もなく、病で母親を亡くした。
山賊に拾われたからには、山賊になるしかなかった。
人のものを奪い続ける賊。
そんな自分が嫌いで仕方なかったが、どこに行っても何者にもなれそうにない恐怖には勝てなかった。
耐えるしかなった人生だ。
崖に落ちて、そのまま、死んでもよかった。
終わってしまっても、よかったのだ。
自分を嫌いなまま生きていても、仕方なかった。
ただ、母親からもらった命を、自分では絶てなかったから、現在息しているだけ。
もう、疲れたのだ。
それなのに、ルアンはロウを助けた。
無表情で見下ろすルアンは、似ているところはないと言うのに、ロウは母親を思い出したのだ。
だから、思わず口にした。
母に、まだ死ぬべきではないと言われた気がしたのだ。
それなのに、ルアンごと山賊仲間が、自分を突き落とそうとした。
本当に、賊と言う存在は、嫌いだ。反吐が出る。
そう一瞬だけ、過った。
ロウはルアンを巻き込まないためにも、その手を放そうとしたのだ。一人で落ちるつもりだった。
しかし、ルアンは、ロウの手を放さない。
「なんでっ……?」
ルアンは、黙ったままだった。
◆◇◆
迫る男に、ルアンは、対処しない。
シヤンが起き上がったことを、視界の隅で見ていたからだ。
シヤンも縛られていたが、体当たりでその賊を倒した。
「だ、大丈夫かっ!? ルアン!」
「手伝って」
ルアンは、ようやく口を開いた。
「は!? あ、ああっ!」
シヤンは自分の額の血を拭ってから、ルアンとともにロウを引き上げる。
引き上げたあとも、シヤンがロウを警戒するが、ルアンはポンポンッと頭を撫でた。
ロウの頭を、だ。
「なんで頭撫でてんだよ!? そいつ敵だぞ!」
「……」
「あ!? いたっ!」
シヤンの頭も、ポンポンと撫でた。
怪我をしているため、シヤンは痛がる。
「すまん」
ルアンは短く謝ると、歩き出した。
「大丈夫か? ピアース、スペンス」
重傷の二人に、声をかける。
「る、るあーさんっ」
「ルアンさん、ご、ご無事でっ」
「情けない声を出すなよ」
二人そろって、涙を浮かべた。なよなよした声を出しながら。
そんな二人のそばを通り過ぎて、ルアンはクアロとアレンのそばへ歩み寄る。
「はぁー……」
重たいため息を吐いた。
「本当に使えない男どもだな……」
そして、心から蔑んだような眼差しで見下ろす。
クアロとアレンは青ざめた。ルアンから感じ取った悪寒に、震えてしまいそうになる。
「る、ルアンっ……ごめんなさいっ。でも、よく無事だったわね」
「無事じゃ悪いのか?」
「そうじゃないわよっ! アンタが心配だった……」
「冷たい川の中に入ったら、目が覚めた」
「だからびしょ濡れなのね!」
ルアンはクアロに答えると、顔に張り付く前髪を退かした。
それから、踵を返す。
「え? ルアン……? ロープを」
ほどいてと言いかけたが、クアロは最後まで言えなかった。
絶対に怒っている……。
アレンとの口論は耳にしていたようだ。
だからこそ、蔑んだ目で見下して、吐き捨てた。
「ルアン様! すぐにお身体を拭きましょう!!」
涙ながらに、メイドウは駆け寄る。
「そ、そうですっ! 体調が悪化します! いたっ」
「メイドウ。ピアースの怪我を見て。そのあと、スペンスを。手当てを始めて」
「ルアン様ぁあっ!!」
「うるさい」
ピアースとメイドウを一蹴して、指示をした。
「デク」
「っ……も、申し訳、ございません」
「いい。肩をやられたのか?」
「……っう」
肩を庇いながら、起き上がるデクは、頭を下げる。
ルアンが触れると、デクは痛がり、呻く。
「んーっと多分……外れてるわね、骨が」
「……骨が外れようと、腕がもがれても、落とすべきではなかったです……申し訳ありません。身を委ねてくださったのに、本当にっ、申し訳ないです……!」
「罰は与えるから、とりあえず、骨を戻そう」
「いえっ、どうか……濡れた身体を拭いてください。悪化してしまいますっ」
ルアンの冷たい手を感じて、デクは心配をする。
「肩をはめ直そう。三数えたら、押し込むからね」
「は、はい」
「いーち」
「うぐっ!」
「にー、さーん。おしまーい」
「ううっ……」
ルアンは三と数える前に、肩を押し込んだ。
無口なデクも、呻いた。
「痛いと思うけど、外れたままよりマシなはず。そのまま庇っていて」
デクに言うと、ルアンは反対側の肩を撫でてやると、シヤンとロウの元まで戻る。
「おい、ルアン。まさかとは思うが……このガキ、どうする気?」
「おいで。こき使ってやるから」
シヤンが確認すると、ルアンはそう予想通りの言葉をロウにかけた。
ロウは驚愕して、目をこれでもかと見開く。
そして浴槽の金魚のように、口をパクパクさせた。
「なに? 何か言いたい?」
その空いた口に、ルアンは指を出し入れする。
「ウケる」と笑った。そのあと、またポンポンとロウの頭を撫でる。
「また増えやがった」とシヤンはあきれて目を回して、肩を竦めたのだった。
「ルアン様! 悪化する前に身体を拭きましょう!!」
「はいはい。……あ、ちょうどいい。ゼアスとサムが来た」
泣きつくメイドウに仕方なく返事をしたルアンは、馬に乗って近付くゼアスチャンとサムを見付ける。
「シヤン。クアロとアレンのロープをほどいて。それで賊どもを縛り上げて」
「あいよー」
シヤンはふらふらしつつも、ルアンの指示に従って、クアロとアレンの二人の元に行く。
「ご無事ですか? ルアン様」
「遅い」
「……申し訳ございません」
「お前もだ、サム」
「はいっ、申し訳ございませんっ。迷ってしまいまして……」
馬から降りたゼアスチャンとサムを、ルアンは叱りつける。
「馬車を持ってきて。私は……」
よろっ。
ルアンが、後ろによろめいた。
「ルアン!」
今度こそ倒れると察知したクアロは、駆け付ける。
後ろに倒れたルアンを、頭と背中を支えてクアロは抱き締めた。
完全に力を抜いたルアンは、気を失っている。
「本当にごめんなさい、ルアン……また無茶させたわ……」
抱き締めた身体は、冷たい。しかし、額に触れれば熱い。
熱は下がっていないのだ。
「ルアン様! ああ、もう! 着替えさせないと!! 薬は!? 薬も飲ませないと!」
「ルアンさん! ゼアスさん! すぐに、すぐに薬を!!」
「ルアーさんっ!!」
メイドウは騒ぎ、ピアースもスペンサーも、声を上げたのだった。
20211006